教室のこと・速読のこと・受講生のスコア・SEG講習生のスコア等々について書いています。
クリエイト速読スクールブログ
反復練習が嫌でなくなってきました。つい最近まで練習が嫌で嫌でしかたありませんでした
演芸関係者Kさんの受講70回~100回目アンケートと最新スコアです。
Kさんは、2015-06-27「メタ学習の場所だなあ」というユニークアンケートを書いたひとです。
今回の受講70回・80回目アンケートも、Kさんワールド全開であります。
「Kさんの受講70回目アンケート15/5/20」
マイナス・ありません。
プラス・景色をことばで認識できた。5月下旬の昼、家の居間でリクライニングチェアに体をあずけてぼーっとしていた。ら、だしぬけに景色がことばでわかってしまった。情景描写として把握できてしまった。百聞は一見に如かずである。しかしそのときは一見が百聞だった。視野全体からことばが自分にむかってきた。弓兵の大群が一斉に矢を射ってくる場面に似ていた。矢の一本一本が描写だった。度肝を抜かれた。十何年も見ている景色なのに、こんなことは初めてだった。いつもなら、目に見えているものは目で見たように映像で見えている。見ればわかるのでいちいちことばにすることはない。ところがいちいちことばだった。部分部分が文字に見えたわけではなく、部分部分に文字が重なって見えたわけでもない。見えている品物の一つ一つに意識をしぼって名前をならべていくのとも違った。飛んできたことばは名詞と、名詞と名詞が接続詞で結ばれたものだった。後者では、◯◯に◯◯、◯◯の◯◯、◯◯から◯◯ 、が多かった。景色の描写化は顔の向きを変えても続いた。頭の中が暴走している感じが怖くなり、目を閉じた。一分ほどして目を開いたら描写化はおさまっていた。目の前が、目で見たように、映像で見えた。イメージ記憶訓練の際、最近はイメージを思い浮かべようと意識しなくても、文字を見ればたいていすぐに思いつく。手順が自動化されてスムースになっていることも自覚している。自動化されすぎたことにより、逆向きの展開がおこなわれてしまったようだ。先に言っておいてくれれば怯えなかったのに、どうやら自動化されて私の意識とは無関係になってしまったらしい。暗算名人が計算する気がなくても数字を見たら解を出してしまうように、英語を習得した人が英語を日本語に置き換えることなく英語で理解できるように、見たものすべてを文章化してしまう人もいるのかもしれない。あの状態の二度目はまだない。それでも訓練をつづけていれば、意識的に目に写るものすべてをひとかたまりの文章として把握できる日がくるのではないか。私は意欲に燃えている。
・イメージの突風が吹いた。6月上旬の夜、自室で机にむかって読書していて、深い集中状態に入っていた。ら、万歩計という単語が見えた瞬間、本のむこう側から万歩計に関する記憶、それもまったく忘れていた些細な場面の連続が、一気に私を包みこみながら通りすぎた。10以上もある記憶の場面が時系列に関係なしに、つぎつぎ通りぬけていった。巨大扇風機の前で太い強風に耐えているような感覚だった。あまりの風圧に吹き飛ばされるんじゃないかと思った。吹き飛ばされたら椅子ごと後ろの窓ガラスに叩きつけられ、ガラスを突き破り、空中に投げ出され、月の光に照らされながら空中で一瞬浮かび、途端に落下し、地面に激突し、横たわる私に椅子とガラスの破片が降り注ぎ、一巻の終わりである。 歯をくいしばる。本をつかんでいる両手に力が入る。目を細める。唇と歯茎のあいだに入りこんだ風のせいで、口が中から膨らんでるじゃないかと思うくらいだった。風がすぎた。なんとか耐えた。あとから考えると数秒だったらしい。けれども体感時間では15分はあった。突然のことに、耐えるだけで必死だった。その最中は何が何だかわからなかった。見えた場面の印象が、ぼんやり残っているだけである。しかし明瞭な立体映像が高速で通りすぎる内側にいた感触は忘れられない。単語を見るなり自動的に記憶の検索と再生が開始されて、場面の強風が発生してしまったようだ。起こってしまったことはしかたがない。けれども私に断りなく開始するのはやめてほしい。とはいえ自動的におきるのが自動化だから、打つ手なし、お手上げである。ことによるとアルベルチーヌの恋人が、プチット・マドレーヌを紅茶にひたして口に運んだときの感覚もこういうものだったのかもしれない。ならば私はそうするつもりもなかったのに、スワン家のほうへ一歩ふみだしていたことになる。この状態も二度目はまだない。それでも本を読んだりマドレーヌを食べたりしていれば、また体験することもあるのではないか。記憶とは何か、意識とは何か、ことばとは何か、マドレーヌとは何か、興味関心は広がるばかり。意欲で私は火柱である。
「Kさんの受講80回目アンケート15/9/29」
マイナス・ありません。
プラス・自分で自分の思考に気づいて、思考を方向転換できるようになってきました。2週間ほど前の夜、コンビニに行きました。入った途端に段差でずっこけ転倒です。あっ、と思うまもなく左肩。にドスンと衝撃。続けてガツンが頭頂部。うげ。と自分の喉から飛び出た声が私の耳に飛び込みました。横向きに投げだされた体を仰向けにしたら、床の冷たさが背中の熱を吸いはじめました。視界には、蛍光灯のならぶ天井が広がってます。コンビニの蛍光灯の明るさを改めて認識しました。でも明るすぎて見てられません。光をさけて目玉を頭のほうに向けると、スロープ用の手すりがまっすぐ、景色をふたつに区切ってました。私の頭のすぐそばから、手すりに向かって細い支柱が伸びてます。この支柱と頭が作用反作用でガツンうげ、したんだなあ。いってー。と頭をおさえて立ち上がり、細い支柱をにらみつけたら、ななめうしろに誰かの気配がありました。ふりかえると、険しい表情で頭をおさえた男の人と目があいました。なんと。彼のひたいの下手側から頬まで流れた一筋の赤。えっ、なに!、とよく見たら、彼は鏡面仕上げの柱に映った景色の中の私でした。えっ、なに!、なにこれやだうそ革命の色した液体が私から出発進行してるじゃないの、どんだけ~!、と叫びそうになりました。叫びませんでした。頭をおさえていた手を離して自分の視野にさしこみました。鮮やかに、染まってました。この手をヒラヒラさせたら牛が突進してくるんじゃないか。ってほどではなかったので、しばし手拭いで頭をおさえていたら、大サービスはおさまりました。おさえながら、ああ怪我だなあ、病院に行くのめんどく、まで考えたとき、いや違う、と思いました。鏡面仕上げの中の男の頭の上に、急に電球があらわれました。光りました。ひらめきました。こ、これは、行ったことのない病院で診察が受けられるチャンスや、チャンスでんがな!、私の心はにわかに活気づきました。ウキウキワクワク翌日です。朝一番で脳神経外科に頭を持ち込みました。CTスキャンに寝そべりました。診察室で、輪切りの私の画像を見ている医師の言葉を、息を殺して身を乗り出して、手に汗にぎって待ちました。鑑定の結果は、安心してください、大丈夫ですよ、でした。医師の診断によると、これくらいなら頭部の皮膚は、われてもすえにあわんとぞおもう。ということで、縫うこともなくすみました。今ではすっかり傷も癒え、シャンプーがしみることもありません。今回、文字通りに痛い目にあってしまったわけですけれども、自分がとにかく明るい考え方になりつつあることと、自分で自分の思考の手綱を握れていることを確認できた、いい機会となりました。でもこれからは、視野を広く持つことをさらに心がけて、足元にも気をつけます。
「Kさんの受講90回目アンケート16/2/3」
マイナス・ありません。
プラス・受講回数が90を越えた。けれども300通うと決めているので、まだ3合目を過ぎたところだ。SEGの「速読による能力訓練」でいえば二日目の前半が終わったあたりか。中高生も腰を抜かすほど伸びざかりの私である。これからも通い続ける。・どんな分野にも基礎的な文献や代表的な本、関連する書籍がある。だから文章が読めるということは圧倒的に有利である。と、いまさらながら気がついた。量が読めるだけでも優位なのに、そのうえ内容も正確に読めるとなると、これはもう事件である。・読んだ本の内容を覚えておく気がなくなった。今の読書に向かう態度は、電車の窓から外を眺めているのと同じ。印象に残らない箇所は忘れてしまう。残る箇所は忘れられない。移り変わる景色の流れに目を向けるように本を読む。見ていたいうちは眺め続けて、気が変わったらやめるだけ。・種村季弘の『怪物のユートピア』を読んだ。映画の評論があった。スクリーンに映された場面が描写される。その場面が読みとかれ、批評される。その批評を補強する別の場面が描写され、批評される。批評は次第に同じ監督の他の作品にも及ぶ。そして批評の根拠にその作品の場面が描写され、さらに批評が披露される。このように評論は展開していた。展開していたと記憶している。いま手元に本がないため確かめられない。だから印象だけで書いている。けれども、注目して頂きたいのは描写と批評が繰り返される展開である。読みつつ私は何かを察し、顔を本から天井に向けた。今の意識の動かしかたには覚えがある。何だ。出てこない。何かに似てるんだよこの感覚。それは何だ。あれだあれ。いやまてよ。あ。そうだ。わかった。イメージボードだ。白を固定させたまま黒を移動させ、黒を立ち止まらせたまま白を走らせる。白と黒を交互に動かすあの訓練は、場面を思い浮かべたまま批評を読み、批評を念頭に置きつつ場面の描写を読む稽古にもなっていた。・今年に入ってから、加藤秀行さんの『シェア』を読んだり、ゴジゲンの「劇をしている」を観たり、瀧本哲史さんの『読書は格闘技』を読んだり、ゴジゲンのDVD「チェリーボーイ・ゴッドガール」を観たり、ゴジゲンのDVD「ごきげんさマイポレンド」を観たりした。昨年は、Wさんが出演した舞台も観に行けた。クリエイトをきっかけにして、興味関心が広がっている。・4月の頭に桶川でスカイダイビングをした。一面の雲に向かって落下しながら、見える範囲が広かった。視野の拡大を実感した。雲を抜けたらパラシュートが開いた。景色を見ながらゆっくり降りた。再び視界が広いと思った。
「Kさんの受講100回目アンケート16/6/7」
マイナス・ありません。
プラス・受講100回になりました。いつもありがとうございます。・反復練習が嫌でなくなってきました。つい最近まで練習が嫌で嫌でしかたありませんでした。けれども、作業に必要な基礎の知識や技術は繰り返し練習して覚えてしまうと、作業がとても楽ちんです。ということが33歳にして理解できました。早く気がついてよかったです。・事前に準備しておけることを事前に準備しておくと、直前になってあわてなくてすむので楽ちんです。ということが最近やっと実感できました。若いうちに気がついてよかったです。アンケートも、これまで区切りの回数になってから書きはじめていました。でもこれからは、区切りの回数になった日に提出したい。と計画してます。さっそく準備を始めてます。
「Kさんの受講103回目の主なスコア16/6/30」たてサッケイド108 数字ランダム336・396 漢数字一行〇→9,360、四→9,810、三→10,800 漢字二行口→138、夏→140 たて一行ユニット82・87 スピードチェック40(38秒)40(41秒) ロジカルテストDタイプ8/10(3分)5/9(3分)イメージ記憶13/40(45秒)24/40(30秒) 倍速読書『街道をゆく21』7,000字/分・理解度A-「漢字二行Pシートで夏が目に飛びこんでくる感覚がありました。あいだをおかずにトレーニングにくるとトレーニングしやすくて、調子がいいです」※たてサッケイド・漢数字一行・ロジカルは前回のスコアです。
Kさんはすでに120回(16/12/2)受けています。
受講110回と120回アンケートは、次回となります。
「でもこれからは、区切りの回数になった日に提出したい。と計画してます」とありますが、お忙しいのか120回受講アンケートはまだです。
さらさら読めて、かつ、ガツンガツン文でお願いします
真
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