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執事たちの足音
等身大・現実の女中 『イギリスのある女中の生涯』
本日の召使 : ウィニフレッド(女中)
(『イギリスのある女中の生涯』シルヴィア・マーロウ著 徳岡孝夫訳 草思社 1994より)
現在の日本で「女中」は差別語です。
しかし、差別語だからといって、簡単に「お手伝い」や「メイド」などの言葉に置き換えてられるものでもありません。(とくに「メイドさん」においては、と強調してみる。)
「女中」には「女中」と呼ぶしかほかに当てはまらない、言葉のイメージがあります。
「女中」に含まれるイメージとは、「厳しい現実」です。
過酷な労働。雇う側と雇われる側の社会的格差。搾取と偏見。
主人の気分しだいで、クビにされるかもしれない恐怖。
この本は、イギリスの女中が、どうしようもなく女中であった、
女中でしかありえなかった時代の、ある「ごく普通の女中」の生涯を綴った実話です。
原題は“Winifred”(ウィニフレッド)
女中としての半生をみずから語った女性ウィニフレッドの名前です。
「十四歳のときです。とうとう恐れていた日がきました。」
ウィニフレッドは14歳で親元を離れ、さるお屋敷へと女中奉公に出されことになりました。
現在なら「たった14で…」と不憫に思うところですが、
当時は奉公に出るのに14歳という年齢は、けっして早くはありませんでした。
ウィニフレッドの数多くいる姉たちは、12、3歳そこそこで奉公に出されています。
ウィニフレッドのお母さんが心配する「執事と若いご主人」うんぬんというのは、つまり、娘が上司や雇い主からセクハラを受ける―まあハッキリ言ってしまえば、「手ごめ」にされる―ことをさしているんですね。
ああ、執事がこんな時だけご主人樣と同列に扱われるとは…。
いいお屋敷での女中奉公が喜ばれるのは、別に待遇が良いからというわけではなく、ひとえに「正しい礼儀作法を身につけられる」点にあります。
教育とはスゴイもので、ウィニフレッドは女中奉公の間に故郷のウィルトシャー弁を忘れ、正しいオックスフォード・イングリッシュを話すようになります。
「家庭教師がそれを話し、その真似をしてしまうからなんです。」
「どこまで続くのかと思うほど長い階段を上り…」
ウィニフレッドが初めて目にした、今日から自分が寝起きする「女中部屋」の描写があります。
お屋敷の裏口から長い長い階段を上っていって、たどり着いたはお屋敷のてっぺん。つまり、屋根裏部屋です。
メリケン粉の袋、ですよ。みなさま。
ウィニフレッドが奉公したお屋敷はかなり広大な土地を所有するたいへん裕福な家であったにもかかわらず、この待遇です。
早朝から深夜までコマネズミのように働いて、食事は肉のかけらも入って無いうすいスープ(ご家族が蒸し鶏を召し上がれば、召使たちは蒸すのに使った「お湯」を煮詰めたスープを飲む)、なのに給料はたったの週1シリング(=12ペンス)。
当時は6ペンス払ってサイレント映画が観られたそうですから、映画を二本観れば消えてしまう金額です。
女中は女中。耐えるしかなかった、と言えばそれまでです。
しかしウィニフレッドは、身分が上の人間に対してなんでもかんでも服従したわけではありません。
「ウィニフレッド、ブーツを脱がせなさい」「嫌です」
このウィニフレッドという女性は、物事に動じない性格なんですね。
行間にもその「芯の強さ」がにじみ出ています。
過酷な労働に耐え続けるだけでなく、納得できない命令に対してはきぜんとした態度を示す。
それがたとえ自分より身分が上の者からの命令であっても。
ウィニフレッドは、御当家のオリブという令嬢からたびたび嫌がらせを受けます。
ウィニフレッド曰く令嬢オリブは、
「常に自分のほうが身分が上であることを示そうとしている人でした。」
ときにウィニフレッド、14歳。オリブは12歳。
ある日、乗馬を終えたオリブが泥だらけのブーツを履いたままキッチンに入ってきました。
何度もいいますが、ウィニフレッドは当時14歳です。
たった14歳の少女が、年下の女の子に“ノー”と答えるだけで、明日のパンを失う瀬戸際に立たされてしまう。なんという社会的な身分の格差。
嫌です、と言い切ったときのウィニフレッドの苦しみは、如何ばかりか…。
この回想記を読むと、女中とは、もういやになるほど「女中」でしかないのだなと痛感させられます。
記された事実は過酷ですが、しかし、出版当時98歳にたっしていたウィニフレッドの、昔を思い出しての語り口がじつに爽やかでテキパキとしているので、読んでいて小気味よいです。
(※次回はひきつづきウィニフレッドの回想記から、
「等身大の女中から見た、執事の姿」をテーマにとりあげる予定です。)
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(『イギリスのある女中の生涯』シルヴィア・マーロウ著 徳岡孝夫訳 草思社 1994より)
現在の日本で「女中」は差別語です。
しかし、差別語だからといって、簡単に「お手伝い」や「メイド」などの言葉に置き換えてられるものでもありません。(とくに「メイドさん」においては、と強調してみる。)
「女中」には「女中」と呼ぶしかほかに当てはまらない、言葉のイメージがあります。
「女中」に含まれるイメージとは、「厳しい現実」です。
過酷な労働。雇う側と雇われる側の社会的格差。搾取と偏見。
主人の気分しだいで、クビにされるかもしれない恐怖。
この本は、イギリスの女中が、どうしようもなく女中であった、
女中でしかありえなかった時代の、ある「ごく普通の女中」の生涯を綴った実話です。
原題は“Winifred”(ウィニフレッド)
女中としての半生をみずから語った女性ウィニフレッドの名前です。
「十四歳のときです。とうとう恐れていた日がきました。」
ウィニフレッドは14歳で親元を離れ、さるお屋敷へと女中奉公に出されことになりました。
現在なら「たった14で…」と不憫に思うところですが、
当時は奉公に出るのに14歳という年齢は、けっして早くはありませんでした。
ウィニフレッドの数多くいる姉たちは、12、3歳そこそこで奉公に出されています。
「両親には、娘を家に置いておくような余裕なんてありませんから、一定の年齢になれば知っている唯一の職業―つまり女中になるわけです。女中以外の働き口など、考えてみることもしなかった。 辛い、厳しい女中の生活が当然だと思っていたのです。」 (第一章「少女時代・きょうだいたち」より引用) |
「母は喜びました。いいお屋敷で、ちゃんとした職で、しかも若様がいらっしゃらない。執事と若い御主人が母の最大の心配事だから、これは理想的な状況です。きちんと行儀作法を仕込まれた先輩の女中に、正しく教育してもらえるというわけです。」 (第三章「女中の生活・奉公に出される」より引用) |
ウィニフレッドのお母さんが心配する「執事と若いご主人」うんぬんというのは、つまり、娘が上司や雇い主からセクハラを受ける―まあハッキリ言ってしまえば、「手ごめ」にされる―ことをさしているんですね。
ああ、執事がこんな時だけご主人樣と同列に扱われるとは…。
いいお屋敷での女中奉公が喜ばれるのは、別に待遇が良いからというわけではなく、ひとえに「正しい礼儀作法を身につけられる」点にあります。
教育とはスゴイもので、ウィニフレッドは女中奉公の間に故郷のウィルトシャー弁を忘れ、正しいオックスフォード・イングリッシュを話すようになります。
「家庭教師がそれを話し、その真似をしてしまうからなんです。」
「どこまで続くのかと思うほど長い階段を上り…」
ウィニフレッドが初めて目にした、今日から自分が寝起きする「女中部屋」の描写があります。
お屋敷の裏口から長い長い階段を上っていって、たどり着いたはお屋敷のてっぺん。つまり、屋根裏部屋です。
「部屋には、小さな窓が一つあるきり。天井もなく、屋根の木組みが丸見えです。絨緞の敷いていない、むき出しの床には洗面器と水差し、それとミリー(注:同室の女中)が戸外作業用の服を入れているブリキ箱だけです。小さいベッドが一つ。ベッドもシーツもミリーと共用です。あとで分かったが、そのシーツというのはメリケン粉の袋を縫い合わせたものでした。」 (第三章「女中の生活・一シリングのお給金」より引用) |
メリケン粉の袋、ですよ。みなさま。
ウィニフレッドが奉公したお屋敷はかなり広大な土地を所有するたいへん裕福な家であったにもかかわらず、この待遇です。
早朝から深夜までコマネズミのように働いて、食事は肉のかけらも入って無いうすいスープ(ご家族が蒸し鶏を召し上がれば、召使たちは蒸すのに使った「お湯」を煮詰めたスープを飲む)、なのに給料はたったの週1シリング(=12ペンス)。
当時は6ペンス払ってサイレント映画が観られたそうですから、映画を二本観れば消えてしまう金額です。
女中は女中。耐えるしかなかった、と言えばそれまでです。
しかしウィニフレッドは、身分が上の人間に対してなんでもかんでも服従したわけではありません。
「ウィニフレッド、ブーツを脱がせなさい」「嫌です」
このウィニフレッドという女性は、物事に動じない性格なんですね。
行間にもその「芯の強さ」がにじみ出ています。
過酷な労働に耐え続けるだけでなく、納得できない命令に対してはきぜんとした態度を示す。
それがたとえ自分より身分が上の者からの命令であっても。
ウィニフレッドは、御当家のオリブという令嬢からたびたび嫌がらせを受けます。
ウィニフレッド曰く令嬢オリブは、
「常に自分のほうが身分が上であることを示そうとしている人でした。」
ときにウィニフレッド、14歳。オリブは12歳。
ある日、乗馬を終えたオリブが泥だらけのブーツを履いたままキッチンに入ってきました。
「ウィニフレッド、ブーツを脱がせなさい」 「嫌です」私は断りました。 「すぐ脱がさないとママに言いつけるから」 「どうぞ言いつけて下さい」 居合わせたコックは、びっくりしました。小さい声で「おっしゃるとおりにしなさい。クビになるかもしれないよ」と言います。でも私は動きませんでした。 (中略) とうとう奥様がキッチンまでお出ましになりました。泥のついたブーツは家の外で脱ぐのが常識でしょ、というお小言です。だが私にもお叱りがありました。 「なぜオリブのブーツを脱がせてやらなかったのですか」 「オリブ様の口のきき方が、許せなかったからです」 オリブはじたんだを踏みましたが、仕方ありません、裏口から出ていきました。 (中略) 私は子供にまで主人ヅラされるのが耐えられなかったのです。給料をもらって御主人の命令に服従するのと、子供に威張られるのとは何の関係もないのですから。 (第三章「女中の生活・一シリングのお給金」より引用) |
何度もいいますが、ウィニフレッドは当時14歳です。
たった14歳の少女が、年下の女の子に“ノー”と答えるだけで、明日のパンを失う瀬戸際に立たされてしまう。なんという社会的な身分の格差。
嫌です、と言い切ったときのウィニフレッドの苦しみは、如何ばかりか…。
この回想記を読むと、女中とは、もういやになるほど「女中」でしかないのだなと痛感させられます。
記された事実は過酷ですが、しかし、出版当時98歳にたっしていたウィニフレッドの、昔を思い出しての語り口がじつに爽やかでテキパキとしているので、読んでいて小気味よいです。
(※次回はひきつづきウィニフレッドの回想記から、
「等身大の女中から見た、執事の姿」をテーマにとりあげる予定です。)
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