I was born to meet JOY

勝手気侭な随想録

 おかしな出来事・食べること・人のこと・時々ART

フリーダ・カーロ

2009-07-22 07:05:06 | ART
世田谷美術館でフリーダ・カーロの自画像を見て来た。

思った通り、イメージ通りの闘魂画だ。苦しみの闘魂画。


フリーダ・カーロという女性の存在を知ったのは、一昨年のことだ。
こんなにも、情熱的に壮絶に不器用に真剣に命を全うした女性の生き様は
明らかに神様から与えられた人類のミッションのように感じる。

また、フリーダ本人も自ら逆境を好み、苦しみをパワーに変えて前進し続けたんじゃないだろうか。

何もない平凡な日々に身をおくことこそ彼女にとっての苦痛であり、
痛みや、憎しみ、嫉妬、情念、正義、欲望など激しい感情の中で
魂を揺さぶられながら生きることが自分自身の存在意義を確かめ昇華するための
唯一の手段だったのだ。

◆映画「フリーダ」の解説 about Frida
http://www.frida.jp/about_frida.html


彼女の人生を語る上でまず衝撃的な出来事は、
18歳のときに乗っていたバスが大事故を起こし、背骨、肋骨、骨盤、鎖骨は砕け、右足はつぶれた。
もともと小児 麻痺で数年前から不自由だった右脚は、10ヶ所以上が骨折した。
鉄棒は左臀部から膣を貫通し て腹部に深い傷を残したという九死に一生を得る悲惨な経験だ。

何ヶ月もの間、彼女は一人ベッドで孤独と不安と痛みと怒りと悲しみと戦い続け、
この誰にもぶつけることのできない想像を絶する思いを彼女はキャンバスに
ぶつけたのだ。

そして、家財を売り払いフリーダの手術費用を工面する両親のために、
彼女は画家になる決意をする。

なんて強い女性なのか。。。


彼女が人生における2度目の事故とよぶディエゴとの出会い。
当時壁画家だったディエゴのもとにフリーダは自分の作品を持って会いに行く。
つまり、自分から事故にあいに行ったのだ。
この後、二人は呪縛的な愛情劇を繰り広げることになるのだ。

歩くグロテスク、ディエゴ









ディエゴの尋常ではない浮気癖も去ることながら、
フリーダの自由奔放な恋愛癖も負けちゃいない。

革命家トロツキーとの熱愛、彫刻家のイサム・ノグチとも密会を重ね、
時には男装するフリーダは、同性との恋愛にも積極的。
かのジョージア・オキーフとも浮き名を流すなど、
自由なセクシュアリティーの持ち主だったのだ。



ロシア革命の指導者トロツキー




アメリカを代表する女性画家 ジョージア・オキーフ



イサム・ノグチまでもが。。。



こうなるともう浮気とかいう問題ではない。

「山田さんのだんな、まーた浮気したらしーわよー」的な単純な浮気とはわけが違う。

こりゃ、「世界的な芸術活動の交流」ともよべる聖域のようにも感じられる。言い過ぎか。

圧倒的な才能をもつ人間同士が互いに惹かれあう気持ち、わからないではない。



今回、世田谷美術館ではディエゴの絵も数点展示されているが、
フリーダの素人的闘魂画と違い、知的で巧み、洗練された質の高さを感じさせる絵だった。

二人の相反する芸術性が二人をどうしようもなく惹き付け合わせる大きな要因となったことは
確かであろう。

美術館ではメキシコに今もあるディエゴの壁画をビデオで紹介しているが
予想を遥かに超える素晴らしいものであった。
あのグロテスクな好色男だからこそ、見る人を圧倒する芸術作品を生み出すことだできるのだろう。

ディエゴの壁画



二人の話をするとつきないが、最後にフリーダもびっくりなメキシコのふさけたイベントを紹介


フリーダ・カーロそっくりさん大会



なめとんのかっ










◆世田谷美術館 「メキシコ20世紀絵画展」
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/

チャーチャンのチャーリー

2009-07-19 13:46:24 | SPIRITUAL


兄は小さい頃、チャーチャンと呼ばれていた。


チャーチャンは厄年の頃からか、生まれ変わったようにご先祖さまを大切にするようになった。

もしも親戚の集いに、「今年度のお墓参り大賞」を決定するイベントがあったとしたら

兄の優勝は間違いない。


そんなチャーチャン、今年もお盆前に一人お墓参りに行ってきたらしい。

そしてお盆も真っ盛り、15日の朝、チャーチャンからこんなメールがきた。



「本日、日課の植木いじりを早朝していたところ
なんと、くわがたが花オクラの木の鉢にいるではありませんか。
父、母と3人でキャベツをあげたり、きゅうりをあげたり大変でした。
しかし、こころあたりがぜんぜんないので、Hファ-ムからもらった
土からでてきたのか、飛んできたのかかわかりません。
月曜日に急遽会社を休んで墓掃除に行ったので、お盆に
ご先祖がきたのかもなー。」


相変わらず文章レベルは小学生並みだが、チャーチャンの文章には
チャーチャンの優しさがにじみでる。


そして翌日、お盆最終日の16日朝、再びこんなメールがきた


「朝一見たらまだくわがたがいた。俺っちが夜にかまぼこの板二枚で作った三角ハウスに
すっぽり入って寝てました。母がレタスの上にバナナを2切れ乗せてあげました。
VIP待遇!!あんまり可愛いので茶色あからチャーリーと名前つけました。」






夏休みの絵日記かっ

あんまり熱心にメールを送ってくるので、一応 「三角ハウス見たいな~」なんて
返信したら、

「今日はお土産にくがたセリーを買ってくらー」と返事がきた。





そして、17日朝、


タイトル:チャーリー古時計バージョン

「チャーリー行っちゃった。昨晩遅く網戸を二回叩いて帰ったそうです。
お盆の最終日のことでした。クワガタゼリーは冷凍して葡萄セリー見たい(誤字)
にして新入社員にあげよう



お盆中はご先祖さまが虫になって家に帰ってくるという言い伝えは昔からあるが、
くわがたセリーはさすがにご先祖さまも食べたくなかったんじゃないのお。。。



なんと純真で心優しいチャーチャン

大丈夫だろうか。。。



ちなみに、母は、「あー、あのカブトムシ、あのカブトムシ、オスだったねー」

「え?くわがたでしょ?」

「え?カブトムシ、カブトムシ、ねっ!、

おとーさーん! カブトムシだったよね!!」

とまったくわけわかっていなかったようだ。




ところで、メールタイトルの「チャーリー古時計バージョン」について解説しておこう。



母が戦時中に疎開していた伊豆の家に大きなゼンマイ式柱時計がある。

この柱時計、ゼンマイが切れ、もう何十年も止まったままだ。


昨年11月にチャーチャンがこの家の庭になるみかん刈りに行った時の話だ。

その時、チャーチャンからもらったメールは今でも大切に保存している。


「富戸にみかん刈に行ってきました。朝7時45分到着。雨戸を開け仏壇に光を入れ父とお線香とお水を上げました。
そうだ!隣のベッドの部屋の雨戸も開けよーと思いそそくさと開けた。そしてテレビの前に戻った時あれっ!
今時計鳴ってた?5、6回。時計はゼンマイが切れ止まってるのに。オヤジー!今時計鳴ってた?
あー鳴ってた。だって


この話を聞いたときは、さすがに何か、ふつうではない力がはたらいたかな~と思ったけど。



柱時計のある伊豆の居間



兄は、母方のお墓参りも毎年必ず行く。海を見渡すことのできる素晴らしいお墓だ。



冬にはみかんがたくさんなる庭






ご先祖さまをこんなに大切にしているチャーチャン、

きっとい~ことあるよ









幸せになってね

2009-07-12 14:13:02 | FRIENDS
7/13は、mtyのお誕生日

ずいぶん年下かと思っていたけど、2歳しか違わないんだよな。


芸能人御用達の高級タオルや、Bath goodsを扱う店ののチーフデザイナーとして働く彼女は

平日の夜はほぼ自由がきかない状態にあるため、

少し早めの週末にmyブーム「ビストロミカミ」でお誕生日のお祝いをした。


美味しいレストランに行っても久々の出会いに出だしから話がつきず

いつまでたってもオーダーしないのが私たちのお~きな欠点だ

こんなとき、私たちがくっちゃべってる間に、

さくっとみんなが食べたそうなメニューを選んでオーダーしてくれるような

男性って素敵だよねー。みんなのグラスの一杯目があきそうになったら

ワインがボトルででてくるみたいな


この日、前回絶賛の岩牡蠣をまずみんなにひとつずつ食べてもらったあと、

やっぱり前回食べた絶賛part2 はまぐりとなすのサラダをオーダー。

お誕生日のmtyが全面的にオーダーの実権をもち、

次にオーダーしたのが生ハムとゴルゴンゾーラチーズのカナッペ


これ、見た目普通なんだけど、美味しかった~
芳香なチーズと新鮮な生ハムのマッチングがたまりまてん

それから栃木野菜


全員のコメント 「大根が苦い」 それだけかいっ


そして、江戸前穴子とズッキーニのフリット


これは、本日のオーダーの中で最高の人気を博しました
私はなんと言っても前回も食べたウニパスだったのだが、

かるーく、さくっと、新鮮な穴子とズッキーニを揚げたフリットがダントツ人気でしたな。

しかし、結構食べても、油も素材もいいから胃がもたれない

sweets好きのmtyお待ちかねのでざーとたいむう~

チーズケーキと、ショコラ 目移り目移り


またしても絶品 クリームブリュレとごまぷりん? 迷いスプーン迷いスプーン



mtyとは、タオル会社で先輩、後輩として働いた仲。
まじめで責任感が強くて忍耐強いまるで日本兵のような(どういうたとえじゃ)mty,
会話の端々に顔をのぞかせる毒舌トークはナンシー関なみだ(ほめてんのか)

彼女は甘ったれの私のように決して人前で涙を見せることはない。
彼女のおかあさまの葬儀の際にも、私は泣いてるのに、彼女はしっかりとした表情で
葬儀をとりしきっていた記憶がある。

なんというか、かつての日本の強い母のような耐え忍ぶことのできる女性だ。
自分の身の丈を充分に理解し、背伸びせず他人に決して迷惑をかけないように生きてる。

でも。。。。

私はもっともっとmtyに幸せになってほしい

恋をしてほしい


人の幸せや恋愛を願ってる場合でないことくらいこの私も重々わかっているが、

恋をする気持ちになってほしい

そして、mtyのことを理解し、大切に思い

一緒に生きていってくれる男性と結婚してほしい。

なんとしてでも幸せになってほしい。


これが私の彼女のお誕生日におくる言葉だ。

ただーし!

私が先に行かせてもらいます



びすとろUOKIN

2009-07-09 08:44:05 | RESTAURANT
行って参りました!噂の立ち飲みびすとろUOKIN!!


新橋烏森口から、おやじリーマンだらけの飲屋街を歩くこと10分

ちいさな路地を曲がると闇夜にざわめくUOKIN発見!

いい店っつのは、その店の活気やオーラが店の中だけにおさまらずに

表にもれちゃうのよね。ここもそんなパワーを感じるお店

到着9:00すぎ、当たり前のように満席だった。
みんなねばるねばる。。。さくっと食って帰れつーの。




二号と二人でうりうりしていると、お兄さんが席を用意してくれた
熟女ダブル攻撃がきいたのだろう


ドリンクメニュー、イイネエ~この安さ でもキールロワイヤルは炭酸がぬけていてホテルで飲むのとは
違う飲み物だった。 どっちかつーと、缶入りキールロワイヤル的な。。。
安いので文句いわずに飲む!



店内は、グルメそうな男の人たちがいっぱい、一人で来てる人も多かった。
美味しいものを探求するのっていいよね。


いよいよ、オーダー!値段がこなれているのでドキドキしないてメニューを見れる。
メニューを眺めているうちに、目の前にバナナをさしだされたチンパンジーのように
一気に鼻息の荒くなる私を前に、
二号から「お、落ち着いて」と優しく注意入りました。


まずは、数々のブログで必ず紹介されていた天然岩牡蠣のジュレ
美味しいんだけど、ちょっと生臭い。先日のミカミの生ガキのインパクトが強すぎて舌がまじ肥えてしまってる。



そしてこちらもおすすめ蛍光ペンのひかれた定番メニュー。パテドカンパーニュ
新鮮なコンビーフって感じ。ボリューミーなので、二人で半分しか食べられなかった。



シメは、シーフードパエリアがおススメとのことだったが、これまたボリューミーなので
グラタンを頼む。これは普通においちかった



この店に来るまでに、居酒屋魚金という系列店舗があって、そんなに混んではいなかったのだけど、
仕入れ先は一緒だとうから、やっぱ、魚介系が得意っつうことですな。



閉店間際は楽しみにしていたデザートや、人気の定番メニューが売り切れになっていて
残念だったな。

びすとろUOKIN
ナイスなレストランとしてリスト入りました

次回は大勢でいっていろいろ頼んじゃお




吉原弁財天

2009-07-05 17:32:37 | SPIRITUAL
久々に浅草の七福神のひとつ、吉原弁財天にお参りに行って来た



「江戸時代初期までこの付近は湿地帯で多くの池が点在していたが、明暦三年(1657)の大火後、

幕府の命により、湿地の一部を埋め立て、日本橋の吉原遊郭が移された。

(日本橋って遊廓だったんだ!だから呉服屋が多いのか!)

以来、昭和三十三年までの300年間に及ぶ遊廓外新吉原の歴史が始まり、

特に江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。」



すごいなあ、遊廓って、300年も続いたんだ。。。

ちょっと想像を絶する世界だな。


遊廓造成の際に、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天さまが祀られ、

遊廓楼主たちの振興を集めていたらしい。もちろん、遊女たちも自分たちの

幸せを祈って、熱心にお参りにきていたことだろう。

江原さんも、この弁財天をスピリチュアルスポットとして紹介していたらしいが、

江原さん曰く、女性のお悩み解決にご利益があるそうな。



ここはいつ行っても、献花とお線香が絶えずお供えされている。

門から一歩足を踏み入れると、ちょっと独特の雰囲気が流れている。

どちらかというと悲しみを癒された魂の集まりみたいな。。。江原かっ







吉原弁財天の目と鼻の先にある吉原神社




明治五年に新吉原遊廓の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神である玄徳稲荷社を合祀して

吉原神社を創建したらしい。新吉原遊廓の鎮守の社であり、花魁も参拝していたほどの由緒ある?神社だ。

現在でも幸せを祈る女性へのご利益は良く知られているとのこと


この場所に、花魁さまがお参りにいらしたそのお姿は、さぞお美しい光景だったことだろう。


先週、金夜に、二号と銀座を歩いていたときに、お会計を終えた男連中を見送りに

ホステスさんたちが路上にうようよいたのだが、恐ろしくチープなポリエステル系のロングドレスに

身を包み、普通のOLさんの方がよっぽど美しく魅力的と思えるお茶漬け系の女性が多かったことが

ちょっとショックだった。銀座なのに。。。


最近ではキャバクラブームで貴重な人材を奪われてしまっているのだろうか。。。


花魁モノホン ハンチングの男どものガンミぶりが笑える。
いつの時代も男はおんなじだ



花魁は妖艶イメージが強かったが、相当幼いな。。。横にいるのは白木みのる?



な~んか、左の人、ずらずれてな~い?? なんか、粋じゃないなあ~ しかも全員はだしだ。



親が貧乏で売られて来たりしてるから、みんな悲しい顔してるよなあ~
なんだか、せつなくなってくるな。

私が親だったら、家族で逃げて山奥で自給自足の生活とかおくるけどな。
娘を金にかえて、男達の餌食にするくらいだったらさ。
みんなで死んだ方がまだいいじゃないの。


遊女達は、自分たちが辛い生活をしいられた分、今の時代の女性たちの幸せを
どこかで祈ってくれてるのかな。


誰にも束縛されない人生に改めて感謝

一人 Amazon.com

2009-07-03 08:21:12 | BOOKS


じめじめとした梅雨のせいか、更年期のせいか、

仕事の達成感が薄いせいか、


それとも、いっこうに「ザ・玉の輿」が現れないせいか。。。


ど~も、やる気がおきない。



人には、インプットとアウトプットのそれぞれの時期があって、

今はあきらかにインプットの時期。

超~悩んでる時期。


のりで生きて来てしまった自分の人生が

年齢を重ねるうちにその限界を感じ、

無計画な自分を反省





そんなこんなで、わらをもつかむ思いで

本を読みまくっている。


そんな中、久々に心につきささる言葉に出会った。


「細胞同士、遺伝子同士が呼び合うような感じが本来的な恋愛の感覚」


吉本ばななのお父さん、詩人でもあり、思想家でもある吉本隆明の著だ。


以前、このブログでも話をしたが、

私はかなえたい夢、なりたい自分など、昔から、文章にしたり、

最近ではビジュアルマップにしたりして、

具体的にその姿を脳裏に焼き付けながら、アンテナをはる。


そういった意味で、「私の本当に好きな男性のタイプ」が

ここ最近のウォーキングをしながらのテーマであったが、

ど~も、納得のいく答えがうまれない。


背の小さい人は嫌だな~、とか、年上でも加齢臭だけはがまんできないなあ~とか、

教養のない人はちょっとなあ~、お酒は一緒に飲みたいな、とか、

かなり次元の低いレベルでしか相手の男性をクリエイトできなかった。


ところが、吉本隆明の「超恋愛論」を図書館で見つけ、

文学テポドンのようなこの言葉に出会ってしまったのだ。



「その人にとっていい人」が絶対的に存在するというのが恋愛というものなのです。
ただ単にたくさんの異性にちやほやされるとか、出会いのチャンスが多いとか、
そんなのは本質的には恋愛と何の関係もありません。
つまり、いわゆる「もてる」「もてない」みたいなものは、恋愛において意味がない。

恋愛というのは、男女がある一定の精神的な距離の圏内に入ったときに、初めて起こる
出来事です。その距離の圏内に入ってしまうと、相手に対する世間的な価値判断は
どうでも良くなる。金があるとかないとか、美人だとか不美人だとか、うちの親は
この人を気に入ってくれるかどうかとか、そんなことはもう関係ないんです。
逆に言えば、そういう状態にならない限り、それは恋愛とは言えない。

大事なのは、自分にとって好ましいかどうかだけなんです。いわば、自分の細胞が
相手とぴったり合うかどうかです。

なぜその人が自分にとってそんなに好ましいのか、わけがわからないけれども、
どうしてもその人でなければならないという気持ちになる。
それが恋愛の始まりでしょう。
さっき、「自分の細胞が相手とぴったり合う」という表現をしましたが、
ぼくはよく、それを双子のきょうだいにたとえます。
うまく説明できないのですが、、「遺伝子が似ている」とでもいうのでしょうか、
双子のきょうだいが相互にもつ感覚のようなものではないかと思うのです。
双子のような感覚を、まったく他人同士の間で感じる。それはやはり、
相当希有な経験だといえるのではないでしょうか。
だからいったんそう言う人を見つけることができたならば、それはやっぱり長く
続くのが本当だよという気がします。一生続くのが本来的なはずじゃないかと思うのです。

この、細胞同士、遺伝子同士が呼び合うような感じーもし、全ての人がそれ以外のことは
考慮に入れずに相手を選んでいい、それが当然である、という段階まで世の中の環境が
進んだならば、理想の一夫一婦制は成立するでしょう。



なっとく!



運命の人に出会う場を増やせばいいっつうことですな。
ルーシーリュー! ヨロシク哀愁