多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

八王子市「日吉八王子神社」

2011年11月30日 | 神社
日吉八王子神社 

鎮座地  日吉町8-20

祭神 國猝槌尊(くにさづちのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 村民持ち

例大祭 5月4日

解説 
天慶3年(940)山根9万石の惣鎮守として創建された。

文禄4年(1595)法印島文坊俊盛が社殿を再興し、
由井領総鎮守、日吉八王子明神と称するようになった。

また、寛文7年(1689)には代官、高室四郎左衛門によって再建された。

現在の拝殿は明治35年 (1902)再建で、
昭和20年(1945)のアメリカ軍による爆撃でも火災を逃れている。

社宝として、元禄2年(1689)造の木造狛犬が伝わる。

また、境内には、昭和32年(1957)造のあゆ塚がある、
これは江戸時代に浅川で採れた鮎を幕府に献上していたことを記念する碑である。

八王子市「八幡八雲神社」

2011年11月29日 | 神社
八幡八雲神社 元横山町2-15

祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

旧格式 郷社  

別当寺 大義寺

例大祭 7月23・24日 9月15日

解説 
八王子市街東部の鎮守。

延長2年(924)武蔵国司、小野泰武が山城の石清水八幡宮のご分霊を遷したという。

泰武の子孫は当地、横山庄に土着し、武士団「横山党」を形成した。

しかし、建暦3年(1213)横山時兼の代に和田義盛の乱に加担したため、
執権北条氏によって滅ぼされてしまった。

その後、横山庄は幕府政所別当、大江広元の領地となり、
子孫が戦国時代まで当地を支配した。


八雲神社は延喜16年(916)大伴妙行によって深沢山に祀られていた。

八王子城の守護神となっていた事もあったが、落城後黒沢の地に遷された。

慶長3年 (1598)に浅川の洪水で流失したものを八幡神社に合祀した。

八王子市「永福稲荷神社」

2011年11月28日 | 神社
永福稲荷神社 

鎮座地 新町5-5

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 大義寺

例大祭 5月2日

解説 
宝暦6年(1756)八光山権五郎という力士の発願により創建された。

祭礼は「しょうが祭り」として知られ厄除けの生姜が売られる。

昭和20年(1945)八王子空襲で社殿を焼失。

境内に当地の俳人、松原庵星布が松尾芭蕉の「蝶の飛ぶばかり野中の日影かな」という俳句を刻んだ句碑がある。

すぐ前は旧甲州道中で、隣には竹の鼻一里塚跡がある。


竹の鼻一里塚跡



八王子市街は甲州道中の宿場町であるが、
明治33年(1900)の八王子大火と昭和20年(1945)のアメリカ軍の爆撃により遺構はほとんど残されていない。

ただ付近には宿場町特有の鉤型に曲がった道筋などが確認できる。

八王子市「浅間神社」

2011年11月27日 | 神社
浅間神社 

鎮座地 台町2-2

祭神 木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 万福寺

例大祭 8月1日

解説 
江戸時代初期、八王子代官、大久保長安が富士塚を築いたのが創建という。

あるいは別の伝説に、南北朝時代、南朝方の「お富士の方」が当地に落ち延び富士塚を築いたという。

そのため当地は江戸時代まで御所水村と言われ、周辺は富士といわれた。

写真にも見られる拝殿は大正天皇の大葬の礼の際、
祭場殿として建てられた社殿を移築したもので、
大正殿といわれている。

また、例大祭前日の7月31日は「だんご祭り」としてにぎわう。

八王子市浅川地区の神社概略

2011年11月26日 | 神社
浅川地区の神社概略

浅川地区は江戸時代の上椚田村と上長房村から成る。

当地には多摩地区でも御岳山と並ぶ山岳信仰の聖地高尾山がある。

高尾山は神仏習合の修験道系の飯綱権現を祀っていた。

明治の神仏分離の際には御岳山同様神社になる道もあったはずだが、
薬王院を中心に仏教寺院となる道を選んだ。


これにて浅川地区は終了。
明日より八王子地区の神社を紹介予定!

八王子市「若宮神社」

2011年11月26日 | 神社
若宮神社 

鎮座地 裏高尾町751

祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと)
    面足尊(おもだるのみこと)
    惶根尊(かしこねのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 千人頭峰岸氏持ち

例大祭 5月1日

解説 
上新井地区の人々によって祀られた祠。

江戸時代の除地は1畝20歩。

若宮八幡社ともいい、千人頭峰岸氏が武神として祀ったという。

明治42年(1909)下新井・上新井に鎮座していた第六天社2社を合祀して祭神が現在のようになった。

八王子市「高尾山金毘羅神社」

2011年11月25日 | 神社
高尾山金毘羅神社 

鎮座地 高尾町?

祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)

旧格式 なし  

別当寺 高尾山薬王院

解説 
高尾山は江戸時代までは神仏習合の修験道寺院で、
飯縄権現が薬王院と並んで存在していた。

当社はその摂社のひとつ。

他に妙見社・浅間社・天満社などがあった。

八王子市「高尾天満宮」

2011年11月24日 | 神社
高尾天満宮 

鎮座地 裏高尾町652?

祭神 菅原道真(すがわらみちざね)

解説 
荒井地区の人々によって祀られた祠。

詳細不明。

案内板には数百年前より祀られていると記されている。

八王子市「高尾天神社」

2011年11月23日 | 神社
高尾天神社 

鎮座地 初沢町?

祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)

解説 
詳細不明。

全国の産業殉職者を祭った「みころも霊園」の付属施設?
狭間側山麓にある真福寺との関係、初沢城の鬼門除けの祠などが考えられる。

巨大な菅原道真の銅像あり。



菅原道真像



昭和11年(1936)彫刻家、渡辺長男によって造られた。
皇居前にある楠正成像と対にして置かれる予定であったという。

八王子市「小山神社」

2011年11月22日 | 神社
小山神社 

鎮座地 裏高尾町1194

祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村民持ち

例大祭 8月第4日曜

解説 
摺差地区の人々によって祀られた祠。

応永18年(1411)鎌倉公方、
足利持氏が下野国の小山隆政を滅ぼした際に隆政の子孫が当地に住みついたという。

その後小山家家臣の峯尾氏によって祀られたため、
かつては峯尾明神社といった。

当時の神体は槍の穂先であったと「新編武蔵国風土記稿」に図解されている。

明和5年(1768)峯尾平右衛門が小山明神社と社名を改めた。

八王子市「御室神社」

2011年11月21日 | 神社
御室神社 

鎮座地 高尾町1889

祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 宝相院

例大祭 6月17日?

解説 
落合地区の人々によって祀られた祠。

享和3年(1803)再建という。

「新編武蔵国風土記稿」には小室明神社とある。

八王子市「熊野神社」

2011年11月20日 | 神社
熊野神社 

鎮座地 東浅川町1105

祭神 素邪那岐命(しきなみのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 村持ち

例大祭 8月

解説 
創建年不明、諸国巡礼中の老夫婦が紀伊国熊野大社のご分霊を祀ったという。

また応安元年(1368)片倉城主、毛利師親の創建ともいう。

例大祭では、市指定無形文化財の獅子舞と湯の花神事が行われる。


摂社にはかつてババア森という所にあり、
京王線の開通で合祀されたお杓子文字様という小祠がある。

杓子をかりてご飯をよそって食べると風邪が治るという。


なおかつては、ババア森の近くにジジイ森もあったそうで、
これは当社を最初に祀った老夫婦に関係のある森であるらしい。


熊野神社の御神木ケヤキとカシ



樫と欅が一緒になって生長した大樹

伝説によると、北条氏照の家臣篠村左近之助の娘、
安寧姫と笛の名手という狭間の郷士の息子とがこの樹下で逢瀬を重ねたという。

この伝説により恋愛に霊験ありということで、
自分と相手の名前を書いた小石を二つ根元に置いて祈願すると相愛になるという。

八王子市「駒木野神明社」

2011年11月19日 | 神社
駒木野神明社 

鎮座地 裏高尾町205

祭神 大日靈貴命(おおひるめのむちのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 百姓持ち

例大祭 11月15日

解説 
駒木野宿森の前の人々によって祀られた祠。

信濃国仁科神明宮のご分霊を遷したという。

江戸時代の除地は5畝。

明和2年(1765)高楽寺法印憲善が社殿を再建している。

八王子市「貴布禰神社」

2011年11月18日 | 神社
貴布禰神社 

鎮座地 南浅川町3062

祭神 貴布禰神(きぶねのかみ)他

旧格式 無格社  

別当寺 安養寺

例大祭 8月1日

解説 
寛永元年(1624)浄土院安養寺開山法印尊盛が山城国の貴船神社のご分霊を遷した。

水神らしく祈雨・止雨に霊験ありという。