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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

救いあう関係、許しあう関係。

2022-05-17 08:08:29 | いけてつ独り言
周囲の期待に完璧に応えないと、生きていく資格がないと思い込んでいた。

こんな考え方であるから、完全主義者にならざるを得ない。

そして私は自分にも完璧を要求し、周りにも完璧であることを要求した。

自分が完璧でないことに怒り、周囲が完璧でないことを怒る。

つまり、自分もNG、他人もNGという構えである。

その構えの持ち主は、NGである自分を抹殺してみたり、NGでない周囲を抹殺しようとする。

すなわち、自殺や無差別大量殺人へとつながる心理である。

が、実は自分が完璧ではなくても、周囲の温かさによって、ここまで生きてきた自分がいる。

完璧でなくても生きていける。
そのために周囲の助力があり、自分も周りを生かすために微力ながらも力を貸してきた。

その時に、完璧でないから救いあう救いの関係がクローズアップされ、完璧でない自分たちを許しあう許しの関係がクローズアップされてくる。

その救いあう関係や許しあう関係が自明でなくなるのが、妄想の根底にある何かなのであろう。

とはいえ、その関係に気づいたところで、いきなり受け入れて実行できるものではないのであるが。

以上、いけもと。

武家政権なんてものは武家の武家による武家のための政治を執権する政権

2022-05-17 00:28:35 | いけてつオタク話
武家政権なんてものは、武家の武家による武家のための政治を執権する政権であって、武家階級の利益を保護するための執権組織に過ぎない。

征夷大将軍なんてものは、単に武家村の村長みたいなもので、武家相互の利益の調整役である。

そして名目上のシャッポとして君臨し、実務は執権だの老中だのが担当するのである。

ただそれを声高に主張したらみっともない。

だから北条政子は貞観政要で理論武装して、徳川家康はこれを天下に出版して、知識階級にそのセンスを植え付けたのである。

そもそも武家は国家の暴力装置であり、幕府は暴力装置の政権。いわば軍事政権である。

だからその正統性の担保として、天皇の将軍宣下が必要であり、理論的支柱として善政主義をとる必要があったのである。

ちょうど、ヨーロッパの市民政権が、王権神授説に対抗する新しい理論的支柱として、自由平等博愛や、天賦人権説なる、ニューイデオロギーを持ち出してきたようなものだ。

いつの間にか、理論ばっかりが先走り、肝心の国家は階級の暴力装置であることが忘れ去れている。

こんな見方で時代の流れを観察するのも面白い。

以上、いけもと。