今の今まで強い束縛感を感じていた。
これといって、私に束縛をかける人がいないので、なぜだろうと思っていた。
そしてたった今、気がついた。
ありもしない束縛のない状態に執着し、それが強い束縛感の原因になっていたのだと。
とかく地上の人生においては、束縛がつきものである。
が、愚かな私はありもしない完全な自由な状態こそ、通常のあり方だと思っていた。
それだもの、地上の人生において、強い束縛感を感じるのも当たり前だと悟った。
実は摩擦があるからこそ、運動が成り立つように、自分と接触する対象があるからこそ、意識が存在する。
つまり、自分以外の存在なくして、意識はあり得ない。
自分以外の存在と関わり合うということは、何らかの摩擦を受けることになる。
その摩擦を束縛だと感じ、それから自由になりたいと願うことは、私の社会的な死滅を意味する。
それに気がついたときに、摩擦があるからこそ運動が成り立つように、対人接触の中で起きる束縛こそ、相手とともに楽しむ下地になるんだなあと悟った。
一方的に相手に奉仕したり、奉仕させたりすることは、そのときは楽しいだろうが、いずれそんな人間関係から逃れたくなる。
たった今私はそう感じていたのだが、それは私の謬見で、相手とともに楽しむという観念が生まれた今、そういう風に人との接し方を変えていこうと思った。
孤独を好む傾向は変えられないが、対人接触の方法は変えることができ、そのうちに人と一緒にいることが楽しくなっていく。
そのようになっていきたいと思ったいけもとであった。