多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

杉並区東部の神社概略

2012年10月31日 | 神社
杉並区東部の神社概略

杉並区東部は、旧杉並町・和田堀町に相当する。

杉並町は江戸時代の田端・成宗・高円寺・阿佐谷の各村から成り、
今は無き青梅街道の杉並木にちなんで名付けられ、現在の区名に引き継がれた。

和田堀村は和田・堀ノ内・和泉の各村に当たる。


これにて杉並区東部は終了。
次回より杉並区西部の神社を紹介予定。

杉並区「東田天祖神社」

2012年10月31日 | 神社
東田天祖神社 

鎮座地 成田東4-24

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 なし  

別当寺 天祥寺

例大祭 9月13日

解説 
田端村字関口の鎮守で旧東田町の人々によって祀られた祠。

創建年は不明だが、当社の解説板には600年前とある。

明治42年(1909)田端神社に合祀されたが、
村内に不祥事が相次いだため、
大正14年(1925)田端神社の分社として成田東3-31祀り直された。

昭和2年(1927)東田町に疫病がはやったが、
これは町に鎮守が無いからだという事になり現在地に遷された。

東田町内社ともいう。

杉並区「谷中稲荷神社」

2012年10月30日 | 神社
谷中稲荷神社 

鎮座地 方南1-39

祭神 受持神(うけもちのかみ)?

例大祭 2月初午

解説 
谷中稲荷講中の人々によって祀られた祠。

昔伊勢神宮の太々講に行った人が、
京都伏見稲荷神社のご分霊を遷したという。

あるいは、ある家の屋敷神であったともいう。

現在は大宮八幡宮の境外摂社。

杉並区「田中稲荷神社」

2012年10月29日 | 神社
田中稲荷神社 

鎮座地 高円寺南1-31

祭神 受持神(うけもちのかみ)

旧格式 高円寺天祖神社境外摂社  

別当寺 村民持ち

例大祭 3月初午

解説 
高円寺村の人々によって祀られた祠。

桃園川沿いの水田にあった事から田中稲荷といわれるようになった。

かつては他の稲荷社同様、2月初午に祭礼が行われていたが、
現在では何故か3月の初午になっている。

杉並区「田端神社」

2012年10月28日 | 神社
田端神社 

鎮座地 荻窪1-56

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
    天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
    豊受比売神(とようけひめのかみ)
    大国主命(おおくにぬしのみこと)
    大山祇神(おおやまつみのかみ)

旧格式 村社  

別当寺 天祥寺→中道寺

例大祭 9月13日

解説 
田端村の鎮守。

かつては、北野天神社・田端天神社などとも言われた。

応永年間(1394~1427)足利持氏と上杉禅秀との合戦(上杉禅秀の乱)の頃、
品川左京の家臣、良影が当地に土着し、田の端に京都北野天満宮のご分霊を祀った。

以来村名も田端村になったという。

明治42年(1909)
関口の天祖神社・日性寺の稲荷社・高野谷戸の子ノ権現社・大ヶ谷戸の山神社を合祀して、
祭神が現在のようになり、翌年社名を田端神社と改めた。

摂社のうち子ノ権現社は、足痛に霊験あらたかと言われる。

良影の子、良枝の創建になる神社で、
出雲大社の霊夢によって槌で足を撫でたところたちどころに直ったという。

杉並区「須賀神社」

2012年10月27日 | 神社
須賀神社 

鎮座地 成田東5-29

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 宝昌寺

例大祭 9月第一日曜

解説 
成宗村本村の鎮守。

江戸時代には牛頭天王社と言われた。

伝説によると、創建は天慶4年(941)で、慶長4年(1599)再建という。

安政年間(1854~60)別当寺の火災により諸記録を焼失。

明治の神仏分離で社名を須賀神社と改めた。

明治33年(1900)社殿を改築し、旧拝殿を神楽殿とした。


境内の説明版によると、「社名は祭神が同じ出雲の須賀神社にちなんだ」とある。

牛頭天王社なら八坂神社・八雲神社などとなりそうなものだが、その間の事情は不明。

なお、牛頭天王社が須賀神社に改められた例としては、他に武蔵村山市の須賀神社がある。


成宗五色弁財天社



須賀神社に隣接して鎮座する。

弁天講中の人々によって祀られた祠。

かつてこの周辺には弁天池があり、天保11年(1840)新堀用水開削の際、
中継池として使われた。

開削時に出た残土で富士塚が築かれたが、
昭和27年(1952)開発のため破壊されてしまった。

かつて富士塚にあった石造物が残る。

杉並区「神明宮」

2012年10月26日 | 神社
神明宮 

鎮座地 阿佐ヶ谷北1-25

祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 村社  

別当寺 世尊寺

例大祭 9月15・16日

解説 
阿佐谷村の鎮守。

伝説によると、日本武尊が東征の際に当地で休息し、
後に村人がその遺徳を偲んで当社を建てたという。

また、建久年間(1190~98)当地の豪族、横井兵部が伊勢神宮に参拝したおり、
宮川の霊石を持ち帰って祀ったともいう。

江戸時代中頃、世尊寺の僧、祇海が神告により、
お伊勢の森と言われた旧地より現在地に遷した。

ご神体は石棒で、内藤新宿の花柳界関係者などに信仰された。

明治時代になって天祖神社と改められたが、
昭和61年(1985)昭和天皇在位60年を記念して境内を整備し、
その際社名も旧に復された。

例大祭では「阿佐ヶ谷囃子」が奉納される。


ホームページ http://www.shinmeiguu.com/

杉並区「尾崎熊野神社」

2012年10月25日 | 神社
尾崎熊野神社 

鎮座地 成田西3-9

祭神 五十猛命(いそたけるのみこと)
    大屋津比命(おおやつひめのみこと)
 抓津比命(つまつひめのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 宝昌寺

例大祭 9月上旬

解説 
成宗村尾崎地区の鎮守。

大宮八幡宮・成宗白山神社などと同時代の創建という。

別当寺である宝昌寺出土の板碑などの史料によると、
鎌倉より移住してきた武士が、信奉する紀伊国熊野三山のご分霊を遷したのが創建という。

明治41年(1908)付近にあった、稲荷社・猿田彦社・御嶽社を合祀した。

杉並区「大宮八幡宮」

2012年10月24日 | 神社
大宮八幡宮 

鎮座地 大宮2-3

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
    仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
    神功皇后(じんぐうこうごう)

旧格式 東京府社  

別当寺 大宮寺(廃寺)

例大祭 9月15日

解説 
源頼義が奥州征伐の向かう途中当地を通過した際、
空の八条の白雲がたなびくのを見て、源氏の白旗を連想させる瑞兆とみた。

乱の平定後、この地へ神社を建てる事にして、
京都石清水八幡宮のご分霊を遷したという。


また、源義家が奥州に遠征する際に当社に戦勝を祈願し、
その帰途の康平6年(1063)松の苗木千本を奉納したという。

以来、氷川神社・秩父神社とともに武蔵三大宮のひとつとして「多摩の大宮」といわれる。


天文年間(1532~54)長尾景虎(上杉謙信)の小田原攻めの際に社殿を焼失した。

江戸時代には徳川将軍家より朱印地30石を賜っていた。

神職は明治になって絶えるまで中野氏が務め、
他の多摩地区の神社と違い、別当寺は神社の付属的存在であった。

社宝に伝由比正雪奉納の絵馬などがある。


ホームページ http://ohmiya-hachimangu.or.jp/

結城秀康夫人清涼院お手植えの「菩提樹」



境内には徳川家光によって千本の山つつじが植えられ、
現在もつつじが多く見られる。

源義家が奉納したという松は残っていないが、
参道に義家の伝説を伝える「鞍掛の松」がある。

その他、写真の菩提樹や神門両脇の夫婦銀杏など巨樹が多く、
社叢は東京都の天然記念物に指定されている。

杉並区「日性寺稲荷神社」

2012年10月22日 | 神社
日性寺稲荷社 

鎮座地 成田西2-21

祭神 豊受姫命(とようけひめのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 金福寺

例大祭 2月初午 5月13日 9月13日

解説 
田端村日性寺地区の鎮守。

明治42年(1909)田端神社に合祀され、
ご神体の白狐に乗った神像は遷されたが祠は残されていた。

その後、別の場所に遷され、
昭和36年(1961)頃元の場所である現在地に戻された。

杉並区「成宗白山神社」

2012年10月21日 | 神社
成宗白山神社 

鎮座地 成田東2-2

祭神 伊奘册命(いざなみのみこと)

旧格式 無格社  別当寺 宝昌寺

例大祭 9月14日

解説 
成宗村白幡地区の鎮守。

源頼義が奥州征討に向かう途中、空に流れるような白雲を見て、
勝利の吉兆として一社を勧請したという。

当社がそれに当たるのかは不明だが、地名「白幡」の起源はこの伝説に由来するという。

白山神社の祭神は通常、白山菊理姫命だが、区内の白山神社はなぜ違うのか不明。

杉並区「御嶽・榛名・稲荷社」

2012年10月20日 | 神社
御嶽・榛名・稲荷社 

鎮座地 和田1-36

祭神 陀枳尼天(だきにてん)
   御嶽神 
   榛名神

例祭 稲荷社は2月初午

解説 
和田御嶽講・和田榛名講・和田稲荷講の人々によって祀られた祠。

御嶽講の人々は毎年御嶽山に参拝、
榛名講では毎年榛名山に代参の人を送り、
稲荷講では、西東京市の東伏見稲荷の神職を招いて初午の祭祀を行っている。

杉並区「松ノ木稲荷社」

2012年10月19日 | 神社
松ノ木稲荷社 

鎮座地 松ノ木1-5

祭神 受持神(うけもちのかみ)

例祭 初午

解説 
詳細不明。

一説にはかつて当地には天神社があったが台風で壊れてしまった。

その後に屋敷神であった稲荷社を遷したという。

杉並区「馬橋稲荷神社」

2012年10月18日 | 神社
馬橋稲荷神社 

鎮座地 阿佐ヶ谷南2-4

祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
    大麻等能豆神(おおまとのつのかみ)

旧格式 村社  

別当寺 福泉寺

例大祭 9月第二日曜

解説 
馬橋村の鎮守。

鎌倉時代の創建という。

「武州多摩郡馬橋村寅御縄打帳」という史料に延宝2年(1674)
「いなり明神社内福仙寺」の記述があり、当時から祀られていた事が分かる。

天保3年(1832)大谷佐六ら氏子53人が資金を拠出して、
京都神祇伯王白川家より「正一位足保稲荷大明神」の神号を賜った。

明治40年(1907)村内の御嶽神社・白山神社・天神社・水神社が合祀されたため
「五社神社」とも言われるようになった。

昭和40年(1965)住居標示の改正で馬橋の地名は消滅してしまったが、
当社は馬橋の名を残すため社名を「馬橋稲荷神社」と改めた。

ホームページ http://www.mabashiinari.org/


馬橋稲荷神社、石造大鳥居



昇龍・降龍が彫られた大鳥居。

昭和7年(1932)馬橋の関口林之助によって奉納された。

港区の品川神社の鳥居を模したもの。

高円寺にも同様の鳥居があり、品川神社と合わせて東京3鳥居という。


馬橋稲荷神社、随神門



昭和50年(1975)遷座700年を記念して建てられた。

天井から吊るされた鈴は直径75センチメートル、
都内最大の大きさで「開運の大鈴」といわれている。