使用人の手

本日の召使 : グリート(メイド) 映画「真珠の耳飾りの少女」より

―あらすじ―
17世紀オランダ、バロック時代。
少女グリートは貧しさから画家フェルメールの家に奉公に出る。
天性の色彩感覚が主人フェルメールの目に止まり、やがて主人の仕事を手伝うことに。
主従の関係を保ちながら、しだいに心を通わせてゆくふたり。
そしてグリートは絵画「ターバンの娘」(「真珠の耳飾りの少女)のモデルとなる―


メイド好きとしての見所は、何といっても「アカギレてゆく手」だろう。

最初のシーンで、グリートの手のアップが映される。
自宅の台所で野菜をきざむ、それはそれは真っ白な手。
まさに「陶器のような白い肌」。
指の形も華奢で、ほっそりと品がある。

その手が、フェルメール家に奉公に出たあと、次第に赤くひび割れてゆく。

煮えたぎる大釜で負ったヤケド。
床磨きの冷たい水。素手で掴むタワシ。
何枚もの汚れたシーツを、洗濯板でひたすらこする…。

「貴婦人の傷ひとつない白い手は、宝石を飾るためにある」
そんな時代の、家事労働を一手に引き受けていた使用人の手。

こんなふうに痛々しかったんだろうなぁ。
画面の中に飛び込んで、手を取ってクリームを塗ってやりたくなる。

当時の使用人の手が、実際にどのようなものだったか?
「こんな手だった」記録は残されているのか?

支配階級にとって、使用人自体が「気にもとめない存在」なのだから、
レディが「あのメイドの手といったら、あーみっともない」なんて
わざわざ日記や手紙に書き残すはずもなく、
字も書けない使用人たちは、言わずもがなである。

でも、きっとこんなふうな手だったに違いない。
グリートの手と、主人フェルメールの手が触れ合うシーンが、
それを物語っている。

絵具で汚れた主人の手は、労働でアカギレたメイドの手と、じつに似通っている。

画家を職業とする以上は、
絵画の依頼主であるパトロン(=主人)に気に入られなければならない。
でないと注文が断たれ、路頭に迷うハメになる。
グリートもフェルメールも、社会的地位は違っても、
「主人に従わなければ生活してゆけない労働者」であるのは同じだ。

立場は違えど、同じ「仕える身である」ふたり。
ふたりの手の類似は、<使用人の手>の象徴なのだ。


ストーリーとしては途中、メイドもの定番?の「お嬢様のイジメ」もあったりして、
そのイジメられっぷりが、メイド好きにはたまらないでしょう。…たぶん。

関連リンク
絵画「青いターバンの娘」(「真珠の首飾りの少女」)(CGFA) 
どんな絵だったっけ…? という方はここで再確認。
映画「真珠の首飾りの少女」紹介(GAGAコミニュケーションズ)
 くわしい映画紹介。当時の社会背景の解説もあり。画像がきれい!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 桜と鯛と侍従 パスパルトゥ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。