往生院 泉南市信達牧野1248 熊野街道沿いにあり、その山門前には巨石に由緒が刻まれている
白鳳8年、天武天皇の勅命で道昭が創立した、当地の呼唹(おお)郷は大和朝廷時代から、天皇家の直轄地だった。 国家鎮護のためこの寺院を建立した、道昭は朝鮮百済から渡来した船氏の出身で、船舶、海運、土木工事の担当部族として朝廷に仕えていた
由緒 道昭は大2次遣唐大使の随員として唐の都、長安に留学し、玄奘三蔵について、8年間勉学す、帰朝後、飛鳥元興寺の禅院で、法相宗を開き元祖となった、同時に日本全国を回り、港湾を築き、川を整え池を掘り、国土開発に尽くした。 道昭の創立したこの寺院は5町4方の広大な境内を持ち、飛鳥寺様式の伽藍配置で、信達を寺領とした。白鳳10年金熊寺に信達神社が創祀され、神武天皇を祭神とした。平安中期、摂政藤原忠実の荘園となり、鎌倉、南北朝まで近衛家が統治した。熊野信仰が盛んになり、上皇、貴族が行列を組んで百回に及ぶ熊野詣をした。信達の四王子を参拝した。 足利尊氏が信達荘を根来寺へ四季大般若転読料所として寄進す、豊臣秀吉の、根来寺攻めで全焼した。 文禄の太閤検地で寺院境内は404坪となり、浄土宗に、かいしゅうされた。 元禄4年真言宗に戻り、京都仁和寺は本山となった。
水子地蔵菩薩
本堂
薬師堂
二面石仏
観音堂
途中にある地蔵群
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