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クリエイト速読スクールブログ
なおしのお薦め本(91)『小さなたから』
昭和6年生まれの著者が、幼い頃を思い出して書いた約80編。東京新聞に連載されていたものだそうです。
装丁・装画が安野光雅だったので手にしたのですが、拾い物でした。
では「羽織の中」という一編を引用します。
「『まあお寒くなりまして』
『ほんとに、心細いようでございます』
『順子さん、大きくなられて。ついこの間まで赤ちゃんだと思ってましたのに、もうすっかりおねえさんですこと』
だから、この小母さんは苦手だ。すぐ赤ん坊だったときのことを話し出し、おむつを漏らしたことまで聞かせてくれる。その上、いつまでもいつまでも、長々と母を引き止める。母が用事にかこつけて話を切りあげようとしても、それからそれと切れ目なく立ち話を続けてゆく。
『はあ、おかげさまで』
合間合間に軽く頭を下げながら『それでは』と母が言うと『ああ、それからあの』と続くのである。
母の袖を下へ引いた。もう行こうよと合図したつもりだったのに、母は小母さんに気付かれないように、袖のかげで私の手をちょんとはたいた。
風がつめたい。母の左側から羽織の中へ入った。中は薄暗く、温かだった。母の腰を手で巻き、着物に顔をすりつけて目をつむり、そろそろ歩いた。
右側へ出た。つむった瞼に日の光がわかる。今度は反対からやろうと向きを変えると、母の手が伸びてきて、手首をつかまれた。
『それでは皆様によろしく』
やっと終わった。」
もしよろしければ次の一編「紙芝居」もどうぞ。
「カチコチと拍子木を鳴らして毎日紙芝居が廻ってくる。長年働いて角々がささくれてしまった拍子木は鈍い音で子供たちを集めた。
拍子木の音は子供たちが遊びをやめる合図でもあった。鬼ごっこの鬼ですら『タンマ』の一言で抜けてしまって、紙芝居の周りに集った。
おじさんに見物料の小銭をわたすと、ザラメのついた飴ん棒をくれた。手に手に持った飴ん棒を舐めて、先を尖らし、誰が一番細く尖んがらせたか競争した。
子供たちの舌は粗悪な飴の色が移り、赤や緑に染っていたが、その舌も出して誰が一番濃い色か見せ合った。
小さい子の後ろに大きい子、その後に子守っこと自転車の荷台に据えた舞台を囲むと、『きのうのつづき』が始まった。正義の味方、太郎がやられる場面である。拍子木をパンパパーンと打ちつけ、太鼓をどろどろどんどおーんと響かせて、ツイセキやカクトウになると、お客は飴を舐めるのも忘れて、一心に見物した。
最早、絶体絶命のクライマックス。ボール紙の絵は激しく上下し、太鼓もここぞとばかり響きわたり、一層声張りあげたおじさんは、妙な節をつけてしめくくる。
『あぁー、太郎の運命はどうなるでありましょうかぁー。あとはまたあしたのお楽しみ』」
このほかにも昭和の風物詩がいろいろと紹介されています。
最後に紹介するのは、また母親との話です。「足音」という題です。ではどうぞ。
「『そんなききわけのない子は嫌い』いつになく強い調子で言うと、母はお使いに出掛けてしまった。
ちょっとそこの角まで、用足しに行くのだから、急いですぐに帰ってくるのだからと、やさしく言うのに甘えて、図に乗り、いやだいやだと、からみついた。
気分が悪くて、何をして遊んでも、じきに飽きて疲れて、母の膝の辺へくっついてごろごろ横になっていた。熱っぽいから家でお待ちと言われているのに、少しの間も、母がいなくなるのが嫌だったのだ。
今日はどういう訳か大人たちは誰もいなくて、母が出掛けた後、戸を閉めた家の中は静まりかえっていた。
母のぬくもりの残っている座布団に寝そべると、目の前に、薄汚れてもつれた、とじ糸の房が見えた。
とじ糸はだんだんぼやけて太くなり、涙が低い鼻を超えて、座布団へしみてゆく。
悪い子と叱られたのではない。〝嫌い〟と言った。母が私のことを嫌いと言った。
柱時計の時を刻む音が、響いて、響いて、部屋全体が、大きな時計に変る。
かたかたかた、急ぎ足の、下駄の音が聞えたような気がした。
耳が飛んで行った。戸の開く音といっしょに、いつものやさしい声が聞えた。『順子』」
おおげさに書かなくても気持ちを伝えることはできる、という良い見本だと思います。 なおし
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「悪い子と叱られたのではない。〝嫌い〟と言った。
母が私のことを嫌いと言った。」
この部分がはっきりと記憶に残っています。
当時はあまり考えていませんでしたが、
今読んでみると、なおしさんの最後のコメントが
しみじみと伝わってくるものですね。
(ちょっと大人になったのかも。今さらですけど)
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