あまり知られていないことだが、地獄の獄卒。
すなわち地獄の鬼も、慈悲の心を持っている。
人を苦しめるのが大好きなサディストじゃあるまいし、いくら地獄の鬼といえども、地獄の亡者を年がら年中いじめて楽しいわけがない。
特に賽の河原にいる鬼。
彼らだって、まだ、年端もいかないかわいい子供たちが「一つ積んでは父のため、二つ積んで母のため。」などと涙を流して積んでいる石を崩して楽しいわけがない。
これも因縁果報がなすところ。
が、そんなおぞましいところにも、二仏中間の間に六道を巡って、彼らを助けてくれる優しい菩薩がいます。
それが地蔵菩薩。
そうそう、忘れていましたが、閻魔帳を見て人の宿業を観察し、処遇を決める地獄の十三王だって、役目柄とはいえ、さぞかしいやなことでしょう。
今日は閻魔参りの日。
地獄の釜の蓋が開いて、地獄の責め苦がやむ日。
そうそう成仏とは、返り点を入れると仏に成ると書きますが、そのまま漢文読みすると成れる仏と読みます。
精霊(しょうろう)の冥福や自分の往生を願うのもいいですが、日本は大乗の国。
成れる仏を鳴れる仏と読み替えて、一つ大乗心を起こし、三悪道四悪趣の人たちも救われるように、ご自分の宗派のマントラでも唱えるといいと思います。
そうそう、今日は奉公人に休暇を与えた日だと聞きます。
私もパソコンに休暇を与えましょう。
そんなことを思ったいけもとでした。