岩戸神社 天照大神高座神社・高御座神社 八尾市教興寺字弁天山550 2021.07.14 この2つの神社は境界線もはっきりしない程、隣接してある。神社には「岩戸」「天照大神」など日本神話の創世記に関連した名前が付けられているが、この辺りは巨岩が多く見られ、これらにまつわるイメージから名付けられたもの思われる。「高御座神社」は、正式には「天照大神高御座神社」といい、「延喜式」神名帳に「式内社春日戸神」とある伊勢国宇治山田原から約1500年前(雄略天皇23年)に当地に遷座したと伝り、祭神は天照大神、高皇産霊神を祀る。
NETより
参道
天照大神高座神社
弁才天
社務所
天照大神高座神社 本殿
白龍大神
白龍大神
天照大神社
摂社
末寺 妙宗寺
善光寺 八尾市垣内4丁目41
推古天皇8年(600年)、上洛していた本田善光が難波の堀江を通りかかるとその阿弥陀如来像(のちに長野市善光寺の古来から絶対秘仏として伝わる本尊となる)が水中から出現して背に乗った。信濃に戻り家に安置し、その後阿弥陀如来の霊告で、信濃水内郡芋井郷(現在の長野市)に移座し、如来堂を建立して祀ったという。
入口
垣内地蔵尊
垣内地蔵尊
大楠
本堂
外陣
内陣 NET
扁額
香炉台
木鼻
本田善光 推古天皇8年(600年)、上洛していた本田善光が難波の堀江を通りかかるとその阿弥陀如来像(のちに長野市善光寺の古来から絶対秘仏として伝わる本尊となる)が水中から出現して背に乗った。信濃に戻り家に安置し、その後阿弥陀如来の霊告で、信濃水内郡芋井郷(現在の長野市)に移座し、如来堂を建立して祀ったという。
難波にて阿弥陀如来像を迎える本田善光 NET
一光三尊阿弥陀如来 NETより
慈悲地蔵尊
大通寺 八尾市教興寺7-110 4/6 仁和寺以来の参拝
寺の起源は古く、聖徳太子が物部守屋との戦いの際、当寺にその戦勝を祈願したと伝わる。以来、教興寺の一坊、塔頭寺院であったものが、戦火に遭うなど荒廃していたが、元禄年間に融通念仏宗寺として、大通上人により再興され、寺名もこの時大通寺と改め徳宝山の山号を受けた
山門
本堂
本堂
本堂
手水
地蔵堂
地蔵堂 子安地蔵
近松門左衛門の『曽根崎心中』で有名なお初・徳兵衛夫婦塚
1603年の銘のある碑
宝篋印塔