多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

稲城市「宿三谷稲荷神社」

2010年10月31日 | 神社
宿三谷稲荷神社 

鎮座地 矢野口830

祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 10月3日

解説 
もと当地の高橋氏の屋敷神として祀られていた。

稲城市「坂浜天満神社」

2010年10月31日 | 神社
坂浜天満神社 

鎮座地 坂浜967

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 村社  

別当寺 高勝寺

例大祭 9月25日

解説 
元禄7年(1694)当地の領主、天野重政によって創建される。

ご神体はその時設置された束帯坐像。

明治時代に付近の諏訪神社・上谷神明社・於部屋神明社・川上社・上野社・稲荷社が合祀される。

関東大震災で社殿が崩壊し大正15年(1926)再建された。



天満神社の狛犬



・奉納年 明治33年(1900)

稲城市「大麻止乃豆乃天神社」

2010年10月29日 | 神社
大麻止乃豆乃天神社 

鎮座地 大丸847

祭神 櫛真知命(くしまちのみこと)

旧格式 郷社  

別当寺 円照寺

例大祭 10月3日

解説 
江戸時代は丸宮明神といわれていたが、
明治になって式内社時代の旧社名に戻した。

地名の大丸(おおまる)も「大麻止乃豆乃天神社」から発したといわれている。

なお、青梅市「武蔵御嶽神社」も大麻止乃豆乃天神社に比定されている。


大麻止乃豆乃天神社の狛犬



・奉納年 天保12年(1841)
・石工 ?
・願主 大嶋屋重吉
・右 阿形 子取り
・左 吽形 子取り
・記事 昭和6年大嶋屋の孫、窪覚太郎による修理の記録あり 
 吽型は子取りではないが、背中に子を背負う。

稲城市「堅神社」

2010年10月28日 | 神社
堅神社 

鎮座地 百村894

祭神 大雷神

旧格式 村社 

解説 
宝暦14年(1764)以前の創建。
もと当地の松本氏の屋敷神。

江戸時代百村の鎮守であった妙見社が
明治の神仏分離で別当寺の妙見寺の管理となったため、
当社が村の鎮守となり村社に列せられた。

キリシタン禁令の高札などを伝える。


妙見尊



かつての百村村の鎮守妙見宮。

現代でも、鳥居・狛犬・千木をのせた覆殿など神社と全くかわらない姿である。

江戸時代の文筆家、百瀬雲伝造立の筆塚などがある。

稲城市「上新田津島神社」

2010年10月27日 | 神社
上新田津島神社 

鎮座地 東長沼402

祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと) 
    倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社

例大祭 7月11日に近い日曜

解説 
もと牛頭天王社といい、明治になって八坂神社と改名。

大正15年(1926)下新田の同名の社とともに津島神社に改められた。

本殿は天保4年(1833)の建造。
稲城市の神社の本殿は江戸時代の作が多い。

稲城市「稲荷天神社」

2010年10月26日 | 神社
稲荷天神社 

鎮座地 押立368

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社

例大祭 10月5日に近い日曜

解説 
詳細不明。
地図には天満宮となっている。
稲荷と天神が合祀されたものか? 

稲城市「稲荷神社」

2010年10月25日 | 神社
稲荷神社 

鎮座地 大丸164

解説 
仮に稲荷神社としたが、扁額・説明板等も無く、
稲荷である事を示す狐なども無い。
詳細は不明。

旧川崎街道沿いに位置し明治以前にさかのぼるであろう石造物がある。
真新しいわらじの奉納もあるので現在でも信仰の対象となっている様子。


稲城市「青渭神社」

2010年10月23日 | 神社
青渭神社 

鎮座地 東長沼1054

祭神 青渭大神(あおいのおおかみ)
    猿田彦命(さるたひこのみこと) 
    天鈿女命(あめのうずめのみこと)

旧格式 郷社  

別当寺 常楽寺

例大祭 10月1日に近い日曜

解説 
かつて社前に大沼があり、その水神を祀り青沼大明神と称していた。

明治になって本地仏を別当寺の常楽寺に移し、
主祭神を猿田彦命より青渭大神に改め社名を青渭神社とした。

式内社に比定される古社として郷社に列せられたが、
同名の神社が調布市・青梅市にもありいずれも式内社を主張している。

本殿はコンクリート造りの覆殿の中にあり外からは見られないが、
元禄5年(1692)以前の建造である。

例大祭で奉納される獅子舞は市の文化財に指定されている。
神職は代々福島氏が務める。


青渭神社の狛犬1



・奉納年 文政13年(1830)
・記事 文政13年という年は無いので
 天保に改元される前に作成したものと思われる。


青渭神社の狛犬2



・奉納年 明治16年(1883)
・石工 ? 
・願主 遠藤平○郎
・右 阿形 玉取り
・左 子取り
・記事 左欠損激しい。

稲城市「穴澤天神社」

2010年10月22日 | 神社
穴澤天神社 

鎮座地 矢野口3292

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
    大己貴命(おおなむちのみこと)
    菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 郷社  

別当寺 威光寺

例大祭 10月1日に近い日曜

解説 
矢野口村の鎮守で、康安天皇4年創建という延喜式内社に比定される古社。

背後の山は戦国時代の小沢城跡で城の鎮守であったとも考えられる。

本殿は元禄7年(1694)領主の加藤太郎左衛門によって建てられた。
その時天満神社を合祀し渡唐天神像をご神体とした。

神職はかつて国安神社の神職を務めた山本氏。
明治時代の神社合祀で国安神社が穴澤天神社に合祀された際に移ってきた。

山本氏は国指定重要無形民族文化財の「江戸の里神楽」を継承し、
例大祭では「山本頼信社中」によって上演されている。



穴澤天神社の狛犬



・奉納年 天保14年(1843)
・石工 古市場村石工 巳之吉

小平市の神社概略

2010年10月21日 | 神社
小平市の神社概略

小平市内には川らしい川や湧水が無く、
玉川上水が開かれるまでは不毛の地とみられていた。

市内の村はすべて江戸時代の新田開発によって開かれた。

北に青梅街道、南の玉川上水沿いには五日市街道が走り、
南北に府中街道(旧鎌倉街道)が通っている。

新田村もこれら街道沿いに開墾された。

なお小平市の寺社には教育委員会の詳細な説明板があり解説に多く引用させていただいた。


小平市はこれにて終了!

明日からは稲城市の神社紹介予定。

小平市「下鈴木稲荷神社」

2010年10月20日 | 神社
下鈴木稲荷神社 

鎮座地 鈴木町1-501-2

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 宝寿院

例大祭 9月22日

解説 
享保9年(1724)小金井市の貫井村名主、鈴木利左衛門によって鈴木新田が開墾された。

鈴木新田は上鈴木新田・下鈴木新田・野中新田善左衛門組・堀端鈴木からなり、
当社は下鈴木新田の鎮守として利左衛門が本村貫井村の稲荷神社の御分霊を祀ったものである。

なお表紙写真にも見えるご神木の黒松は都内の黒松の中でも有数の巨木である。


稲荷神社の御神木(在りし日の姿)



鈴木新田開墾の際、
入植した深谷氏が自宅・海岸寺・当社に新田開発の成功を祈願して植えた。
他の木は既に枯れ、残った一本であったが平成16年(2004)枯死してしまった。


現状


小平市「大沼田新田稲荷神社」

2010年10月19日 | 神社
大沼田新田稲荷神社 

鎮座地 大沼1-134

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 泉蔵院

例大祭 9月15日

解説 
享保9年(1724)大岱村(現東村山市恩多町)の名主、当麻弥左衛門が新田開発で当地に入植。

元文元年(1736) 村の鎮守として、青梅市の今寺村にある稲荷神社のご分霊を泉蔵院内に勧請した。

宝暦3年 (1753)弘化5年(1848)に山城の伏見稲荷より安鎮証紙を受け、正一位の位階を授けられる。

明治元年(1868)に神仏分離により現在地に遷った。



小平市「武蔵野神社」

2010年10月18日 | 神社
武蔵野神社 

鎮座地 花小金井5-461

祭神 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

旧格式 村社  

別当寺 円成院

例大祭 10月3日

解説 
このあたりの旧地名、野中新田は国立市の上谷保村の円成院住職、大堅元用と矢沢藤八によって開かれ、
資金の出資者野中屋の名を取って野中新田と名づけられた。

享保9年(1724)大堅によって上谷保村の毘沙門天を遷し村の鎮守とした。

後に円成院も当地に遷り別当寺として毘沙門天社を管理した。

明治の神仏分離のおり、毘沙門天は祭神として認められなくなり、
末社として祀っていた猿田彦命を主神にし武蔵野神社と改名して存続した。

小平市「熊野宮」

2010年10月17日 | 神社
熊野宮 

鎮座地 仲町361

祭神 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 
    伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

旧格式 村社  
  
別当寺 ?

例大祭 9月19日

解説 
当地には小川村、神明宮神主、宮崎主馬の邸宅があったが、
小川新田を開墾したおり宮崎氏の出身である瑞穂町の阿豆佐味天神社の摂社熊野宮を村の鎮守として遷した。

またこの地にはかつて旅人の目印になるような榎の大木があり、
当社の事を一本榎神社ともいった。

なお宮崎氏の邸宅は現在でも隣地にある。


熊野宮のご神木



通称「めおとケヤキ」という。
樹齢250~300年
熊野宮は別名一本榎神社ともいう。
かつて榎の大樹があったが寛保年間(1742~44)に枯死。

二代目も大正3年に枯れ現在本殿裏に三代目の榎がある。


熊野宮の狛犬



・奉納年 昭和28年(1953)
・石工 石工匠 小川利雄
・願主 氏子
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 宮司 宮崎久信 書