I was born to meet JOY

勝手気侭な随想録

 おかしな出来事・食べること・人のこと・時々ART

会ってきました。サントリー美術館 ピカソ展

2008-11-17 20:41:09 | ART
青の時代の自画像に会ってきました。

一緒にパリに来た友人の自殺に打ちひしがれていた時代の青の絵。

青の色がとてもきれいだった。

この絵に限らず、ピカソの絵や彫刻は、

その対象となった人物や動物が、
   本当にそこにいるような存在感を感じる。

だからこの青の時代の自画像も、

ピカソが、ふっと家に帰り、扉を開け、
   鏡に映った瞬間の自分の表情を脳裏に強烈に焼き付け、

その記憶を吹き出すようにキャンバスにぶつけたんじゃないかと。

その時のピカソの思いが、私に伝わってきた気がした。

その一瞬の強い思いが、100年もの間、キャンバスに染み込んで

離れないんじゃないかと感じた。

ピカソだけじゃなくて、何百年も残るような絵や作品を残す芸術家って

実はシャーマンのように、霊能力や予知能力のような特別な力を持っていて、

普通じゃない力で芸術を生み出すから、いつまでも人々の心に焼き付き、

一度でいいから現物を拝んでみたいと思うんじゃないかな。

仏像みたいに。




なぜアートなのか

2008-11-17 10:50:43 | ART
art=芸術を広辞苑でひくと

一定の材料、技術、様式を駆使して、
美的価値を創造、表現しようとする人間の活動およびその所産。

造形芸術(彫刻、絵画、建築等)

表情芸術(舞踊、演劇等)

音響芸術(音楽)

言語芸術(詩、小説、戯曲等)

時間芸術

空間芸術

など、視点に応じて種々に分類される。



私は長い間、インテリア、服飾業界という、商品を売る、

言わば、消費を促す仕事に携わってきた。


中学生くらいの頃から、お小遣いをため、

原宿に通っては、全財産を使って、欲しいものを買い集めてきた。


今まで買い物した金額を合計すれば、疾うに家の一軒も建っていたことだろう。


今思うと、私が何かを買う瞬間、私はその商品の持つ価値が

明らかに自分の持つ商品への価値基準を超え、負けた!と思わせてくれた

商品を購入してきたように思う。

まさに、買い物をして失敗をしないと物の良さがわからないというものだ。

だから、ちょっと興味のある店に入り、負けた!と思えずに店を出るとき、

「ほっ」とするのだ。



それが、ある年齢を超えると、買った、負けたの思いの前に、

「この日本、こんなんでいいのだろうか。。。」

なんてことを思うようになってきた。


昔は、政治は政治家の仕事、法律はお国の決め事、子供育てるのは親の仕事、

なんて思っていて、身の回りで起きている事件や出来事は

しょせん他人事と思っていた。

最近、自分の生まれた大好きな日本が大変なことになっていることを

ひどく残念に思う。

こんな国になってしまった原因は、

無論、能無し役人、能無し政治家の責任でもあるが、

私たち国民の責任でもあるのだ。

今回の大統領選を見ても、アメリカの国民は、本気で政治に参加している。

一人一人が正しくとも、間違っていようとも、my opinionを持って生きている。

出る釘は打たれる教育、日本帝国から完璧に足を洗い、

日本人一人一人が、my opinionを議論できるくらいに成長しなければ

本当にこの国はだめになる。

あほな政治家や役人ををバッシングすることは誰にでもできる。

でも今この国に必要なことは、国民一人一人が、この国をどんな国にしたいと願い、

あほな役人や政治家と対等に議論できるようになるか、

身の回りからなんでもできることをはじめることだ。


こんなことを真剣に考えるようになると、もはや、自分を着飾る衣服や雑貨に

大枚を払う気持ちも薄れ、何かもっと自分の内面を磨くものを探していたんだと思う。

それがアートだったのだ。

続く

次回タイトル:「それがアートだっったのだ」