往生院六万寺 東大阪市六万寺町1-22-36 天平17年(745年)、行基菩薩49院建立の折に、聖武天皇の勅願により、桜井寺荒廃の跡へ、六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としていたことが伝わっています。 それ以前も文武天皇の時、役小角(修験道の開祖)が来山し、背後の岩瀧山にこもり、修験錬行の地としていたことも伝えられています。現在も岩瀧山には山号の由来として、 修行に適していたと思われる険しい岩肌、滝が多数残っています
仁王門
指月殿
奥の院
本堂
本堂
境内
大光明殿
pamphlet より
阿弥陀如来 大阪の仏像より
十一面観音 大阪の仏像より
梶無神社 東大阪市六万寺町3-14-31 由緒書きをくださいというと300円-止めた
社伝によると、神武天皇ご東遷の砌、日下坂の戦に利あらず舟にて廻し給うとき風強く波高くして梶折れ、舟は水上を漂流して小丘に着き、暫し御舟をとめさせられてご東遷の御偉業達成を祈るためにこの船山の地に御祖神である瓊瓊杵尊を祀られたと伝えられている。現在の大阪湾は。数千年(縄文時代前期)には生駒山麓まで入り込んだ内海であり、神武天皇ご上陸の地は現在の六万寺町三丁目三番付近ともいわれ、「梶無」の字名が存する。
秋祭り
拝殿
本殿
社務所