多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

瑞穂町「神明神社」

2011年08月31日 | 神社
神明神社 

鎮座地 石畑1773

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 無格社

例大祭 3月21日

解説 
坊ヶ谷戸・丸ヶ谷戸・砂の石畑下組の鎮守。

もとは北方の狭山丘陵上にあったという。

ご神木の欅は当社の創建以前からあり町の天然記念物に指定されている。



神明神社の御神木ケヤキ




「新編武蔵国風土記稿」にも記載がある。
内部が空洞化し、若木が支柱のようになっている。

瑞穂町「浅間神社」

2011年08月30日 | 神社
浅間神社 

鎮座地 箱根ヶ崎2585

祭神 木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)

旧格式 無格社

例大祭 7月1日

解説 
箱根ヶ崎と富士山の人々によって祀られてきた神社。

宝永7年(1710)両村で当社の帰属をめぐって争いが起こり、
幕府評定所の裁定で箱根ヶ崎村のものと決した。

富士山村では地名の由来ともなった鎮守を失い、
村側へ通じていた参道もいつしか埋もれてしまった。


浅間神社の御神木ヒノキ



目通り幹周り 3.5m
樹齢 350年
指定 瑞穂町指定天然記念物
写真左は八雲神社、右鳥居が浅間神社参道。
両社の入口にあるが、浅間神社のヒノキとして認識されている。

瑞穂町「狭山神社」

2011年08月29日 | 神社
狭山神社 

鎮座地 箱根ヶ崎1

祭神 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
    伊邪那美尊(いざなみのみこと)
    泉津事解男命(よもつことさかおのみこと)
    箱根大神(はこねのおおかみ)
    木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
    大山祇命(おおやまつみのみこと)
    巌永姫命(いわながひめのみこと)

旧格式 村社

例大祭 9月15日

解説 
源義家が奥州へおもむくおりに、箱根権現の霊夢を感得して当社を創建したという。

鎌倉時代、源頼朝が関東五百社勧請を志した際に木花咲耶姫命・大山祇命・巌永姫命を祭神に加えた。

江戸時代には箱根権現・三社大権現などと言われ、
箱根ヶ崎村の鎮守として信仰された。

箱根ヶ崎は青梅街道と日光街道が交差する交通の要衝で、
かつては宿場町としても栄えた。

旧鎌倉街道と称される道もある。


狭山茶場の碑



瑞穂町は狭山茶の産地でもあり付近には茶畑が広がる。
境内には勝海舟筆による「茶場之碑」がある。
明治11年(1878)造。

瑞穂町「元狭山神社」

2011年08月28日 | 神社
元狭山神社 

鎮座地 駒形富士山609

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)他15柱

旧格式 村社

例大祭 4月15日

説解 
狭山村にあった4箇所の神社を合祀して、大正7年(1918)創建された。

合祀されたのは、
高根村の高根神社。
駒形村の駒形神社。
駒形富士山の八雲神社。
富士山栗原新田の子安神社。

本殿は八雲神社、拝殿は駒形神社より移したものを使用している。

瑞穂町「御嶽神社」

2011年08月27日 | 神社
御嶽神社 

鎮座地 石畑1848

祭神 日本武尊命(やまとたけるのみこと)

旧格式 無格社 

例大祭 2月8日

解説 
本殿は石畑村の棟梁、鈴木広宝によって天保12年(1841)着工、
弘化2年(1845)完成したもの。
見事の彫刻が施され町指定文化財に指定されている。


御嶽神社の御神木


目通り幹周り 3.62m
樹高 17.6m
樹齢 350年以上
指定 瑞穂町指定天然記念物
大正時代からほとんど樹形を変えていない。

瑞穂町「松原稲荷神社」

2011年08月26日 | 神社
松原稲荷神社 

鎮座地 箱根ヶ崎472

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

例大祭 2月12日

解説 
松原地区の人々によって祀られた祠。

鎌倉武士、畠山重忠に関する伝説があるというが詳細は不明。

瑞穂町「加藤神社」

2011年08月25日 | 神社
加藤神社 

鎮座地 箱根ヶ崎315

祭神 加藤景忠

旧格式 無格社  

別当寺 円福寺

例大祭 3月15日

解説 
甲斐武田氏の家臣、加藤丹後守景忠は
天正10年(1582)武田氏滅亡後家族と家来を率いて当地まで逃れて来たが、
この地の領主で北条氏配下の村山土佐守によって討たれてしまった。

これを知った村人が景忠の死を悼んで墓を築き加藤塚と名づけたという。

その後、甲斐国上野原の加藤氏の末裔、加藤最次郎が石塔を寄進し、
円福寺にあった景忠の像を奉納して村人の間にも信仰心が高まり、
加藤八幡宮が創建された。

それが現在の加藤神社だという。

瑞穂町「兜稲荷神社」

2011年08月24日 | 神社
兜稲荷神社 

鎮座地 駒形富士山100

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

例大祭 ?

解説 
詳細不明。
当社に隣接する栗原家の屋敷神と思われる。

現在元狭山神社に合祀されている駒形神社はこの付近にあった。

駒形神社は当地の領主、旗本太田氏によって創建された神社で栗原氏はその神職を務めていた。

栗原氏はもと小田原北条氏の家臣で、
北条氏滅亡後に土着しており、
社名の言われもそのあたりに由来するものか?

瑞穂町「厳島神社」

2011年08月22日 | 神社
厳島神社 

鎮座地 箱根ヶ崎11

祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

例大祭 ?

解説 
狭山池の中島にある通称「筥ノ池弁財天」

かつて、玉川上水の助水とするため狭山池から残堀川を引いたところ、
狭山池の水位が大幅に下がってしまった。

湧水部分を深く掘り下げ水量を確保したが、
その時に出た残土で島を築き当社が創建された。

明治41年(1908)八雲神社に合祀されたはずだが現在でも祀られている。

写真の灯篭は慶応元年(1864)造の残堀川に架かる日光街道の石橋付近にあった常夜灯。

瑞穂町「石畑須賀神社」

2011年08月22日 | 神社
石畑須賀神社 

鎮座地 石畑2146

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 無格社

例大祭 7月15日

解説 
石畑村の人々によって祀られた神社。

詳細は不明。

瑞穂町「阿豆佐味天神社」

2011年08月21日 | 神社
阿豆佐味天神社 

鎮座地 殿ヶ谷1008

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
    素盞嗚命(すさのおのみこと)
    大己貴命(おおなむちのみこと)

旧格式 郷社

例大祭 3月4日

解説 
「延喜式・神名帳」に記載のある古社。

寛平4年(894)従五位下の神位を受ける。

平安初期、高望王の創建という伝説があり、
以来子孫の武士団村山党によって信仰された。

当社のすぐ西には戦国末期の武将、村山土佐守義光の館跡がある。

同時期、北条氏照より神領15貫文を賜っていた。


江戸時代には徳川家より朱印地12石を賜る。

神職は代々宮崎氏が勤め、
立川市「阿豆佐味天神社」小平市「神明宮」・「熊野宮」の社家へ分かれた。

宮崎氏については、
所有の古文書が公開されていないので何時頃から当社とかかわりがあったのか定かではないが、
桓武平氏を称している事から村山氏の一族と考えられる。

江戸時代初期には既に当社の神職を務め、能登守・修理進などを名乗っていた。



阿豆佐味天神社参道


東京もこのあたりまで来るとかなり農村の風景が濃くなる。

かつてこの参道は杉並木であったが、
戦後間もなくの台風により全滅した。

すぐ背後には狭山丘陵がひろがっており瑞穂町はその西の端に近い。

狭山丘陵沿いは豊富な湧水があり古代より開けていた。

そのため古社が多く残り、
北側の入間郡には出雲伊波比神社・中氷川神社・廣瀬神社・物部天神社・國渭地祇社の5社の式内社が鎮座している。


阿豆佐美天神社の狛犬



・奉納年 ?
・石工 藤堂音次郎?
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り

瑞穂町「石畑稲荷神社」

2011年08月20日 | 神社
石畑稲荷神社 

鎮座地 石畑1744

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

例大祭 ?

解説 
詳細不明。

古地図では「おしょういなり」という社名になっている。

瑞穂町「殿ヶ谷須賀神社」

2011年08月19日 | 神社
殿ヶ谷須賀神社 

鎮座地 殿ヶ谷1043

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
    火産霊命(ほむすびのみこと)
    久恵比古命

旧格式 無格社

例大祭 6月14日 15日

解説 
詳細不明。

古地図では「きのえね様」となっている。

大正元年(1912)愛宕神社と天神社を合祀し祭神が上記3柱となった。

市販の地図には大国主神社となっているものもある。

また、須賀神社甲子社ともいう。

瑞穂町「愛宕神社」

2011年08月18日 | 神社
愛宕神社 

鎮座地 長岡長谷部375

祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 東善院

例大祭 7月21日

解説 
享保10年(1725)長岡長谷部の鎮守として、
名主の長谷部勘次郎が親村、現入間市扇町の愛宕神社のご分霊を遷した。

勘次郎は更に檀那寺を引寺しようと、
当社の北側を予定地とし、飯能の能仁寺に末寺の建立を要請した。

ところが能仁寺側は既に末寺として隣の師岡新田にある東善院の檀家となるように勧め、
一旦はそのように収まった。

しかし何とか自村に寺院の建立を目指す勘次郎は、
なおも能仁寺側に引寺を要請したが断られ続け、
やむなく檀家契約を解消し、相模国大嶋村の清岩寺に末寺建立を要請した。

このため契約破棄を不満とした能仁寺・東善院側と訴訟沙汰となり、
江戸の評定所の裁定の結果敗訴となってしまった。

憤った勘次郎は評定所役人にくってかかり、
かえって手鎖の刑にされてしまったという。

勘次郎の無念はいかばかりの事であったろう。

武蔵村山市の神社概略

2011年08月17日 | 神社
武蔵村山市の神社概略

武蔵村山市は、中藤・横山・三ツ木・岸の青梅街道・狭山丘陵沿いの各村が合併してできた。

中世には武士団の村山党の根拠地となり、
市の名称も村山党にちなんでつけられた。

江戸時代の新田開発では、東大和など狭山丘陵南部の諸村同様親村が南に伸びる形で開発が成された。

そのため各村の鎮守も市の北部に集中している。


これにて武蔵村山は終了!

明日より瑞穂町の神社を紹介予定!