多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

世田谷区の神社概略

2013年03月18日 | 神社
世田谷区の神社概略

世田谷区のうち西部の各村は多摩郡に属し、
他は荏原郡に属した。

室町時代には、足利氏の一族で世田谷城主の吉良氏の領地であった地域で、
小田原北条氏滅亡で吉良氏が他所へ移った後は、
井伊氏・大久保氏などの大名領や喜多見氏などの旗本領であった。

明治末期に神社合祀が行われた際には、
多くの神社が地名を冠する社名に変更している。

神社数が大量のため世田谷区成立以前の町村を目安に3地区に分けて紹介するが、
地区区分はあくまで便宜上のもので必ずしも旧町村境を正確に表してはいない。


これにて旧多摩郡の神社はすべて紹介しました。

世田谷・松沢地区の神社概略

2013年03月17日 | 神社
世田谷・松沢地区の神社概略

旧世田谷町・松沢村に相当する。

小田原北条氏の支配下にあった頃は楽市が設置され、
現在の「世田谷ボロ市」へと継承されている。

江戸時代には彦根藩主井伊氏の領地となったが旧吉良家家臣の大場氏が代官を勤めた。
この代官屋敷は現在も残っている。

世田谷区「山谷稲荷神社」

2013年03月16日 | 神社
山谷稲荷神社 

鎮座地 上北沢2-32

祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

解説 
山谷地区の人々によって祀られた小祠。

詳細不明。

力石や古い神使がある。

最近神輿を奉納した記録もあるので、
現在も祭礼が行われているものと思われる。

世田谷区「若林天満宮」

2013年03月15日 | 神社
若林天満宮 

鎮座地 若林3-34

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 無格社  

別当寺 勝国寺

例大祭 9月第二土日

解説 
北野神社ともいわれる。

かつてはご神体が石であった事から「石の天神」と言われた。

また、牛の乗った天神像を祀っていた事から「牛天神」ともいわれる。

調布市深大寺の僧、花光坊長弁の記した「私案抄」によると、
応永8年(1401)当社において連歌法楽が興行されている。

当社は歯痛に霊験があり、格子戸の楊子を借りて治療し、
完治したら新しい楊子を奉納するという習慣がある。

世田谷区「宇山稲荷神社」

2013年03月14日 | 神社
宇山稲荷神社 

鎮座地 桜丘4-14

祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

旧格式 無格社  

別当寺 久成院

例大祭 10月10日

解説 
宇山地区の人々によって祀られた祠。

神社としては珍しく西向きのため西向稲荷ともいう。

明治42年(1909)宇佐神社(現世田谷八幡宮)に合祀されたが
境内の撤去には至らなかった。

世田谷区「太子堂八幡神社」

2013年03月12日 | 神社
太子堂八幡神社 

鎮座地 太子堂5-23

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 村社  

別当寺 円泉寺

例大祭 10月第二日曜

解説 
太子堂村の鎮守。

源頼義・義家親子が奥州征伐の際に参拝したという。

また、別当寺円泉寺の記録では、
文禄年間(1592~96)石清水八幡宮のご分霊を遷したとある。

世田谷区「勝利八幡神社」

2013年03月11日 | 神社
勝利八幡神社 

鎮座地 桜上水3-21

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 無格社  

別当寺 密蔵院

例大祭 10月体育の日

解説 
上北沢村の鎮守。

伝承では万寿3年(1026)石清水八幡宮のご分霊を遷したという。

本格的に祭祀が始められたのは、
元禄5年(1692)榎本市郎右衛門信親が発願し、
同9年に社殿を造営した。

明治43年(1909)村内の山谷稲荷神社を相殿に合祀した。

山谷稲荷は慶長19年(1614)創建で山谷地区の鎮守であった。

世田谷区「松陰神社」

2013年03月10日 | 神社
松陰神社 

鎮座地 若林4-35

祭神 吉田松陰(よしだしょういん)

旧格式 東京府社

例大祭 4月27日 10月27日

解説 
安政の大獄で処刑された吉田松陰を祀る神社。

江戸時代には長州藩毛利家の抱屋敷であった。

松陰は安政6年(1859)小塚原で処刑されて回向院に葬られていたが、
文久3年(1863)高杉晋作など松陰の弟子たちが遺体を当地に移した。

その後幕府の敵となったため一時撤去されたりしたが、
明治15年(1882)墓の東側に社殿を建てて再建された。

長州出身の明治時代の政治家にとって松陰は思想上に師匠に当たるため、
伊藤博文・山県有朋など有名な政治家の寄進を受け、
旧格式も東京府社と高いものとなっている。


ホームページ
 http://www.shoinjinja.org/

世田谷区「杓子稲荷神社」

2013年03月09日 | 神社
杓子稲荷神社 

鎮座地 梅丘1-60

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと
   )彦佐知命(ひこさしりのみこと)
    思意金命(おもいかねのみこと)

例大祭 3月17日 10月17日

解説 
松原宿の人々によって祀られた祠。

吉良治部大輔治家が世田谷城の鬼門除けとして
山城国伏見稲荷のご分霊を遷したのが創建と伝わる。

社名の杓子は、杓子で食物を扱う、「掬う」が「救う」に通じる事から、
災難から救われるという信仰になったという。

世田谷区「菅原神社」

2013年03月08日 | 神社
菅原神社 

鎮座地 松原3-20

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

旧格式 村社  

別当寺 ?

例大祭 9月第四日曜

解説 
松原村の鎮守。

当社にある石碑によると、
寺子屋の師匠であった石井兵助直慶が寛文5年(1665)勧請したという。

境外摂社に厳島神社があったが、
昭和38年(1963)池が枯れてしまったため社地を世田谷区に譲り当社の境内に遷した。

例大祭では「松原囃子」奉納される。

世田谷区「代田八幡神社」

2013年03月07日 | 神社
代田八幡神社 

鎮座地 代田3-57

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 村社  

別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)

例大祭 9月第三日曜

解説 
代田村の鎮守。

天正9年(1590)小田原北条氏の滅亡により領主であった吉良氏も当地を離れる事になり、
浪人となった吉良氏の家臣団が代田の地に定住した。

その際従来から信奉していた八幡神を村の鎮守として祀った。

ご神体は「雷槌の如くにして青色 長さ4尺2寸余」の」奇石という。

写真の鳥居は天明5年(1785)造立。

世田谷区「世田谷天祖神社」

2013年03月06日 | 神社
世田谷天祖神社 

鎮座地 世田谷1-23

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 なし 

別当寺 ?

例大祭 ?

解説 
世田谷宿の人々によって祀られた祠。

明治41年(1908)宇佐神社(世田谷八幡宮)に合祀されたが、
昭和23年(1948)旧に復した。

当社の前には江戸時代の世田谷代官所大場氏の屋敷が残り、
毎年12月・1月には有名な「世田谷ボロ市」が開かれる。

世田谷区「世田谷八幡宮」

2013年03月05日 | 神社
世田谷八幡宮 

鎮座地 宮坂1-26

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
    仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
    神攻皇后(じんぐうこうごう)

旧格式 郷社  

別当寺 ?

例大祭 9月15日

解説 
世田谷の総鎮守。

宇佐八幡・宮坂八幡ともいわれ、宇佐神社が正式名称せあった。

寛治5年(1091)源義家が奥州から帰還する途中当地において豪雨に遭い、
天候回復を待つ間、このたびの戦勝を感謝して豊後国宇佐八幡宮のご分霊を祀ったという。

天文15年(1546)世田谷城主、吉良頼康が再建、
備前雲次の太刀を奉納した。

例大祭で行われる奉納相撲もこの時からはじまったとされる。

天正19年(1591)吉良氏に代わり当地を支配する事になった徳川家康より朱印地11石を賜った。

昭和21年(1946)陸軍機甲整備学校校庭に鎮座していた自動車神社を合祀した。

世田谷区「六所神社」

2013年03月04日 | 神社
六所神社 

鎮座地 赤堤6-25

祭神 大国魂命(おおくにたまのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 西福寺

例大祭 9月23日

解説 
赤堤村の鎮守。

天正12年(1584)平貞盛の末裔を称する
服部貞殷が武蔵国惣社六所明神(大国魂神社)のご分霊を遷した。

天明年間(1781~89)に別当寺である西福寺が焼失、
当社の諸記録も失なわれた。

天明7年(1787)社殿を再建した。