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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

束縛感の原因。

2022-05-24 19:50:19 | いけてつ独り言
今の今まで強い束縛感を感じていた。
これといって、私に束縛をかける人がいないので、なぜだろうと思っていた。

そしてたった今、気がついた。
ありもしない束縛のない状態に執着し、それが強い束縛感の原因になっていたのだと。

とかく地上の人生においては、束縛がつきものである。
が、愚かな私はありもしない完全な自由な状態こそ、通常のあり方だと思っていた。

それだもの、地上の人生において、強い束縛感を感じるのも当たり前だと悟った。

実は摩擦があるからこそ、運動が成り立つように、自分と接触する対象があるからこそ、意識が存在する。

つまり、自分以外の存在なくして、意識はあり得ない。

自分以外の存在と関わり合うということは、何らかの摩擦を受けることになる。

その摩擦を束縛だと感じ、それから自由になりたいと願うことは、私の社会的な死滅を意味する。

それに気がついたときに、摩擦があるからこそ運動が成り立つように、対人接触の中で起きる束縛こそ、相手とともに楽しむ下地になるんだなあと悟った。

一方的に相手に奉仕したり、奉仕させたりすることは、そのときは楽しいだろうが、いずれそんな人間関係から逃れたくなる。

たった今私はそう感じていたのだが、それは私の謬見で、相手とともに楽しむという観念が生まれた今、そういう風に人との接し方を変えていこうと思った。

孤独を好む傾向は変えられないが、対人接触の方法は変えることができ、そのうちに人と一緒にいることが楽しくなっていく。

そのようになっていきたいと思ったいけもとであった。


対象選択の逸脱と対象接近の障害。そして集団精神療法。

2022-05-24 17:50:39 | いけてつオタク話
いわゆるスタンダードからの逸脱は、程度の差はありこそすれ、誰にでもある。
問題はその当事者がその逸脱に対して罪悪感や羞恥心を持つか持たないかの差だ。

メンタル疾患の患者さんは、標準からの逸脱に対して強い恐怖を抱く。
かえって健常者の方以上に、真面目で道徳や倫理に対して潔癖であり、その逸脱に対して、自分にも他者にも厳格すぎるといっても言い過ぎではない。

メンタル疾患の発症が青年期に多いというのは、これが理由である。

欲望の力は増大していく。
が、誤差の範囲にとどまらない対象選択の逸脱や、対象への接近において何らかの妨げがあると、それは青年の心に対して、非常に脅威になる。

青年は対象への接近を非常に恐れることになるが、欲望は心身の発育と同時に増大していく。

それで自分はOKではないということになり、仲間集団からの孤立感を感じ、心がむしばまれていくのである。

実は幻聴や妄想が起きるときの状態は、遭難者の心理に近いものがある。
不眠・空腹・そして孤立である。

人間集団からの故なき孤立。
これが人の心を病ませる脅威となるのである。

仲間はずれや、自らの意思で集団から孤立したものは、メンタルを病む危険性がある。

話は飛ぶが、いわゆるチャムシップや純粋異性交遊の経験がないものは、集団への適応がよくない。

よくないというか、本人の年齢と発達段階がちぐはぐなのだ。

それで四十代になっても、あたかも中学生や高校生レベルの交友を求めて、人が離れていく場合もあるのである。

それとか人生早期の離婚により、そのときの標準的な交友ができない場合も、未婚の友人に対する過度の接近などがある。

統合失調症の患者さんに時々子供戻りが起こるのは、周囲との人間関係にエラーがあったときに、エラーを起こさずに周囲と交わってきた時代まで、心が退行するからである。

これは一例であるが、父親が忙しく遊んでもらった経験がない患者さんが、父親に甘えるのはそれであり、経済苦や近所づきあいに悩み、子供と向き合うどころではなかった母親に育てられた患者さんは、母親にベタベタ甘えて、そこから人間関係のスキルを積んでいくわけである。

その中に、チャムに恵まれなかった青年や、純粋異性交遊に植えた青年たちもいるのである。

この病理は患者によって差があり、病院の経済問題などで、いたずらにデイケアにぶち込んで、チャムシップうんなんていう集団精神療法をやってもあまり意味がないのはそれである。

それに経済問題に苦しむ患者さんもいるから、とてもデイケアや就労支援施設どころではないであろう。

なにやら欲望の対象選択の問題から、統合失調症患者の集団精神療法に話が飛んだが、これは採取したばかりの原石である。

これを磨いて珠にするのは、読者さんへに任せることにする。

以上、いけもと。