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上高地、をお薦め(*^_^*)

2024年05月20日 | 楽しいお話し

 いつだったでしょうかねえ…「私達夫婦は毎朝、テレビの画面でYou tubeのライブ映像を観ています」と書いたのは。
 確か、その時にお薦めしたライブ映像は、「上高地」と「身延七面山」と「美ヶ原」だったのではないでしょうか? 実は、お薦めはまだあって、「軽井沢のリスと鳥への餌付け場」と、「富山の室堂」「阿蘇の草千里」などもあります 朝から、本当に清々しい気分になりますよ。是非試しに見てみてくださいね

 その毎日私達が一番最初に見ている「上高地 河童橋周辺」。今日は、ライブ映像をお薦めするだけではなく、実際に「上高地に行ってみませんか?」というお話しです。
 長野県出身でも、松本出身でもない私ですが、上高地は私にとって、思い出のたくさんある特別な場所… みなさんは、上高地にいらしたことはありますか?
 もしかしたら、「上高地」と書かれても「なんと読むのかな?」と思われる方々もおいでになるかもしれません。「上高地(かみこうち)」です。観光地とは言っても、箱根や日光とは大きく趣の違う所です。観光地などとご紹介するべきではなく、正確には「山岳リゾート」とお伝えするべきでしょう。
 さしずめ、ヨーロッパアルプスであれば、ツェルマットやグリンデルワルト、に当たるでしょう。ただ、上高地は「町」と呼ぶには狭すぎる範囲であり、泊まれる宿も限られていますが。

 私の両親は、山岳会に所属し、本格的な山行をしていた夫婦でした。なので、そこに生まれた一人っ子の私は、必然的に小さな頃から両親と一緒に山に「登らされて」いました まさに、好むと好まざるとに関わらず、幼稚園の頃には行かされていた、という具合です そのあたりは、この2つにも書いていますので、ご興味があれば、どうぞ 私の「朝一番」2400mの高地で知ったこと

 私の子どもの頃、昭和の時代の「山に登る」は、今とは大きく違っていたように思います 登る人達自身が「山に登る」は「趣味」などとは言って欲しくない?!「趣味」とは言わない?!世で言う趣味とは「楽しみ」である、自分の楽しい時間。そんな甘い表現は止めてくれ~という空気。山に登るということは、ある意味での自分に苦を強いる苦行であり、その苦行を敢えて選んだ人間であり、それを達成する特別な人間なんだ 的な感覚、とでも言うのでしょうか… 苦しさを美徳としているようなところがあったように思います。高山植物や絶景に心を動かされることよりも、「苦しさ・辛さ」を良しとしていた 少なくとも、当時の、私のまわりに居た複数の山岳会のおにいさん、おねえさん、おじさん、おばさん達はそういう感じ、でした あくまでも私の感覚なので、気分を害する方がおいでになれば、ごめんなさい  
 それにね、今は、とにかく服装も含めて、山に行く道具類も進化したので、どんな人でも昔よりも手軽に行きやすくなったのですよね。「山に行く」と聞いても、暗いイメージはないでしょう?今では「モンベル」のような登山ウエアや登山用品があり、色もカラフルでオシャレです そもそも、「山行とオシャレ」とは対極にある言葉だったのでは?はっはっは。

 完璧なほどの海派で、スキューバダイビングのインストラクターでもある夫が「山に行ってみたい!」と言い出したのが今から10数年前。
 私は、中学2年生の春、大好きだった山岳会のおにいさんが山で滑落死したのを機に、山に行くことを止めました。さすがに両親も「そんなこと、気にするな!一緒に行こう!」とは言いませんでした。それから、私は一度も山にも、上高地にも行ったことがありませんでした。そんな状況のもとの夫の「山に行きたい」発言 当時も、フルマラソンを走り、毎日泳いでから出勤する夫。はるかに私よりも体力も脚力もある… 私にあるのは昔の経験と知識だけ
 まずは、ウエアを揃えることになり、私が初めて恵比寿のモンベルに行った時の衝撃 店が広い、明るい、カラフル… それだけで私は「行く気満々」になったものです おそるべし、モンベルの威力。すごいですねえ、モンベル made in Japan

 おっと、話しが完全に横道に逸れてしまいました
話しを元に戻しましょう。私が書き連ねた昭和の時代は、上高地はあくまでの「本格的な山行のスタート地点」でした。昭和50年代になると、山行以外の人も少しずつ増えてはいましたが、それでも、まだまだ「山中心」でした。
 けれど、今ではどうでしょう まさに、山を目指さない方々も大いに楽しめる、風光明媚な立派な山岳リゾートです  
 目の前には梓川が流れ、天候が良ければ間近に「岳沢」「穂高連峰」の峰々が神々しくそびえているのが見えます。
 昔は、梓川のかなり下流の帝国ホテル以外は、宿泊施設も「山小屋」的なところしかありませんでしたが、今は本格的なフレンチを提供するようなホテルもあり、山々の絶景を眺めながら、朝食をテラスでいただく…なんてことも可能なのですよ 
 私が上高地をお薦めする理由。それは、とても「楽にできるトレッキング」です。
上高地から約10キロ程度はフラットな地形で、山岳リゾートにも関わらず「アップダウンのない」「整備された道」をトレッキングができること、なのです
 朝食の後(もしくは、都心からの夜行バスで早朝に上高地に到着した後)、上高地からスタートして、明神池、徳沢園、がんばれば横尾までも平坦なので、日帰りで往復することが可能です。まあでも、無理なく楽しむ、という意味では、作家 井上靖氏の「氷壁」の宿として有名な「徳澤園」の往復でしょうか。ここまで来ると、上高地から見た山の景色とはかなり変わって、「ああ、日本アルプスの真っ只中にいるなあ…」という思いに浸れます

 私の大好きなジオグラフィック的に説明をすれば、上高地から横尾あたりまで、どうして勾配がないのか?と言うと…
 上高地から見て、穂高連峰とは反対側に焼岳(現在も活火山)という山が見えます。むかーし昔は、焼岳はもっと大きな火山帯でした。その焼岳火山帯が大噴火を起こし、梓川をせき止めてしまい、大きな湖が出来ました。その湖に長い年月で堆積物が貯まり、湖は消滅。
 そこ残ったのは、湖底だった平坦な土地。そこに、あらためて梓川が流れを取り戻します。これが、上高地から横尾にかけてのほぼほぼフラットな一帯となったわけです。この低地と、いきなりそそり立つような3000メートル級の山々とのコントラストが、このあたりの絶景となっています
 アップダウンがないので、スニーカーでも全く問題なく歩けます (時々、サンダルを泥だらけにして歩く「中〇人」も見かけますが)脚力や心肺機能に自信がなくても、山を楽しもう、という気持ちだけがあればOK ただ、荷物はバッグではなく、是非ともリュックにしましょう。

 きっと私は、70代後半になっても、徳澤園までは行き、80代になったら、上高地で優雅に朝食を食べながら穂高連峰を眺めるでしょうねえ 梓川の流れ、鳥達のさえずり、自家用車が入って来れないことによる美しく澄んだ空気は、心身のリフレッシュには最高です
 初夏、夏、初秋、秋。どの季節の上高地も素晴らしいです。と書きながらも、実際にはちょうど考査の時期に当たり、私は「初秋と秋」の紅葉で美しい上高地を知りません。今年は行ってみたいです
 みなさんも、是非ぜひ、上高地をチェックしてみませんか?

 

           

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 * 明治記念館「鳳凰の間」 東京都港区元赤坂2丁目2−23

 新緑の時期、広い明治記念館のお庭もきれいでしょう 国内外のブランド、工房12社からの出展です。青々とした緑と、キラリンキラリンのジュエリー達を愛でて、リフレッシュはいかがでしょう?
 保税展ではありませんので、事前登録の必要はありませんが、ご来場のお知らせは3日前の23日までに、メールでお知らせくださいね 会場でお目にかかれることを楽しみにしています

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