雨の日にはJAZZを聴きながら

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Walter Bishop Jr. / Speak Low HQ-CD 仕様 ( 1 )

2008年12月01日 15時42分41秒 | JAZZ

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最近、店頭や雑誌等でやたら目につく  SHM-CD ( Super High Material CD )や HQ-CD ( High Quarity CD ) 仕様の作品ですが、これらはより高品位のポリカーボネートを基盤に使用し、読み取り時に生じるデータエラーを軽減した高音質ディスクのことです。これらのディスクは従来のCD規格内の製品であるため、SACDとは違い通常のCDプレーヤーで再生できることが売りです。

SHM-CD は、ユニバーサル・ミュージックが開発、商標登録したディスクで、最近になってワーナーやBMGなども参入し、リイシュー盤を立て続けに発売しています。

一方、HQ-CDは、EMI ミュージックがこの9月に発売開始したばかりの高音質CDで、液晶パネルに用いられている透明度の高いポリカーボネートを基盤材料に使用している点ではSHM-CDと同様ですが、さらに従来のアルミニウムにかえて特殊合金の反射膜を採用しているところでSHM-CDとは差別化を図っているディスクです。

これらの高音質CDについて、評論家たちは挙って激賞していますが、ネット上では賛否両論があるみたいです。大体、音楽データとしては従来と何ら変わっていないのですから、基盤や反射膜の素材を改良しただけで、そんなに劇的な音質改善効果があるとは到底思えないのですが。

基本的に僕は、< すでにCDで所有している作品に関しては、24bit digital remaster 化されようが、紙ジャケ再発されようが買い直さない > という主義を貫いてきましたが、先日、かつては幻の名盤と賞されてジャズ喫茶で人気のあったウォルター・ビショップ・Jr.の 『 Speak Low 』 の HQ-CD 盤を店頭で発見したのです。

実はこの作品は非常に思い出深い作品です。大学時代にLPで購入し、当時はMDもmp3プレーヤーもなかった時代ですから、当然カセットテープにダビングし、年がら年じゅう聴きまくった作品です。当時僕はベースを弾いていたのでこの作品は絶好の教材でした。なにしろベースのジミー・ギャリソンのベースラインが美しく、しかも図太くデカい音量で記録されていたので、耳コピーしやすかった。しかも収録曲が ≪On Green Dorphin Street ≫、≪ Speak Low ≫、≪ Milestone≫ と練習曲には最適なスタンダードが並んでいるのです。特に当時モード的楽曲でのベースライン作りに苦戦していた僕には ≪ Milestone≫のラインは非常に参考になったものでした。また、≪ Speak Low ≫も弾いてみると意外に難しいコード進行で、つまりはAメロでGm7-C7が8小節続くのですが、ここでケーデンスに則ったラインでは限界があり(当時はそう思った)、やはりモード的手法で音を選んでいった方がラインを作りやすいこともこの作品で知ったのでした。そんなわけで人一倍、本作には思い入れが強かったのです。

閑話休題。そんな愛聴盤ですから、反射的にこのリイシュー盤が目に飛び込んできたのです。そして僕はそのジャケットに貼られていた大きな赤いシールに目を奪われました。

“ この音! 今までの「 スピーク・ロウ 」は何だったんだ? 寺島靖国 ”

過去の LP や CD で発売された音を完全否定する寺島氏。僕はその完全否定された音を長年愛聴してきたのです。寺島氏独特の挑発的誇大表現なのは分かっていますが、でもそう言われちゃ、聴かずにはいられない。本当に音は良くなっているのか、自分の耳で確かめてみようと思い、買って聴き比べてみました。

このような場合まず重要なことは、僕のような平凡なリスナーでもその音質の違いを享受できるか、ということです。雑誌等で記事を書いている評論家諸氏は、高価な再生装置を用いて十分な音量のもとで評価を下しているのです。当然、彼らの耳は素晴らしい感度をもっているわけで、おそらく、そういう好条件下で両者を比較すれば、その差が歴然とするのは想像に難くありません。

しかし、問題は僕自身が感じるか否かであり、他人の評価など意味がありません。合計150万円程度の平均的オーディオシステムで、マンション住まい。そして元来音質に無頓着な性格の僕が、その差異を体感できなければ、いくら高音質を謳った SHM-CDであれ、HQ-CDであれ、その存在は全く意味を持たないのです。オーディオなんて、所詮、個人的世界の中で繰り広げられる妄想のようなものですから。

つづく