'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年2月16日(土)~2月22日(金)

2012年04月01日 | 80年のじゅりー



この週の出演記録はわりと地味な印象、今週も17日の日曜日に「ヤンヤン歌うスタジオ」に登場、「ヤンヤン」の記録サイトによると”爆笑再登場ジュリーの光源氏が美女また美女と恋絵巻”とありましたが、この回でしょうか?
「TOKIO」は”今日の5曲目”、このあたりの「ヤンヤン」でこの回だけコントと歌の部分がだいたい見れます、お客さんを入れての観覧形式、他に楽屋でコーヒーカップのとってをジュリーが持つとポロッと取れて「ジュリーが壊した」と騒ぐ”どっきり”など。

「源氏」のパロディと”今日の5曲目”



21日木曜日はこちらもまた「ザ・ベストテン」に登場、今週も第2位にランクイン、2月11日付けオリコンでは第8位、有線は7位にランクイン、この曲あたりが「ベストテン」で1位を取るラストチャンスだったのかも。
意外と他のチャートの伸びは悪かったみたいで、本人も「ハガキにたよってる状況」と話しています、調べてみると「TOKIO」のオリコン最高位がこの8位、ヒット曲として人々の心に残ってるのは確かながら、実数は絶頂期に比べあまり伸びなかったのが現実、ジュリーとしては前回の「ロンリーウルフ」といい、この後のシングル曲の伸び悩みといい徐々にあせりは感じてたんだろうなと思います。
ちなみにジュリーの「1等賞」という言葉は、すでに72年くらいのライブ音源から早くも聞くことが出来ます、ひょっとしてもっと前かもしれません、そんなにも前から「1等賞、1等賞」って言ってたんですね。
この週はものもらいを切ったとかでサングラス姿で登場、CM撮影のためアメリカのデスバレーへの出発予定を1日伸ばしたとか、今回のパラシュート装着タイムは吊り方を変えたせいか遅く「42秒896」、歌では確かにパラシュートを頭上真上に吊って変えてあります。
最後にデスバレー行きのジュリーのため、五木さんが音頭をとって出演者全員で水杯をかわし、すでに「ベストテン」からは先発隊が出発、次週が有名な「砂漠のTOKIO」。

サングラスで登場


22日金曜日の夜7時半からは日テレ「カックラキン大放送」、この番組は70年代から放送スタート、日テレとプロダクションの確執があったせいか、どうもこの時が「カックラキン」ジュリー初登場。
こちらも近年CSで再放送されたので内容は知られてると思います、ずいぶん前にダビングビデオの切れ端にこの時の冒頭部分がチラッとだけ入ってて、「何の番組だろう?いいな~見たい」などと思っていました、今思えばコレでした(^^)


「カックラキン」より



しかし「夜ヒット」などもついに製品化され色々見れる状況になったといえ、当時録画してた方は30数年も前からご自宅で取り出して見れる状況にあったワケでそれはホントにうらやましい限り、やはりあの時代の中でこれらを見たかった、そこらへん遅れてきた世代には越えられない永遠の壁を感じます。

ネタバレしてしまうと、「カックラキン」への出演回数はそう多くはなく82年で終了とか、CS再放送でジュリー出演回を見れるのも残念ながら残りわずか。
「夜ヒット」CS再放送も80年に入り休止状態、最近意外なとこで「七人の刑事」が放送されましたが、CS再放送であと放送の可能性が高そうなのは現在放送中のTBSチャンネル「キラリ熱々CLUBE」、89年のクラブチッタでのライブ映像でしょうか?、アレもなぜかずいぶん前からやってるのにジュリーの回は一向に放送されません。

この号には久米宏のトーク番組「おしゃれ」の特集があり、その中でジュリーについて久米さんがコメントしています、「沢田さんぐらい、人前とプライベートで変わる人はいない、ふだんはブレスレット1つしない人ですよ。この番組出たときも、メークはしない、やぶけたジーンズで、髪をとかした感じすらなかったですからね。そこに彼なりのおしゃれがあるということですね。」と、こんな感じで書かれています。
そのラフな感じがもしかして現在のお姿につながってるのかな~と思うと複雑・・・、私が見てた頃でもどこかのスタジオからリハ中にヒゲ面でヌボっと、そのままラフにTVに登場というのが何度かありアリャリャいいの?とは思ってましたが(笑)









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