高野虎市遺品展に行ってきました! その②

さて、前回のつづきです。

前回記事はこちら。
高野虎市遺品展に行ってきました! その①

前回は特別トークイベントの話だけで終わってしまいましたので、今回は肝心の展示内容にも触れたいと思います。

 高野虎市さんの鞄

一番印象的だったのが、遺品展コーナーに入ってすぐの「高野虎市愛用の鞄」です。

鞄はふたつ。旅行用の大型のものと、それと同型のやや小さめの。
キャメル色の革製。
それらは、ライトアップの下であたたかい色合いを放っていました。

近づいて、じっくり眺める。

持ち手の部分を見ると、革の擦り切れた跡がある。
高野さんが握っていた、高野さんの「手ずれ」だ。
高野さんの手を想像して、ガラス越しの鞄がとつぜん生々しく感じてくる。

ハッと気づかされたのが、
バックルの辺りに刻印された “T.K.” のイニシャル。
(わ、おしゃれ…)
こいつぁ単なる一介の秘書が持つようなシロモノじゃない。タダ者ではないゾ、の匂いが革鞄から放射して匂ってくる。いや、実際はガラスケースの中に置かれているのだから匂ってくるはず無いんだけど、やっぱりそんな気がするんである。

生モノが与える印象は、強い。

これは後にトークイベントでの話で知ったことですが、高野虎市さんの実家はかなりの分限者なんだそうです。
アメリカへ移民したと聞くと、どうしても「貧しさゆえに海外へ脱出した」というようなイメージがあるのですが、高野さんは広島の故郷において「実費で渡航した第1号」だそうです。
故郷にいた若い頃の高野さんはとんでもない「不良少年」で、学校をサボり、お父さんの竹林から竹を切って売りさばき、そのお金で芸者遊びをしたことも―って、えっ、渡米したのは15歳だから…そんな歳でもう!?
いやはや、素地が違う。こりゃ野暮になりようがない。

 ヒコーキ野郎・高野虎市

トークイベント終了後に、東嶋さんと大野氏が観客と一緒に会場をまわりながら展示品の解説をして下さいました。
東嶋さんが最初に足を止めたのは、一枚のパネル写真。小型飛行機の機体に肘をかけてポーズを決めている若き日の高野さんの姿。得意げな表情だ。
かつて高野さんが語った飛行機にまつわるチャップリンとの思い出話を、東嶋さんは私たちに話して下さいました。

高野さんはチャップリンと出会う前に、航空機の操縦免許を取っていたそうです。
で、ある日、飛行機を操縦する機会があって、チャップリンに「乗ってみますか」と誘ったが、答えは “No.” ところがその時一緒にいた女優(兼・愛人)さんが「ぜひ乗りたい!」とはしゃいだので、渋々オーケーした。

さて、飛行機に乗り込んだ3人。座席に着くなりチャップリンは前の操縦席の高野さんに「おい、大丈夫か」と訊いてきた。ここで高野さん、一計を案じた。いつも「高野、お前はクビだ」とよく脅されるから、ひとつ仕返しのつもりで驚かしてやろう。

地を蹴って大空へ飛び立つ飛行機。高野さんは空中でわざと機体を揺らして操縦した。絶叫するチャップリン「高野、大丈夫なのか!?」 高野さんはとぼけて「こうやったかなー? ああやったかなー?」レバーやら何やらをガチャガチャ。

阿鼻叫喚の後部席。やっと地上へ無事に着陸すると、チャップリン、飛行機を降りるやいなや「高野、お前はクビだ!!」 プリプリ怒って帰ってしまった。

あとに残された高野さんと女優。さっきはとても恐かったワと言う彼女に「じつは…」と打ち明けると、彼女は大喜び。「おかげで大物俳優に抱きつかれたわ!」非常に感謝されたそうだ。

…もう、喜劇の一場面のようです。
(ちなみに、「クビだ!」と言われた五分後には、もう高野さんを呼び出す電話がチャップリンからかかってきたそうです)

えー、まだまだお伝えしたいお話があります。また次回つづけます。
次回は、わたしが一番印象深く感じた、東嶋さんの発言について。それは、

「高野はチャップリンの…(やや言い淀んで)…あれですから」

<あれ>とは、いったい?
次回につづく!
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