週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

第2回 四国八十八ヶ所お遍路の旅 2015.02.12

2015年02月13日 | 神社仏閣

第10番 切幡寺  
徳島県阿波市市場町切幡129  333段の階段があり、しんどかった
寺伝によれば、修行中の空海が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。
これに感激した空海が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度させ、灌頂を授けたところ、娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿になったという

 

参道

 経木場    

山門

本堂

本堂後ろ屋根の上の前後にいる「極楽の迦陵頻迦」

大師堂

多宝塔 重文 住吉社神宮寺から、移築されたもの
明治6年、徹底した神仏分離が行われ、ほとんど全ての仏堂が破壊される。東塔もこの時、棄却された。 西塔は明治6年阿波切幡寺に「5円何十銭」かで売却され、当地で明治11年上棟され(墨書)、現在は重文指定を受け、健在です。元和4年(1618)の再建塔であった。

多宝塔

不動明王堂八祖大師堂

はたきり観音 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像。右手にはさみを左手に布を持つ姿

蝋梅       淡路SA

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回 四国八十八ヶ所お遍路の旅 2015.02.12

2015年02月13日 | 神社仏閣

第11番 藤井寺  徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525

(815年)に空海がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられる。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという

 

山門

 

本堂

本堂・天井絵

大師堂

内陣

不動堂

白龍弁財天

絵馬

焼山寺への道

大日如来祠    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回 四国八十八ヶ所お遍路の旅 2015.02.12

2015年02月13日 | 神社仏閣

  第9番 法輪寺 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2
巡錫中の空海が白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられている。当初は現在地より4km北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号した。

  

仁王門

  

本堂

大師堂

鐘楼

 

   

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回 四国八十八ヶ所お遍路の旅 2015.02.12

2015年02月13日 | 神社仏閣

第8番 熊谷寺   徳島県阿波市土成町土成字前田185
寺伝によれば(815年)空海がこの付近で修行をしていた際、熊野権現が現れて1寸8分 の金の観音像を授けた。そこで堂宇を建立し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音菩薩を刻んでその胎内に授けられた観音像を収めて本尊としたという

千手観音

山門

中門

軍神

 

本堂

内陣

大師堂

大師堂

屋根瓦

多宝塔

鐘楼

    

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二回 四国八十八ヶ所 第七番 2015.02.12

2015年02月13日 | 神社仏閣

四国八十八ヶ所お遍路の旅 Bus Tour  Trapics  44人                               第七番 十楽寺 

徳島県阿波市高尾字法教田58
空海がこの地に逗留した際に阿弥陀如来を感得し、楠にその像を刻み本尊として祀ったとされる。当初は現在地よりおよそ3km離れた十楽寺谷の堂ヶ原に堂宇を建立したものと推定されている 

無量光

山門

 

本堂

  

中門

大師堂

 

遍照殿

遍照殿・愛染明王

遍照殿 水子地蔵

観音像

不動明王

聖霊硲

治眼地蔵不動明王天井画

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする