主人は神、召使いはゴーレム。 『ウッツ男爵』

本日の召使 : マルタ(ウッツ男爵の召使い)
『ウッツ男爵』 ブルース・チャトウィン・作 池内紀・訳
文藝春秋 1993年(原題 : UTZ)より―




図書館に並ぶ小説の背表紙を眺めながら歩いていると、
ふと、“男爵”の文字が目に留まった。
「男爵が主人公ならば、召使いも登場するかも」

召使いアンテナは生きているようだ。良書にめぐりあった。

不思議な、魅力的な、小説です。

舞台はチェコの首都プラハ。
時は「プラハの春」をはさむ冷戦下。
個人の私有財産保有を禁ずる共産主義体制の下、マイセン磁器の人形の魅力に憑りつかれ、国内外からせっせとやきものを蒐集し続けた風変わりな男がいた。
その名は、ウッツ

のっぺりとした特徴のない顔。
別れたあと、口ひげがあったかどうかも思い出せない。
ユダヤの血をひく。カフカを神のごとく崇拝している。
本当に男爵の爵位を持っているのかは、不明。
「ウッツ」という言葉には、「飲み助」「トンマ」「イカサマ氏」「駄馬を商う馬商人」の意味がある。

秘密警察の監視、言論への抑圧、国家による芸術品の押収―
冷戦時代のチェコ社会を描きつつも、
物語の話者である作家“私”に向かってウッツが語るペダンティックな挿話には、
錬金術、人造人間ゴーレム、賢者の石、巨人―
中世の面影を色濃く残す、神秘の都市プラハに似つかわしいキーワードが、
キラキラと散りばめられています。

訳者の池内紀氏はあとがきで、
「都市プラハが『もう一人の主人公』の役まわりにある」と述べています。

私はもう一人、「裏の主人公」を挙げたい。
それが今回の召使い、マルタです。
マルタは変動する社会に生きるひとりの女性、召使いであるのと同時に、
いにしえより伝承された故事・伝説に登場する「召し仕える者」の象徴でもあります。

 マルタの救世主、ウッツ。

孤児であったマルタは、農夫の家畜小屋に身を寄せ、飢えを凌いでいた。
一羽の雄の鵞鳥に恋していた。
おとぎ話、鵞鳥に変えられた王子さまの物語を信じていたのだ。
人気のない明け方には、湖で鵞鳥と一緒に泳いだ。

頭の弱い娘と思われていた。

生活が一変したのは、1930年代の終わりの、ある日のこと。
村人がずぶ濡れのマルタを追い掛けまわしていた。
偶然、車で通りかかったウッツが、車を止め、娘に言った。
「お乗り」
車が屋敷に戻ると、マルタはそこで家事を手伝うこととなった。

マルタには生活力があった。食糧難の折にもその才覚を発揮した。
闇市や、田舎の人々との人脈を利用して、どこからともなく食料を調達してくる。
どこから手に入れた、と主人が訊いても、曖昧に答えるだけ。

ウッツは、全権を彼女にまかせるようになった。
先々代から仕えていた執事を失った後は、マルタがその代わりを果たした。
戦時下に、やきものを隠した地下室の鍵を託されたのも、マルタただひとり。

主人がなぜ、日常生活での些事にこだわりを示すのか、マルタは本能的に理解し、心得ていた。
ソース入れのソース、糊のきいたカフス、決まったカップで飲む日曜日の珈琲―
これらのささいな事にこそ人生のスタイル、生きる喜びがある。
マルタの気くばりは愛の証明にちがいない。それ知ってもウッツはことさら気にとめなかった。マルタ自身も、それ以上は望まなかった。
(P.117)


ウッツは毎年決まった時期になると、国外の保養地へと脱出する。
体制への不満を募らせ、二度と戻らない腹づもりで発つくせに、
すぐに外国のそうぞうしい温泉街の俗気にうんざりし(なにしろ彼は類まれな審美眼の持ち主なのだ)、ほうほうの体でチェコに戻ってくる。
望郷の念にかられ思い浮かべるは、やきものではなく、マルタのこと。
マルタをひとりで残してきたことに対して、ウッツはわれとわが身を非難した。かわいそうな、善良なあの女。主人を神のごとく尊敬している。
(P.115)


「主人を神のごとく」
主従関係を表わすのに好まれる表現です。
この美しくもありがちな比喩には、しかし、
現実のウッツとマルタの関係―主人とその召使い―とは別の、もうひとつの主従関係が含まれています。
それを説くカギが、人造人間ゴーレムと、マルタの同一性です。

 人造人間ゴーレムとマルタの同一性


ゴーレムとは、ユダヤ古来の神秘思想であるカバラを極めたラビ、レーヴ師が、
モルダウ河の土よりこしらえたとされる、伝説の人造人間。名をヨシュアという。
記憶の能力を持ち、受けた命令を機械的に遂行する。自分では考えない。
命令の与え方を間違えると、凶暴化することもある。

「ゴーレム」はヘブライ語で「不定のもの」「形のないもの」の意。
人間の始祖アダムも、神ヤハウェが「いのちのない粘土の塊」でこねて創りだした、つまりゴーレム。世界を覆うほど巨大化してゆくアダムを、神は人の形に縮めて命を吹き込んだ。
(ゆえにウッツ曰く「アダムは地上の最初の人間であっただけでなく、最初のやきものの人形でもあったわけです。」)

マルタとゴーレムの同一性は、早くもマルタが初登場する章にはっきり表われています。
マルタが、ウッツの住居を訪れた作家の“私”に給仕をする場面です。
お手伝いの女がスワン・サービスの皿を捧げてやってきた。その歩きぐあいがぎくしゃくしていて、まるでウッツが女のゴーレムをつくったかのようである。ウッツがこちらを見すかしたような笑いを浮かべた。
(p.68/ ※太字はブログ筆者による)


ここに、それぞれの、
・神 ― ゴーレム(アダム)
・レーヴ師 ― ゴーレム(ヨッセル)
・ウッツ ― マルタ
創造主と被創造物、命令を与える主人と召し仕えるものとの、
共通する関係性がぼんやりと浮かび上がります。

また、レーヴ師が創造したゴーレム(ヨッセル)は、週日は薪割りや会堂の掃除など日常のこまごまと仕事をしますが、週末の安息日が来ると、ある方法によって、命のない土に戻されます。
一方のマルタも、ウッツが年に一度の決まった時期に国外へと脱出する不在の折には、「ほとんど喪に服しているような」状態となる。

召し仕えるものたちが定期的に迎える<死>の世界。
創造主は、主人は、召使いたちに命を与えもし、また奪いもする。
じつに簡単に。

しかしながら、ウッツとマルタの主従関係は、時代を経て段々と変化してゆきます。
ここで、ネタバレのような無粋な真似はいたしません。
が、この先ふたりの関係がどうなってゆくのかを予想する手がかりとして、
ウッツが語ったゴーレムの伝説の一部分を引用しておきましょう。
ゴーレムは毎日、センチきざみで大きくなる。どうやら、かつて世界を覆っていたアダムの巨大さに憧れているらしい。そのいきつくところ、創造者を踏みつぶし、世界を蹂躙しかねない。
(※太字はブログ筆者による)




では、マルタの召使評価です。

点数は、辛い。
主人に命を握られた
ゴーレムの悲しさか。
訳ありで「主人からの愛情」は
点数3。(項目文参照)


ひかえめ 3
台所の奥にじっと座って、主人を待っている。
その耐える姿が、奥ゆかしさよりも陰気を感じさせる。
頑固な性格も災いしてます。

機転 3
この人は、ひょっとしたら頭脳が生みだす機転の能力とは無縁なのかもしれません。
本能で物事を理解し、愛ゆえに主人の危機を救う。
小細工はいらない。マルタはいつだって真剣なのだ。

献身 5
「食料を手に入れるために何時間も並んだ。主人の喜ぶ顔が見られるなら、何も苦にならなかった。」

何をかいわんや。最高点。

主人からの愛情 3
点数を3としたのは、正しい点数をつけるとネタバレになってしまうので。ニュートラルの点数にしました。

しかし、ネタバレしても、点数をつけるのは難しい(と思う)。
主人と召使いが、男女の組み合わせである場合はとくに。

スタイル 1
「がっちりしたからだつきの女で、見ばえのしない仕事着、頬が赤くて、髪が灰色。」
「いつもの粗末な女中服に黒い靴下。靴下の膝のところには穴があいている。」


さらにつけ加えると、主人よりも背が高く、大柄です。
主人の類まれな審美眼に、マルタの姿はどう映ったのであろう…。

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