高野虎市遺品展に行ってきました! その①

えー、行ってまいりました。高野虎市遺品展。

没後30年記念 チャップリンの日本 チャップリン秘書・高野虎市遺品展
(開催期間: 2007年10月30日(火)~12月27日(木)まで)

小スペースながら、いやぁ、とっても内容の濃い展覧会でした。
とりわけ11月3日に行われた特別トークイベントは、高野さんがチャップリンの秘書をしていた時代の面白くて貴重なエピソードが次から次へと展開し、心の中の「へえっ」「ほう」「ふふっ」驚きと微笑のあいづちが途切れず、あっという間の1時間でした。
今回はそのトークイベントで語られた中でわたしが特に印象に残った、運転手・秘書時代の高野さんのエピソードを、手元に残ったメモを頼りにつづってみようと思います。

特別トークイベントは、
・東嶋トミエさん(高野虎市さんの晩年の14年間をともに暮された夫人)
・下村ますみさん(東嶋さんの姪)
聴き手としてチャップリン研究の第一人者、大野裕之氏を交えて行われました。

生前の高野さんが語ったチャップリンとともに過ごした思い出を、ずっと心に留めていた東嶋トミエさん。美しい白髪の、上品な老婦人…っといった感じの方でした。おっとりした雰囲気とうらはらに、非常に歯切れのよい広島弁で数々のエピソードをハキハキと語って下さいました。

 チャップリンとの出会い―運転手採用の面接

高野さんはチャップリンが運転手を探していると聞き、面接を受けて採用されたわけですが、面接に来た人は他にもたくさんいたそうです。
チャップリンは高野さんの採用を即決。
大野氏によると、反日感情のあった当時の社会(日本からの移民の多くは、レストランの皿洗いなどの薄給労働に就いていた)の中で珍しいとのこと。おそらくチャップリンは「日本人だから―」というような差別意識は持っていなかったのでは、と。(もともと小泉八雲『怪談』を読んで以来、日本に興味は持っていた)

高野さんはかなりスピードを出す運転が好きだったそうで…
それをまたチャップリンが「追い越せ、あれを追い越せ」と指示するものだから、猛スピードで他の車をグングン抜いて走ったそうな。
性が合っていたんですな、ふたり。

チャップリンから全幅の信頼を得た高野さんは、事務所の経理からチャップリンの身の回りのすべてを任されるようになります。また高野さんを通じて日本、および日本人に対する親しみと信頼感を深めたチャップリンは、次々と日本人の使用人を雇い、もっとも多い時は何と17人もの日本人の使用人がいました。

 冷蔵庫事件

ある日、台所の冷蔵庫を覗いたチャップリン。中に肉がぎっしり詰まっているのを見て「なんでこんなにあるんだ!」と激しく怒ったそうです。幼少の頃に極貧生活を送り、その辛さが身にしみついているチャップリンの目には「肉の詰まった冷蔵庫」はとんでもない贅沢に映った。大所帯の使用人の数からすればこれくらいの量は妥当だと高野さんが説得しても、チャップリンは怒ってきかない。

さて、高野さんはどうしたか?

すぐにもうひとつ冷蔵庫を買って、ひとつを“チャップリンに見せる用”冷蔵庫に、もう一方を“チャップリンに隠す用”冷蔵庫にしたのです。そして按配よく中味を詰め替えた。チャップリンはときどき冷蔵庫を覗いて(もちろん“チャップリンに見せる用”の方)中味を確認し、これでよしと納得したんだそうな。

「思いついたら、ぱっと行動する人だった」とは東嶋さんの弁。
う~んさすが、すばらしい機転だ。

 天ぷら事件―執事は見た!

これはチャップリンが日本を訪れた後の話。天ぷらをいたく気に入ったチャップリンは自宅で「天ぷらが食べたい」と所望したそうだ。
ここはアメリカ。日本の食材を探すのは大変だったが何とか買い集め、高野さん自ら腕をふるってお望みの天ぷらを作って差し出した。
しかしチャップリン、「日本で食べたのと違う」「天つゆの味が薄い」と言う。
東嶋さん曰く、高野さんの調理の腕前はそれほど悪くない、とのこと。
(チャップリンが日本で食べた天ぷらは名店「花長」などのプロの味)

ここでチャップリン、「自分で作る」と言い出した。
で、お任せすると、なにやら「醤油みたいなもの」をドバドバと振りかけた。
「これだ、うまい、うまい」自作をパクついて絶賛するチャップリン。
勧められて一口食べた高野さん。もう辛いのなんの。「これ辛くないですか?」と訊いたが、チャップリンは「うまい」の一点張り。

しかし、高野さんは見た。
その後ひとりで台所に立って、冷蔵庫から取り出した牛乳をゴクゴク流し飲みしているチャップリンの後ろ姿を―。

↑このエピソード、わたし、一番好きです。天才ゆえの気まぐれな性格、完璧主義者(自分の作ったものをけなされるのをイヤがる)の主人・チャップリンに仕える高野さんのご苦労が偲ばれます(笑)
主人の牛乳ゴクゴクの後ろ姿を目にした時、高野さんは「見なかった」ことにして、足音をしのばせて立ち去ったんだろうか…なんて想像したり。

すみません。まだまだお伝えしたいエピソードがたくさんあるのですが、スペースに余裕がないので次回ブログに持ち越します。
でも、最後にひとつだけ。エピソード、ではないのですが…

 広島弁のチャップリン

高野さんは広島県出身、東嶋さんは現在も広島県在住。
東嶋さんは、生前の高野さんが東嶋さんに話した時の語り口を再現するように、生き生きと語ってくださいました。とくに会話の部分は広島弁そのままに。
(私事ですが、自分の父親の出身も広島県。なので話の中でポロッと出てきた「~じゃけんのォ」を耳にして、とても親しみを感じました)

話を聞いていて、いいなぁと思ったのは、エピソードの中に出てくるチャップリンの台詞も広島弁になっていたこと。例えば、
「…ほしたら『おい、高野、お前もうクビじゃ』(とチャップリンから)言われたァ言うてました(笑)」

もちろん高野さんとチャップリンの間で実際に交わされた会話は、ぜんぶ英語だったでしょう。
しかし高野さんが東嶋さんにチャップリンの思い出を語るとき、それは故郷の広島弁になっていたんですね。

そこが、いいなぁ、素敵だなぁと思うのです。

1900年に15歳でアメリカに渡り、1957年の帰郷までアメリカで暮らしていた高野さんが、英語と日本語、どちらがどれほど馴染み深いのか、私には分かりません。
でも、チャップリンが「○○じゃ」とこう言うてた、と広島訛りのチャップリンの台詞を聞くと、チャップリンから言われたことはすべて、高野さんの身体にしみ込んで、血肉となっていたんじゃないか―と、じんわりと温かい気持ちになるのです。

ではまた、次回につづく。
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コメント
 
 
 
おおお! (山橘)
2007-11-13 12:57:20
可愛い!てんぷら事件かわいいです!!

いや、失礼しました。つい興奮してしまって。。レポートありがとうございます!すごいときめきが今、私の胸に…(笑)
ちょっとクビになったときの心中を考え込みすぎていたので、幸せな気持ちになれました。

主従で馬が合うってすごい幸せなかたちですよね。いいな~…
 
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