『でかした、ジーヴス!』③ ブラッシング・ルームは従僕の城

さて、前回記事の続きです。

前回は「従僕にとって主人の服の荷造りがいかに大変であるか」を見ていただきました。
前回記事はこちら
『でかした、ジーヴス!』バーティの服装管理はジーヴスの職務』

今回は、目的地であるカントリー・ハウスに到着した後、従僕がどのように主人の服を管理するのかを見てみましょう。

 従僕の城―ブラッシング・ルーム

さて、カントリー・ハウスに到着しますと、従僕はさっそく荷を解き、主人の大量の衣服をブラッシング・ルームへと運びます。

ブラッシング・ルームとは、従僕やフットマン(バトラーの下に就く下級召使い)が、主人と客人の衣服を整えるために設けられた部屋です。
主人たちが歩きまわる階上の部屋が「表舞台」なら、ブラッシング・ルームはいわゆるバック・ステージの「衣裳部屋」に当たります。
ここで従僕は主人の衣服にブラシやアイロンをかけて、ご主人さまの次の「衣装替え」のための準備をします。
(衣服を階上の部屋に運ぶのはフットマンの仕事)

カントリー・ハウス内部の設備が各部屋ごとに詳しく記述された、
Behind the Scenes: Domestic Arrangements in Historic Houses
(Christina Hardyment著 Natl Trust 2001)を見ますと、
「大邸宅ではフットマンのブラッシング・ルームとは別個の部屋が従僕に与えられていた」そうです。
(「大邸宅」ということは、おそらく、ジーヴスとバーティが暮すロンドンのフラットには、特別にブラッシング・ルームと名がつく部屋は無かったでしょう。きっと)

ちなみにこちらが上記の本。
本文は英語ですが、美しいカラー写真満載で眺めるだけでも楽しい。

(表紙の写真にズラッと並んでいるベルは、
主人が召使いを呼ぶ、あの有名な呼び鈴です。
おお、ヴィクトリアン!)


The Butler's Guide (PAPERMAC,1982)の著者、
バトラー歴53年のStaley Ager氏も「たいていのカントリー・ハウスには従僕が彼専用のブラッシング・ルームとして使うであろう予備の部屋があった」と述懐しています。そして、出入りの激しいフットマンのブラッシング・ルームのドアはいつも開けっ放しであったのに対し「従僕のブラッシング・ルームのドアは、従僕が部屋を離れるときには鍵が掛けられた」そうです。
衣服管理の厳しさが推察できますね。

ちなみにAger氏のお気に入りのブラッシング・ルームは「フットマンのバスルーム」だったそうで、木製の浴槽ふたをアイロン台にして、昼間はそこでもっぱら独りきりで過ごしていたそうです。

ブラッシング・ルームは、従僕がひとり仕事に専念できる「従僕の城」だったのでしょう。

もし部屋に余裕がなく、フットマンのブラッシング・ルームと共有しなくてはならない場合でも、従僕はそのブラッシング・ルームでの「最高位」に立ちました。
Ager氏は言います。
何といっても従僕はフットマンより年嵩であり、経験も豊富でした。従僕は特別な存在だったのです。なぜなら主人の衣服が、彼の職責だったのですから。
もし従僕がフットマンのブラッシング・ルームを使用していたとしても、フットマンのうちの誰一人として、従僕が使用するいかなる物―従僕用のブラシ、あるいはアイロン―を大胆にも使おうなどとする者はいませんでした。それは許されざる事だったのです。
私がブラッシング・ルームを共有しなければならなかった場合には、私はつねに自分用のコーナーを持ち、その中には誰も立ち入らせませんでした。

すごいですね。徹底しています。
それだけ従僕は自分の役割と仕事に誇りを持ち、そしてまわりの召使いたちも彼の仕事に敬意を払っていたのでしょう。

 ジーヴスは、ブラッシング・ルームでどう過ごしたのか?

さて、ここで、わたくしは、ジーヴスのことを想うのです。

『でかした、ジーヴス!』では、もちろん、ジーヴスがブラッシング・ルームでどのように過ごしていたかは描写されていません。
しかし、いやだからこそ、想像したくなるじゃないですか。


ウースター様の衣装を詰めたケースをブラッシング・ルームへ運び入れますと、そこにはすでに他の招待客の従僕たちが集まっており、それぞれディナーの衣装の準備にと、忙しく作業に取り掛かっておりました。

部屋にはジュニア・ガニュメデス・クラブで見知った顔も幾人かおり、その中には特に普段より懇意にしております同輩も居りました。わたくしたちは挨拶をかわし、談笑を交えながら互いの近況を報告し合いました。
他家の領域とはいえ、このたびはわたくしにとってまことに仕事のしやすい快適な環境であったと言えましょう。

わたくしは部屋の中央に据えられた大きなテーブルの一角に自分の領域を定めますと、いつものようにご主人さまの衣服をケースから一枚一枚、ていねいに広げました。

よどみなく軽やかに作業を進めていたわたくしの手を止めさせたのは、他でもない、あの紫色の靴下でした。

その時わたくしの胸に去来した思いは、コメ・セ・タンメルダン、ご主人さまが申されるところの「チッ!」でございました。そして、ひとつ深い呼吸をついた後、覚悟を決して「ご主人さまのお気に入り」をつまみ上げました。

皆の視線が、わたくしの指先にぶらさがった嫌悪すべき色彩の物体に注がれました。この瞬間、部屋の温度が二度ほど下がったように思われます。

まわりをぐるりと見渡しますと、全員が一斉に目を伏せました。

ある者は、今まで脇目もふらずに専念していたといわんばかりにシャツの襟にアイロンをこすりつけていました。
またある者は、繊細な細工を施したカフスボタンを着けながら、あんな靴下を主人が履くのを許すつもりかねと言いたげに、同業者ならでは厳しい非難の低い咳払いを送って寄こすのでした。

つむじが覗けるほど下に向けた頭が並ぶなか、ゆいいつ顔を上げていた懇意の同輩と目が合いますと、彼はわたくしを見つめたまま、ゆっくりと首を左右に振りました。

その振舞いから彼の考えを推察いたしますれば、答えはふた通りございます。
「ソノ色ダケハ、イケナイ」もしくは「アキラメロ」


…このへんで、止めておきます。ストップ妄想。

※本文中、参考文献からの引用文はブログ筆者countsheep99の翻訳です。
(原文はすべて英語です)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
面白そうな (Y2S)
2006-12-26 00:22:56
本ですね♪
ようやく「でかした」を読み終わり、こちらに遊びに来ました。
ブラッシングルームかあ、なるほど。
映画「ゴスフォード・パーク」の舞台、カントリーハウスの階下を思い出しましたです。

countsheep99さまの妄想アワー、面白い・・・いえ、素晴らしいです。だって、ちゃんとジーヴス・ワールドなんですもの。
 
 
 
妄想アワ~♪ (countsheep99)
2006-12-28 11:04:14
ジーヴス・ワールドになってますか。はぁ~よかった(笑)。
しかし…本を読むのが遅いのは、途中で妄想アワーが始まってしまうからだと、いま気づきました(笑)。

ジーヴスはとくに謎の多い人物なので「バーティに部屋に呼ばれてすぐさま現れる彼は、どこでスタンバイしているんだろう?」
ページをめくる手を止めて、ぼんやり。
30分くらい経ってたりします。

カントリー・ハウス関係の本にはよく「邸宅の間取り図」が載っています。

それを眺めるのが、楽しいんですねぇ。

キッチンとダイニング・ルームが長~い廊下で隔てられている(領主の方々は調理の匂いを嫌って、食卓から遠い場所にキッチンを設けました)図を見て、
「あー、フットマンたちは料理が冷めないように運ぶの、大変だったろうなぁ…」
思いを馳せるのです。

「ゴスフォード・パーク」を観たときは、頭に描いていた想像図が立体で現れたようで、うれしかったなぁ。
 
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