難波池
物部尾輿が「向原の寺」を焼き払った際、仏像を「難波の堀江」に投げ込んだ。しかし、その後も疫病は続き、仏像は再度「難波の堀江」に投げ込まれる。現在の向原寺の寺域内には、これにちなんだ「難波池」がある
「難波の堀江」の名は、長野県の善光寺の創建にも登場する。『善光寺縁起』によると、信濃の住人・本多善光が都へ上都の際に「難波の堀江」の前を通りかかると、物部氏に投げ込まれて池に沈んでいた仏像が金色の姿を現し、「善光こそが聖明王の生まれ変わりである」と告げる。善光はこの仏像を背負って信濃に帰り、自宅の西の間の臼の上に置いて手厚く祀ったといい、それが善光寺の始まりとされている。
向原寺 難波池の由来
難波池
残った仏像を難波池に投げ入れる
向原寺
本堂
金銅観音菩薩41cm
難波の堀江
仏教を信仰しない貴族たちの手で、堂宇を焼かれ、仏像経典は難波の堀江の流された しかし、わざわざ難波の堀江までもっていって、捨てたとは思われないが、いずれにしても、伝承なので 真実は、わからない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます