I was born to meet JOY

勝手気侭な随想録

 おかしな出来事・食べること・人のこと・時々ART

greenちゃん

2008-11-30 18:43:12 | FRIENDS


アメリカは、ノースキャロライナ在住のgreenちゃんの一年ぶりの帰国。

彼女の帰国にかこつけては、友人たちと飲み会を開く。

今回は、ふぐ!

いつもおいしいお店を探してくれるのは、お色気200%カルーセル巨乳ことMちゃん^^

ふぐは水槽から取り出され、

すぐさま、皮を引き裂かれ、
骨を砕かれ、
ぴくぴく痙攣し続ける身を
今度は沸騰しただしにほおりこまれ、
まさに地獄絵

しかし、実においしく皆で笑顔でいただいた。

そして、最後にいただくふぐ雑炊!

これがたまらなくおいしい。

これを食べるために、ふぐ鍋をいただくようなもんだ。


ふぐの話はまあいいとして。。。

greenちゃんは、神奈川県立 Y高校の同級生。

学年で一二を争う可愛さのgreenちゃんとは、

一年の時に同じクラスだったのだが、

休み時間になると、全校中の男子が、greenちゃんを一目見ようと

教室の前に集まってくる。

greenちゃんの凄いところは、顔が可愛いだけじゃなく、

ぼよよん、ぶるるん! ナイスバディでもあったことだ。

そんなgreenちゃんは、結局、アメリカ人の妻となり、

現在、アメリカで幸せに暮らしている。

世界において、日本の女性はかなり人気が高いらしい。

それに比べて、日本の男性の不人気は、なんとワーストナンバー1。

だから、greenちゃんが外国に行ってしまったことも理解できる。

街を歩いていても、きれいで可愛い女性はたーくさんいるのに、

素敵だなと思える男性にほとんど出会えないのは、

なぜなんだろう。

電車に乗っていても、

一車両に、数人素敵な女性を見つけることはできても、

男性は非常に残念な方々が多い。

こんなふうに感じているのは、

私だけなんだろうか。。。



去年greenちゃんが帰国したときに、

greenちゃんは自分に自信がないって悩んでいた。



人の自信ってどっからくるのだろう。。。

「自信」を広辞苑でひいてみた。

自分の能力や価値を確信すること。
自分の正しさを信じて疑わない心。

だそうだ。

そういう意味では、私も自信がないなあ。
でも自分が好きだなあ。

もしも明日藤原紀香になってもいいよ!

と神様に言われても、

今度、アンジェリーナ・ジョリーに生まれ変わってもいいよ!

と言われても、

自分は自分でいたいなあ。

自分の自信のない部分、嫌いな性格、

きっと誰にもあるんだろ。

完璧な人間なんてこの世にいないから、

大切なことは、

まず、自分の不安や、至らない点に気がついて、

それを克服するように

考えたり、努力したりして

ポジティブに生きることなんじゃないかな。

たぶん、容姿端麗、頭も良く、性格もいいgreenちゃんは、

大きな欠点がないから、

それを克服しようとする

プラスのパワーが生まれてこないんじゃないかな。



すごーいブスのスタイリストやデザイナーは

自分の顔に美を求められないから、

自分のセンスを磨くことに

莫大なエネルギーを費やす。


ちびで、でぶで、はげの実業家や金持ちが多いのは、

自分のどうにもならないコンプレックスを

富で克服しようとする。


人は、そんな風にして、

バランスをとって

自分の自信をコントロールしてるんじゃないかな。


つまり、greenちゃん!

greenちゃんの悩みは、かなり贅沢な悩みなんでないですかね?

アメリカからの書き込み、お待ちしておりまする。^^

自叙伝!

2008-11-28 19:26:26 | ABOUT MYSELF
ある先輩に、

「あなたは別にアートじゃなくてもいいんじゃない?」

と言われた。

私は、何かを言葉にして、人に伝える事が好きなんであって、

アートに限定せず、自叙伝でも書いたら?

と勧められた。

私の恐るべき、起承転結のない文章力を

その先輩は知らずして提案してくれた。

でも確かに、私は自分のこれだと思った話を

人に伝えることが好きだ。

それに、確かに、私の周りには、

私自身も含めて

結構、笑っちゃう出来事が多い。

私が今まで読んだ自叙伝の中で

友人に勧めている本が

「トットの欠落貼」だ。

この本は気をつけないと、

電車の中で笑いを堪えきれず

かなり「変な人」になってしまうため、

読むのであれば、笑っても平気な場所でお読みいただきたい。

仕事のことで悩んでいたとき、

夜中に胃痛がひどくなり、眠れなくなった日があった。

何となく、枕元にあったこの本を読み始め、声をだして笑い、

気づいたら胃痛が治っていた。

素直で単純な私は、

とりあえず、先輩のアドバイスに従って、

今日からブログの内容をアートにこだわらず、

自叙伝に繋がるようないろーんな内容にしてみようと思う。

え?最初から、アート色が弱い?

やっぱし。

読みたくない自叙伝シリーズ



■ヒロシ


■鼠先輩


■ギャルソネ

街ART:BAR

2008-11-19 17:56:34 | ART
渋谷を歩いていたら、こんな看板のバーを見つけた。

これはまさしく、アッサンブラージュ。

出来は上出来とまでは言えないが、街のバーの看板としては

なかなか味があっていいではないか。

変な現代アートのギャラリーまわるより価値がある。

アッサンブラージュの父と言えば、

joseph cornellというアメリカのアーティストがいる。

この人のアッサンブラージュは、10点、10点、10点!

アッサンブラージュのお手本だ。

私は紙面上のレイアウトが好きなので

一度このいろいろなものを立体画面におさめる

小さなアートに挑戦してみたい。

小さい頃大切にしていたおもちゃとか、

ハワイで買った木彫りのイルカとか、

友達からもらったガラスの花とか、

そんなものを中心にイメージを広げていけたら楽しいだろうな。

いよいよアーティストデビューか!



■joseph cornell webmuseum
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/cornell/




■joseph cornell


■BAR BOYLSTON(さすが、店内もこだわりの一貫主義!)
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000913554/P913022/


会ってきました。サントリー美術館 ピカソ展

2008-11-17 20:41:09 | ART
青の時代の自画像に会ってきました。

一緒にパリに来た友人の自殺に打ちひしがれていた時代の青の絵。

青の色がとてもきれいだった。

この絵に限らず、ピカソの絵や彫刻は、

その対象となった人物や動物が、
   本当にそこにいるような存在感を感じる。

だからこの青の時代の自画像も、

ピカソが、ふっと家に帰り、扉を開け、
   鏡に映った瞬間の自分の表情を脳裏に強烈に焼き付け、

その記憶を吹き出すようにキャンバスにぶつけたんじゃないかと。

その時のピカソの思いが、私に伝わってきた気がした。

その一瞬の強い思いが、100年もの間、キャンバスに染み込んで

離れないんじゃないかと感じた。

ピカソだけじゃなくて、何百年も残るような絵や作品を残す芸術家って

実はシャーマンのように、霊能力や予知能力のような特別な力を持っていて、

普通じゃない力で芸術を生み出すから、いつまでも人々の心に焼き付き、

一度でいいから現物を拝んでみたいと思うんじゃないかな。

仏像みたいに。




なぜアートなのか

2008-11-17 10:50:43 | ART
art=芸術を広辞苑でひくと

一定の材料、技術、様式を駆使して、
美的価値を創造、表現しようとする人間の活動およびその所産。

造形芸術(彫刻、絵画、建築等)

表情芸術(舞踊、演劇等)

音響芸術(音楽)

言語芸術(詩、小説、戯曲等)

時間芸術

空間芸術

など、視点に応じて種々に分類される。



私は長い間、インテリア、服飾業界という、商品を売る、

言わば、消費を促す仕事に携わってきた。


中学生くらいの頃から、お小遣いをため、

原宿に通っては、全財産を使って、欲しいものを買い集めてきた。


今まで買い物した金額を合計すれば、疾うに家の一軒も建っていたことだろう。


今思うと、私が何かを買う瞬間、私はその商品の持つ価値が

明らかに自分の持つ商品への価値基準を超え、負けた!と思わせてくれた

商品を購入してきたように思う。

まさに、買い物をして失敗をしないと物の良さがわからないというものだ。

だから、ちょっと興味のある店に入り、負けた!と思えずに店を出るとき、

「ほっ」とするのだ。



それが、ある年齢を超えると、買った、負けたの思いの前に、

「この日本、こんなんでいいのだろうか。。。」

なんてことを思うようになってきた。


昔は、政治は政治家の仕事、法律はお国の決め事、子供育てるのは親の仕事、

なんて思っていて、身の回りで起きている事件や出来事は

しょせん他人事と思っていた。

最近、自分の生まれた大好きな日本が大変なことになっていることを

ひどく残念に思う。

こんな国になってしまった原因は、

無論、能無し役人、能無し政治家の責任でもあるが、

私たち国民の責任でもあるのだ。

今回の大統領選を見ても、アメリカの国民は、本気で政治に参加している。

一人一人が正しくとも、間違っていようとも、my opinionを持って生きている。

出る釘は打たれる教育、日本帝国から完璧に足を洗い、

日本人一人一人が、my opinionを議論できるくらいに成長しなければ

本当にこの国はだめになる。

あほな政治家や役人ををバッシングすることは誰にでもできる。

でも今この国に必要なことは、国民一人一人が、この国をどんな国にしたいと願い、

あほな役人や政治家と対等に議論できるようになるか、

身の回りからなんでもできることをはじめることだ。


こんなことを真剣に考えるようになると、もはや、自分を着飾る衣服や雑貨に

大枚を払う気持ちも薄れ、何かもっと自分の内面を磨くものを探していたんだと思う。

それがアートだったのだ。

続く

次回タイトル:「それがアートだっったのだ」

仙台四郎

2008-11-14 01:18:18 | GOODS
仙台に出張に行くと、良くこの人のお土産品を見ていた。

でも、何者なのか、四郎とも、いや、知ろうともしなかった。

今回の弁財天ツアーの松島海岸で、四郎さんと再会することになった。

この人、何を隠そう、江戸末期、仙台に生まれた実在の人物で、

明治時代に商売繁盛の福の神として
       大切にされていた凄いお方らしい。

ニコニコ顔の四郎様が立ち寄るお店は、必ず大入り満員、商売繁盛を約束され、

これぞ、まさに福の神!として、あらゆるお店からひっぱりだこだったらしい。

ちなみに、Wikipedia情報によると、四郎様は元々は聡明な子供だったのに、

7歳の時、花火見物中に誤って広瀬川に転落して溺れ、1週間意識不明で生死の境をさまよった。

それが元で、知能の発達が遅れだしたのだという。

言葉は「バアヤン」としか話さず、市中を歩き回って人に金品をもらったりしていた。

人に危害を及ぼすことはなく、子供が好きで、いつもニコニコと機嫌よく笑っていたという。

「四郎馬鹿(シロバカ)」などとも呼ばれたが、立ち寄る店は必ず繁盛するとされたため、

どこでも無料でもてなされた。四郎は素直な性質であったが、

気に入らない店には誘われても決して行かなかったという。

無料で鉄道を利用し、宮城県内の白石や、福島県の福島・白河、さらには山形県の山形まで足を伸ばしていたらしい。

1902年頃に47歳で福島県の須賀川で死んだとされるが、はっきりしない。

なお、釜山港漫遊中との新聞記事が生前の最後の記録という(「仙台四郎」NHK取材)。

■四郎グッズ販売HP
http://www.nobi.or.jp/mail-order/sendai-shirou/index.html

■四郎特大人形(高さ45cm)税込み金額162,750円


■中国製偽物四郎人形


■四郎わらじ


■これは欲しいかも。。。四郎携帯ストラップ


今でも十分な話題性と、中国製偽物まで生産させてしまう四郎パワーは、

平成の時代にも生き続けている。

どなたか、携帯ストラップ、お土産にちょ~だい!

アートな人:父

2008-11-13 18:22:51 | FAMILY





父は大学時代乗馬をやっていて、天皇陛下と競技したことがあるらしい。(ひえ~)

父は、東京オリンピックの時、馬術競技の審査員をしたことがあるらしい。(すごお~い)




父は、馬の大会などで獲得したメダルを沢山持っている、

中でも東京オリンピックの時の

岡本太郎デザインのブロンズのメダルはすっごくかっこいい!



そんな父はほんの少し馬に似ている。






弁財天参り:金華山編

2008-11-10 17:45:22 | SPIRITUAL
ホテルニューさか井を
8:50分に出発、

宗教団体で賑わうホテルニューさか井


10分ほどで鮎川港に到着。

昭和の時代、捕鯨漁で栄えた町、

今は外人さんがうるさくて商業捕鯨が全面禁止になり、

ほとんどのお店がシャッターを閉めていた。

ホテルの夕食で、クジラのお刺身と、竜田揚げがだされて

とても美味しかった。

ベジタリアンを目指す友人もぺろっとたいらげていた。(笑)

でも、クジラのフルコースって(汗)



ホエール号に乗って15分ほどで金華山に着いた。


船着き場では送迎バスが待っていてくれて、

黄金山神社まで一気に上ってくれた。


ここは、奥州三霊場のひとつに数えられ、

各地から多くの参拝者が訪れている。

金運、開運の神様として崇められ、

3年続けて詣でるとお金に困らないとも伝えられる。

ちなみに、ホテルニューさか井の番頭さんは、

金華山の近くに勤めていながら

三年続けてお参りをしていないため、

貧乏らしい。(笑)


ずっと、家にいると、だんだ外に出る事が面倒になってくる。

でも遠くに出かけて、自然に触れること、

人間にとってとても大切なことだと感じた。


目黒の池田山に行ったときほど、場のパワーをぐいぐい感じることは

なかったが、

金華山は、現実の世界よりも

少しだけ天国に近い気がした。


今回、弁財天参りの途中で、

自分についていろいろ思うところあり、

出不精の私を

引っぱり出してくれた友人に

心から感謝したい。




弁財天参り:ナンダコリャ丸編

2008-11-10 15:44:48 | SPIRITUAL
”海底見れる爆笑遊覧船 ナンダコリャ丸”

石巻駅からホテルニューさか井に向かう車中、関西人の友人がすかさず見つけた赤い看板。

あまりのインパクトに私たちはしばらく笑い続けた。

ナンダコリャ丸のダジャレ看板、実は石巻駅からホテルに向かう道沿いのいたるところに掲げてある。

それも、看板ひとつひとつに、おやじだじゃれ満載で、全く面白くない。

でも、あとになって石巻を帰る頃には、「今度来たら乗ってみようか」と

友人と私に思わせたインパクト溢れる看板の数々は、「広告」の大切さを

あらためて教えてくれた。

家に戻りネットで検索してみると、

探偵ナイトスクープや、所さんの番組など、テレビで何度も紹介され、

「ニッポンお笑い世界遺産」という本にも掲載されているという有名人。




ナンダコリャ丸体験記を載せたブログも結構あって、

実は面白いらしい。

■爆笑遊覧船・ナンダコリャ丸
http://www010.upp.so-net.ne.jp/nandakorya/

■ナンダコリャ丸体験談
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn006/nandakor/nandako1.html

http://jurinobabo.exblog.jp/5843008/





弁財天参り:松島編

2008-11-10 14:24:53 | SPIRITUAL
友人にとって、五大弁財天参りの最終地点となる、

宮城は牡鹿半島の本州最東端に位置する

金華山へいざ出陣!

の前に。。。

ちょっと松島海岸に立ち寄ることにした。

金華山は、石巻駅から車で一時間半ほど行く鮎川港から
フェリーで15分くらいの場所にある。

仙台駅から石巻駅に向かう仙石線のちょうど真ん中くらいに
松島海岸がある。

松島海岸までの車中、
行動予定を立てる私たちの会話に、
まるで餅つきの間の手のように
容赦なく参加してくる一見控えめそうなおばさんからは
これと言って身になる情報を得る事はできなかったのは
残念だった。
(仙台では、この類のおばさんが多く、旅の途中
随分と親しげに会話に参加希望のおばさんに出会った)

トンネルを抜け、突然私たちの目の前に広がった
松島湾の島々の美しさは、私たちのおしゃべりを
一瞬のうちに止めさせた。

久しぶりに日本の美しい風景に出会えた。
日本の控えめで厳かな自然、すてきです。

とは言え、松島海岸を散策する前に、
まずは腹ごしらえ(また!)ということで
海岸沿いに立ち並ぶ食堂を探索。

松島カキのちょうど旬な時期、これを食べずして何を食べるか
ということで、お昼ご飯は、カキといくら丼、あ~んど、ビール。

私たちははずれのないように、三郎ばりに鼻をきかし、
食堂を選んだはずだったが、

隣の中国人が食べるカキ丼の上に乗っているカキが
あきらかに残念な量だったので、

望みを託して
シンプルな焼き牡蠣をオーダーしたのだった。

カキは既に焼いてあったものが殻ごと用意されていたようで、
なまぬるく、身も小さくてこれまた残念。



いくら丼は、さすがにいくらは美味しいのだが、

カキ丼同様、
ご飯に対する分量が少ない。1800円もしたのにい~っ!きーっ


まあ、鼻が効かなかったということで、とっととあきらめ、
弁財天のある福浦島に向かう。

福浦島は、駅から徒歩10分くらいのところにあるのだが、
島につながるなが~い福浦橋は、別名「出会い橋」とも呼ばれ、
この橋を渡ると良い出会いがあるという。うっしっし。


誰と出会う事もなく、弁天様にお参りをし、島のハイキングコースを一周。




松の落ち葉が折り重なってできた厚さ1.5cmほどの葉っぱの絨毯が
歩くたびにふわふわと足に心地よい。


自然の中をもくもくと歩きながら、友人とするたわいのないおしゃべりは
心が朝日に照らされたようなやさしいひとときだ。

とか言ってるうちに、しゃべりすぎた私たちは、石巻駅に迎えにきてくれる
ホテルの送迎バスとの待ち合わせ時刻が迫ってきたため、
急いで松島海岸駅に戻る。

それにしても、金華山は遠い。

ご利益、ご利益と
心でつぶやきながら、仙石線に乗り込む。

■電脳松島絵巻
http://www.matsushima-kanko.com/index.html




弁財天参り:江ノ島編

2008-11-10 11:57:45 | SPIRITUAL
十代の頃に、バイト先に良くきていたお客さんに、

「君の守り神は弁財天」と言われてから、

占いなどでも、「弁財天」の話が良くでてきていた。


ニューヨーク在住の友人が一時帰国の際に、

「日本五大弁財天」をお参りすることになり、

急遽、私も「弁財天参り」に参加することになった。



日本三大弁財天というと、

安芸の宮島 厳島神社
滋賀県琵琶湖内にある竹生島神社
江ノ島神社の三大弁財天

そして、

奈良県吉野の天河神社、
宮城県石巻市 金華山

の二つを加えて、五大弁財天という。

私は、このうち、江ノ島と宮城の金華山のお参りに参加することにした。

七福神の中、唯一の女神である弁財天は、
元はインドの古代神話に登場する
サラスバティというインダス川の神様。


水を神格化した姿で、あらゆる財宝、すばらしい知恵、
柔和、温情、愛情を授け、趣味、芸術の上達をたすけて下さるそうだ。

新宿から9時頃のロマンスカーに乗り、いざ江ノ島へ。
10時には江ノ島に到着。

この日は晴天に恵まれ、絶好のお参り日和。
駅から、江ノ島に繋がる長~い橋を渡り、
お土産屋さんが集まる商店街を抜けると
神社につながる大きな鳥居が迎えてくれる。

そこからエスカー(どんな乗り物かと思いきや、
単なる長いエスカレータだった)に乗り、上って行くと、
すぐに弁天堂のある広場に着く。

弁天堂の中には、

音楽芸能上達の妙音弁財天、


勝運守護の神様、八臂(はっぴ)弁財天の



御尊像が奉られている。

私はどちらかというと、色白で色っぽい妙音弁財天の方に惹かれたかなあ。(おやじか)
(これ以上歌の上達を願うわけではないが。。。)

弁天様に、ながーい間、手を合わせ、願い事をする友人を見ていて
この人は、何をする時にも、本気なんだな~と感心した。



お参りを済ませ、御朱印をいただくと、心はもう、生しらす丼~♪

グルメ番組などでもよく紹介される江ノ島のしらす丼は絶品のはずと
足取りも軽く頂上を目指す。

頂上に向かう道々、ぶくぶくと太りかえった猫たちと何度もすれ違い、
客の残したしらす丼を毎日腹いっぱい食べてるに違いないと若干いらっとした。


すっかりお腹のすききった私たちは、海に向けたテラス席がある料理屋を見つけ、

待望の生しらす丼!と、江ノ島ビール!、焼き蛤!を注文した。うひひ。

うまかった~!!!!!!





風の強いテラス席で、アドベンチャーファミリーのような風にあおられながらも、

無心に生しらす丼を一気に平らげました。相当満足!ついでに頼んだ江ノ島ビールも

ベルギービールみたいでこれまた美味しかったです。

「江ノ島弁財天参り+生しらす丼」!

幸せを感じる小旅行でした。

■江島神社
http://www.enoshimajinja.or.jp/









2008-11-04 17:48:52 | JOB
紙を選ぶのって難しい。オリジナルの名刺を作りたくて紙を探している。

友人に教えてもらった名刺作成キッドの紙は薄っぺらで安っぽくて試しに作ってみたら
やっぱり納得いかずに返品(え!)
だって文字がにじんでしまったんだもん。。。

銀座伊東屋に確か紙だけ豊富に取り揃えたフロアがあったなと思い、
行ってみるとフロアごとなくなっていた。(がーん!)
でも、Crason社というアメリカの紙の会社の名刺サンプルが置いてあってすごく参考になった。

やっぱりアメリカの紙はいいなあー 
資源が豊かなんだろうな。
紙に表情があるのよねん。

以前行った事のある紙のショールーム 「見本帳 本店」に行ってみた。
デザイナーらしき怪しい人々が眉間にしわ寄せながら紙を選ぶ中、
負けずに眉間と目尻にしわ寄せ(おばあさんか)、全種類の紙を触診。

和紙以外はやっぱり日本の紙って魅力無いなー
そんなこと言ってられないので、仕方なく三種類の紙を購入、試作用として。

今までは、「○○○会社の●●●さん」だったけど、
これからは、「●●●が○○○会社をやってます」になる。

だから余計に名刺にこだわりたくなっちゃって。

かっこいい名刺ってなかなか捨てる気にならないのよね。

帰りに山頭火ラーメンによってみた。
塩ラーメン800円を食べたが、麺が粉っぽくてあんまりおいしくなかった。
スープはまあまあ、でも650円でいいと思った。


■山頭火ラーメン

ピカソ展

2008-11-01 11:06:38 | ART
国立新美術館行って参りました。やっぱり天才だ。行って良かった。

この人のすごさは、天才なのに努力を怠らないところ。
生きている間に芸術家として認められたこと。
自分自身の進化に限界まで挑戦し続けたこと。

ちなみにピカソ本人による芸術家の定義はこうだ。

「芸術家とは、どこからなりともやってくる感動を受け入れる、貯水タンクのようなものだ。
 天から、地から、紙の切れ端から、通り過ぎる形から、蜘蛛の巣から、どこからなりとね。」

写真に写ったピカソから言いようの無い存在感と迫力を感じるのは、彼がまさに彼の言うところの芸術家である所以なのであろう。

生涯において70000点の代表作を残したというピカソは一日約3点の作品を制作していた計算になる。
彼にとっての絵画とは、自伝であり、日記の頁のようなもので、日記としてのみ価値があるのだそうだ。
その日記に記したい事柄も、「ランチに食べたとんかつがうまかった」等というものではない。(と、とんかつ!)

「私は、より本質的に似ていることを切望している、
          現実よりも現実に似ることで、超現実に到達するのだ」

(これっておかまの方が女よりいろっぽいと一緒?)

絵画や彫刻、陶芸、コラージュを通して、対象の人物を実際の存在そのものよりもむき出しの人間像として表現してしまうのだ。実際にピカソの描いた人物画の前に立つと、そこに描かれた人間の持つ優しさや美しさ、凄み、卑しさ、醜さ、強さ、悲しさなどその人が隠し持つ本質までもが伝わってくるような気がする。その人自身が作品によって浮き彫りにされてしまうのだ。

今回の展示品の中に、ブロンズでできたドクロがある。

これを見てイメージしたのが、ダミアン・ハーストの牛の輪切りホルマリンづけだ。今年森美術館で開かれたターナープライズ展では牛の縦切りが展示されていた。これ、すごい迫力で、日頃、「ステーキ、ステーキ」、「カルビ、カルビ」などと言って、牛の肉片として接する機会が多い私たちが、牛の輪切りや縦切りに出会うと、「このアーティスト、なんて残酷な作品を作るの!』って感じたり、実際にダミアンのところには動物愛護協会からのクレームや匿名の脅迫文が沢山届いたらしい。でもダミアンとしては、「お前ら、牛の輪切りでもこうして見せない限り、死や命について考えもしないんだろ」という気持ちなんではないだろうか。これに対し友人は、「じゃ、自分を輪切りにすればいい」との結論を出し、そこにいた大多数はその意見に賛成していた。そしてダミアンの本当の狙いは、自分の作品を通して人々がこのような議論を重ねてもらうことにあるらしい。

そう、このピカソのドクロを見たとき、ダミアンが何頭もの牛を殺し(対外的には、死んだ牛を使用ということになっているが)、何人もの手をかりて制作されたホルマリンづけとは比較にならない、崇高で恐ろしくインパクトのある死が簡潔に、しかしもの凄い広がりをもって存在していると感じた。

次はサントリー美術館でピカソを見る。青の時代の自画像に出会ったときには、涙が出るだろうなあ。


牛の輪切り


牛の縦切り


ダミアン・ハーストのダイヤモンドドクロ