CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ノジュールとコンクリーション

2021年05月21日 04時59分34秒 | Weblog

2021年5月4日のNHKラジオ「子ども科学電話相談」で「ノジュール」とは何かの

質問が寄せられました。私もいまだ聞いたことの無い言葉だったので調べて

みました。

ノジュール化石を中心に岩石に含まれる金属が置換して固くなったモノ) 

Wikipediaによる解説は下記のとおり。

団塊(だんかい、英: nodule[1][2]、concretion[1])とは、地質体中に見られる、
周囲と成分の異なる塊。ノジュールともいう[3]。堆積物の砕屑粒子の隙間が鉱物で

充填されてできたものはコンクリーションという。内部に化石を閉じ込めている

ことがあり[4]、その場合には周囲の母岩よりも硬い団塊が地面の圧力に耐え、
内部の化石は立体を保っていることが多い。従って化石採集の際には、雨や川に
よる浸食を受けて露頭から落ちた団塊を探すという手法も採られている[5]。

ノジュールに関連してコンクリーションの解説も講師の先生から解説があった。

Wikipediaでは下記のように説明

コンクリーション(英: Concretion)は、堆積物の砕屑粒子間の隙間に鉱物が析出・充填
することによって凝結したものを指す。
いわば"天然のセメント"である。通常、球形あるいは卵形だが、不規則な形状になっている
こともある。「ノジュール(団塊)」と区別されないで用いられていることもあるが、本来、

ノジュール(nodule)とは、周囲とは異なる鉱物の球状塊のことで、
堆積岩中のものとは限らない(例えば、かんらん岩ノジュール)。
18世紀頃から地質学的な記録があり、恐竜の卵、動植物の化石、地球外物質あるいは人工物ではないかと考えられていた。

 

写真が無いと寂しいので化石の写真を添付しておきます。

上の写真は第10回須磨の植物化石展で展示されていたヒノキバヤドリギ(檜葉寄生木)の
化石です。ヒノキバヤドリギの学名 :Korthalsella japonica
ツバキ、ヒサカキ、モチノキ、マサキ、ヤブニッケイなどの常緑樹に寄生する常緑の
木で化石の隣に須磨離宮公園で採取された親木とヒノキバヤドリギも置かれて
いました。

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2021年の梅雨入り(近畿地方)は5月16日 平年より21日早い梅雨入り

2021年05月20日 11時56分33秒 | Weblog

気象庁は2021年5月16日、東海地方と近畿地方が梅雨入りしたとみられると発表した。

東海、近畿ともに平年より21日早い

去年と較べると25日早い梅雨入りとなりました。

例年、神戸市における蝉の初鳴きと梅雨という題でブログを作成しています。

2020年の蝉の初鳴きと梅雨

セミの初鳴き 7月9日 梅雨入りは6月10日 梅雨明け 7月31日

2019年の蝉の初鳴きと梅雨

セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月25日 梅雨明け 7月24日

2018年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月6日 梅雨明け 7月9日

2017年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月7日 梅雨明け 7月19日

2016年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月11日 梅雨入りは6月4日 梅雨明け 7月18日

2015年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月14日  梅雨入り 6月3日 梅雨明け 7月20日

2014年の梅雨と蝉の初鳴き
セミの初鳴き 7月15日   梅雨入り 6月4日 梅雨明け 7月21日

2013年の梅雨明け宣言とセミの初鳴き
 セミの初鳴き 7月16日 梅雨入り 5月28日 梅雨明け 7月8日

 

梅雨ということで紫陽花に関する写真を添付して筆を置きます。

上の写真は神戸市文化ホールの壁に描かれた紫陽花(あじさい)の壁画

 撮影:2021-5-6

壁画の前の植え込みの前から撮ったものです。
この作品は智恵子抄などで著名な洋画家の高村智恵子氏が1934年に書いた
紙絵を原画として1973年に田中琴氏が陶板を監修して製作されたものです。

昭和45年(1970)万国博覧会を記念して市民アンケートにより神戸市の市花となった

「あじさい」は、梅雨時に精細で美しく咲く私の好きな花の一つです。
あじさいの語源は、小さいものが集まることを意味する「あづ」と、青という意味の

「さあい(真藍)」だと言われています。神戸の街もあじさいのように小さいものが

たくさん集まってすばらしい彩を放つ魅力的な町であると思います。
神戸市内でも、須磨離宮公園、森林植物園などたくさんの名所があります。

 

関連ブログ:

累計訪問者数 170万を突破 on 2021-5-12 副題:神戸市文化ホール壁面の紫陽花 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

神戸文化ホールの壁画 あじさい on 2011-9-15 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 

 

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パルスオキシメーターの購入 on 2021-5-17

2021年05月20日 04時42分50秒 | Weblog

2021年5月17日(月)、神戸市中央区の神戸マルイ4階にあるinfirmiere神戸店

パルスオキシメータを購入しました。(新型コロナウイルス感染症対策として)

憶えとしてブログを作成しておきます。

購入品の基本情報

購入価格:5,489円(税込)

機種:OX-200

製造元:Contec Medical Systems Co. Ltd(中国製)

   所在地は河北省の秦皇島市(しんこうとう-し)・・・高級リゾート地で有名

輸入:株式会社ドリテック 越谷市流通団地2-3-9

販売:株式会社ナースステージ アンファミエ事業部 大阪市西区北堀江1-1-18

    親会社はベルーナグループ(東証1部上場)

購入品外観

上の写真はOX-200の本体部

上の写真は製品が入った箱の外観

OX-200の製品仕様

取扱説明書より仕様書を掲載

SpO2 測定精度は±2%

 

測定方法

 

測定原理

パルスオキシメータは可視光線の 赤色光(波長660nm付近)と近赤外線の赤外光

(波長940nm付近)の 2波長の透過光量を計測することで血中酸素飽和度(SpO2

を計測することができる。

透過光量を「容積脈波法」と「分光光度法」で測定している。

 

購入価格について

 近くのドラグストアでは2,000円程度(中国製)で販売されていました。

 国産のパルスオキシメータでは1万円以上の機種が多いようです。

 一時、品薄のニュースを聞いたことがありますがドラグストアなどで店頭に

 並んでいることを確認しました。

 

アンファミエ(通販)のサイトにリンクしておきます。

  アンファミエ | 白衣や看護師・ナースグッズの通販サイト (infirmiere.co.jp)

 

 

 

 

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淡路島(淡路市)散策記 on 2020-10-30 その4 ラジオ関西送信アンテナ

2021年05月19日 04時20分59秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月30日、明石港から淡路島への連絡船ジェノバラインで岩屋港へ行き

淡路市が運営するコミュニティバス「あわ神あわ姫バス」で淡路市を周回しました。

今回は淡路島(淡路市)散策記シリーズの第4回としてラジオ関西送信アンテナについて記載します。

シリーズ過去の記事は下記のとうりです。

 淡路島(淡路市)散策記 その1 岩屋港 on 2020-10-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 淡路島(淡路市)散策記 on 2020-10-30 その2 絵島 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

淡路島(淡路市)散策記 on 2020-10-30 その3 石屋神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

番外

 淡路市 とと姫でのランチ on 2020-10-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 

 

上の写真はラジオ関西(558KHz)の淡路大磯送信所の遠景です。

東浦バスターミナル付近の海岸から撮ったものです。

当日は淡路市が運営するコミュニティバス「あわ神あわ姫バス」で岩屋から時計回りに

乗車し、東浦ターミナルで下車して、海岸方面へ歩いていきました。

ラジオ関西の送信所の住所は兵庫県淡路市小磯1

Goo地図を添付しておきます。

 

Wikipediaによれば

兵庫県をはじめ近畿地方(関西広域圏)の広範囲に電波(558KHz)を発射している。
現在は淡路市小磯1番地1にあるが、以前は同市岩屋(淡路島の北端)にあった。
旧送信所近くを通る明石海峡大橋建設工事に伴って、電波障害が見込まれたため
本州四国連絡橋公団(現本州四国連絡高速道路株式会社)の負担で移設され、
1994年の11月23日から運用を開始した。

およそ2か月後に阪神・淡路大震災が発生。当時須磨区にあった本社スタジオは
大きく損壊して使用不可能になったが、送信所を移したばかりで、老朽化により
倒壊の恐れがあった旧送信所も解体済みであったことから、結果的に放送全面停止
という最悪の事態は免れた。

現送信所は1998年まで運航していた淡路フェリーボートの大磯港に隣接した場所に
あり、フェリー廃止後の周辺は三洋電機の事業所や本四海峡バスの大磯営業所、
太陽光発電施設が設置されている。

 

ラジオ関西は1952年4月1日民放ラジオ10番目の開局(コールサインJOCR 当初の

周波数は1,490kC)したので来年の4月1日に開局70周年を迎えます。

当初は神戸放送株式会社(現・株式会社ラジオ関西)として1951年8月22日に創立。

創立から勘定すると今年の8月22日が70周年の創立記念日となります。

現在の場所(神戸情報文化ビル)に移転したのは1996年8月8日、それまでは神戸市

須磨区行幸町に本社社屋が1968年3月16日よりありました。

 

 

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LA MADRAGUE 須磨店 (マドラグ) でのランチ on 2021-4-13

2021年05月18日 04時31分16秒 | 神戸情報

2021年4月13日、大丸須磨店の4階に新しくできたサンドイッチの店「モドラグ」

でランチをいただきましたので写真紹介します。初訪問です。

 

マドラグ(LA MADRAGUE)須磨店の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2-2-4 大丸須磨店 4F TEL:078-791-3111(大丸須磨店代表)

料理ジャンル:喫茶、サンドイッチ

営業時間:11:00~19:30

 

 

上の写真は奥様が選択したエビフライタルタルコッペサンド 473円

及びセットドリンク(ホット コーヒー)330円

上の写真はわたくしが選んだ揚げたてフィッシュフライとハーブマヨネーズの

サンドイッチ836円とセットドリンク(ホット コーヒー)330円

 

上の写真はメニュー表

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累計訪問者数 170万を突破 on 2021-5-12 副題:神戸市文化ホール壁面の紫陽花

2021年05月17日 16時41分49秒 | Weblog

2021年5月12日(水)に累計の訪問者数が170万uuを突破しました。

憶えの為、記載しておきます。

本ブログも2004年に開設していますので約17年間続けています。
あと何年生きれるか判りませんが死ぬまで継続出来ればイイナと考えています。

 

直近の週間アクセス数

    (2021.4.18 〜 2021.4.24)6,653UU、18,920PV 350位
 
    (2021.4.25 〜 2021.5.1)6,461UU、21,058PV 338位

    (2021.5.2 〜 2021.5.8) 6,794UU、15,021PV 299位

               (2021.5.9 〜 2021.5.15) 6,900UU、17,493PV 303位
 

アクセスしていただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。

尚、2021年5月15日(日)現在の総閲覧数は6,537,675PVです

 

過去の同じテーマのブログ

 

 累計訪問者数 165万を突破 on 2021-3-19

 累計訪問者数 160万を突破 on 2021-1-30 &明石市東二見、御厨神社のロウバイと紅梅 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 累計訪問者数 155万を突破 on 2020-12-7 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 計訪問者数 150万UUを突破 on 2020-10-23 

 累計訪問者数 145万UUを突破 on 2020-9-12

 累計訪問者数 140万UUを突破 on 2020-8-5

 累計訪問者数 135万UUを突破 on 2020-6-26

 累計訪問者数 130万UUを突破 on 2020-5-20

上記ブログ(130万UU)では過去の経過も含めて纏めています。

 

写真が無いと寂しいので最近撮った写真を添付しておきます。

上の写真は神戸市文化ホールの壁に描かれた紫陽花(あじさい)の壁画

 撮影:2021-5-6

壁画の前の植え込みの前から撮ったものです。
この作品は智恵子抄などで著名な洋画家の高村智恵子氏が1934年に書いた
紙絵を原画として1973年に田中琴氏が陶板を監修して製作されたものです。

昭和45年(1970)万国博覧会を記念して市民アンケートにより神戸市の市花となった

「あじさい」は、梅雨時に精細で美しく咲く私の好きな花の一つです。
あじさいの語源は、小さいものが集まることを意味する「あづ」と、青という意味の

「さあい(真藍)」だと言われています。神戸の街もあじさいのように小さいものが

たくさん集まってすばらしい彩を放つ魅力的な町であると思います。
神戸市内でも、須磨離宮公園、森林植物園などたくさんの名所があります。

上の写真は壁画の前に設けられた石碑で、高村光太郎を尊敬している詩人
草野心平が書いた短歌である。

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淡路島(淡路市)散策記 on 2020-10-30 その3 石屋神社

2021年05月10日 04時20分04秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月30日、明石港から淡路島への連絡船ジェノバラインで岩屋港へ行き

淡路市が運営するコミュニティバス「あわ神あわ姫バス」で淡路市を周回しました。

今回は淡路島(淡路市)散策記シリーズの第3回として石屋神社について記載します。

シリーズ過去の記事は下記のとうりです。

 淡路島(淡路市)散策記 その1 岩屋港 on 2020-10-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 淡路島(淡路市)散策記 on 2020-10-30 その2 絵島 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

番外

 淡路市 とと姫でのランチ on 2020-10-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 

 

石屋神社の基本情報

住所:兵庫県淡路市岩屋799  TEL:0799-72-3155

御祭神:國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊

別名:絵島明神、岩屋明神

所在地のGoo地図を添付しておきます。 

 

拝殿

上の写真は拝殿の遠景、中景、近景

扁額には「天地大明神」と書かれています。

拝殿の天井には淡路に3つしかない、干支をあしらった方位磁石が見られます。

本殿

上の写真は本殿

長屋式門

上の2枚の写真は長屋式門を浜側と境内から撮ったものです。 幅50mもあるそうです。

春分・秋分の日には、社殿で鳥居の中央から昇る日の出を見ることが出来ます。

手水舎

上の写真は手水舎

神輿庫

上の写真は神輿庫

境内社

上の写真は八百萬神社

上の写真は稲荷神社

 

由緒

創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ 
絵島明神といい垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后 
(皇紀八百六十年頃)三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ

三対山の頂上に於て戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて 
報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて
使を派し 清祓を科すべき事を卜奏せり二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と
勅定せられ神階を 昇叙し神供田を寄進せらる源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く
什宝古記録の烏有に 帰せしめたり土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて
京都に入らんとし当地に 軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地に
遷座せり池田氏淡路を領せし際社殿を再興し 寛政八年(1796)領主蜂須賀候親しく参拝し
文化十四年(1817)又直参を見たり明治六年(1873)二月郷社に列せらる。

 

豊漁と海の安全を願う「岩屋浦祈祷祈願祭」が3月の第一日曜日に実施されています。

「船渡御」、氏子らが恵比寿舞を演じる「浜芝居」が催行されます。

神戸新聞が作成したYoutube動画をGooで共有させていただきました。

新五国風土記・第1部淡路編~はじまりの島/石屋神社の浜芝居

 

9月には秋の例祭が行われます。祭のシンボルは「扇子」

道唄謙信さんが作成したYoutube動画をGooで共有させていただきました。

平成29年 淡路市岩屋 石屋神社秋祭り 1 宮入 中之町

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大山捨松の生涯 ~その情熱と志~

2021年05月09日 04時14分16秒 | Weblog

大山捨松(1860~1904)の生涯について調べていたら下に添付の動画が

見つかりましたので紹介します。

大山捨松の生涯 ~その情熱と志~

子孫で歴史ライターの大山格さんが解説されています。

 

上の写真は鹿鳴館の華として活躍した大山捨松

出典:英雄たちの選択「“明治”に挑んだ女性 ~“鹿鳴館の華”大山捨松の実像~」

[NHKBSプレミアム] 2020年11月25日 午後8:00 ~ 午後9:00 

 

これからは明治4年(1871)11月12日(新暦換算1871年12月23日)に横浜を出発した

岩倉使節団の一行として11歳で米国に留学した大山捨松に関する記述です。

 

  
   上の写真は留学生のリストです。
   出典:泉三郎 著 誇り高き日本人 国の命運を背負った岩倉使節団の物語(2008)

   
   上の写真は駐日米国公使 デ・ロング夫人と女子留学生(5名)
   出典:幕末明治 古写真帖 新人物往来社 (2003)Page76

   
   上の写真はWikipedia(岩倉使節団)で使用の米国留学女学生
    左から、永井繁子 (10)、上田てい (16)、吉益りょう (16)、津田うめ (9)、
    山川捨松 (12)。明治4年。姓名はいずれも当時のもの、数字はかぞえ歳。

   5人の略歴は下記のとおり(Wikipediaより)年齢は出発時
   永井しげ:永井繁子(ながい しげこ)、満8歳、旧幕臣・益田鷹之助の娘
                        (旧幕臣・永井久太郎の養女)。
   上田てい:上田悌子(うえだ ていこ)、満14歳、旧幕臣・上田畯の娘、
                     後に医師・桂川甫純と結婚、没年不詳。
   吉益りょう:吉益亮子(よします りょうこ)、満14歳、旧幕臣・吉益正雄の娘、
                       1885年以前に死去。
   津田うめ:津田梅子(つだ うめこ)、満6歳、旧幕臣・津田仙の娘。
   山川捨松(やまかわ すてまつ)、満11歳、会津藩の国家老・山川尚江重固の末娘。


   

   

   上の2枚の写真も女子留学生に関する資料
   出典:詳説 日本史図録 第2版 山川出版社(2008) Page212
    女子留学生の派遣は開拓次官・黒田清隆の建議による。

Wikipediaによれば

5人の女子留学生のうち、すでに思春期を過ぎていた年長の2人は病気を理由に
その年のうちには帰国してしまった。
逆に年少の捨松、永井しげ、津田うめの3人は異文化での暮らしにも無理なく順応していった。
この3人は後々までも親友として、また盟友として交流を続け、日本の女子教育の発展に
寄与していくことになる。

大山捨松はアメリカに渡っていた兄の山川健次郎の知人の仲介で、コネチカット州
ニューヘイブンの会衆派の牧師レオナード・ベーコン (Leonard Bacon) 宅に寄宿し、
そこで4年近くを一家の娘同様に過ごして英語を習得した。

このベーコン家の14人兄妹の末娘が、捨松の生涯の親友の一人となるアリス・ベーコン

(捨松より2歳年上)である。

アリス・ベーコンは後に女子英語塾の英語教師として来日します。

出典:NHK BS3 英雄たちの選択

大山捨松はニューヨーク州のヴァーサー大学を卒業した後、ニューヘイブン病院で

2ヶ月実地看護に従事し、看護婦の免許を取得した。

上の写真はバーソー大学の卒業記念写真より 出典:NHK BS3 英雄たちの選択

 

11年間の米国生活の後、捨松は明治15年(1882)11月22日帰国。

その頃の日本では20歳までに結婚をすることが多く、捨松にも結婚話があったがすべて

断り、明治16年(1883)11月8日に軍人の大山巌と結婚することとなります。

大山巌は前妻を亡くし、前妻との間には3人の子供(下記 By Wikipedia)がいました。

長女/義娘: 信子(のぶこ、長井荷風『不如帰』浪子のモデル)
次女/義娘: 美津子(みつこ、夭折)
三女/義娘: 芙蓉子(ふよこ)
四女/義娘: 留子(とめこ、『鹿鳴館の貴婦人』の著者・久野明子の祖母)

 

結婚後、大山巌との間に3人の子供(下記 By Wikipedia)を育てています。

五女: 久子(ひさこ)
長男: 高(たかし、海軍少尉候補生、練習航海中の事故で殉職)
六女: 永子(ながこ、流産)
次男: 柏(かしわ、考古学者、戊辰戦争研究家、公爵、妻は近衛文麿の妹・武子)
 孫:梓(海軍主計士官、広島大学教授・歴史学者、柏の長男)
 孫:桂(海洋生物学者、柏の次男)

「鹿鳴館の名花」と謳われ、日本の西洋化、社会奉仕、女子教育に貢献した。

明治33年(1900)、津田梅子とともに女子英学塾(後の津田塾大学)を創立した。

上の写真は鹿鳴館でのチャリティー風景 

チャリティーで得た収入は看護教育の資金などにされた。

上の写真は晩年を過ごした那須塩原の別荘

大正8年(1919)2月18日、スペイン風邪に罹患し死去 享年59歳

墓は那須塩原市にあり夫の大山巌の墓(上の写真の正面)の右手に並んで葬られています。

 

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兵庫県立美術館[小企画]「吉田博 播磨造船所 絵画群」 の展示鑑賞 on 2020-10-21

2021年05月08日 05時37分59秒 | 神戸情報

2020年10月21日、兵庫県立美術館で「吉田博 播磨造船所 絵画群」の展示があり

鑑賞しました。

油彩画23点、鉛筆、色鉛筆、水彩が85点の作品が展示されていました。

撮影禁止であったので、リーフレットより展示の概要を憶えのため記載します。

国内外で評価を得た洋画家・版画家の吉田博(1876~1950年)が太平洋戦争の

末期、昭和19年(1944)相生市に滞在し、播磨造船所(現IHI相生事業所)で動員

された勤労学徒の作業の様子などを油絵やスケッチで描いたものです。

リアルに表現された勤労学徒の姿は今でも印象深く記憶に残っています。

スケッチブックも手にとって見ることができました。

一昨年に亡くなった義母(大正10年生まれ)からも倉敷の軍需工場に住み込みで

作業に従事した経験があるとの話を聞いています。

IHIの倉庫などで眠っていた作品約100数点を集め、兵庫県立美術館の学芸員の

出原均さんが企画されました。

作品群が発見されたのは1990年、IHIの造船部門だった相生第1工場が分社化

されてIHIアムテック(現JMUアムテック)が発足する際、工場の事務所倉庫で

吉田博の作品(油絵)12点が見つかった。発見者は初代社長の石津康二さん。

その後、2017年にアムテック第4代社長の山上和政さんと県立美術館の出原均さんの

尽力で吉田博画伯の作品群の収集作業が進み関係者の協力もあって今回の小企画展に

繋がった。



上の写真は展示会のリーフレット

展示会要項
 名称:「吉田博 播磨造船所絵画群」展

 会期:2020年10月10日~12月27日  開催場所:兵庫県立美術館(TELは078-262-0901)

 観覧料金:一般500円

上の写真は鑑賞ガイド

上の写真は出原均さんの講演会のチラシ

 

吉田博(1876-1950)の略歴は以下のとおり(Wikipediaより引用)です。

明治9年(1876)9月19日、旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれる。

1888年(明治21年)、福岡県立修猷館に入学。
1891年(明治24年)修猷館の図画教師であった洋画家・吉田嘉三郎に画才を見込まれ、
    吉田家の養子となる。
1893年(明治26年)、修猷館を卒業し、京都で洋画家田村宗立に師事。
1894年(明治27年)、三宅克己と知り合いその影響で水彩を描き始め、三宅の勧めで上京して
    小山正太郎が主催する不同舎に入門し、後に明治美術会の会員となる。
1898年(明治31年)、明治美術会10周年記念展に、『雲叡深秋』、『雲』などを出品。

1899年23歳で、中川八郎と共に渡米し、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催。

1900年(明治33年)には、ボストン美術館で2人展を開催し成功。
その後渡欧して、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴し、パリ万博に
おいて、日本現代画家作品展示『高山流水』が褒状を受けている。米国へ戻り、
満谷国四郎、河合新蔵、鹿子木孟郎、丸山晩霞、中川八郎などと、ボストン・アート・
クラブで「日本画家水彩画展」を開催。

1902年(明治35年)、前年に解散した明治美術会を引き継ぐ形で、吉田の発案により、
    満谷国四郎、石川寅治、中川八郎らと太平洋画会(現・太平洋美術会)を結成。
    同年、第1回太平洋画会展を開催し、『榛名湖』など13点を出品。

1903年、第2回展では『昨夜の雨』など21点を出品している。後に、太平洋画会は黒田
清輝らが創設した白馬会とともに、明治時代の画壇を二分する団体として発展していく。

1903年(明治36年)、2度目の渡米で、ボストンを拠点に展覧会を開催。
1904年、セントルイス万博に、『雨後の桜』、『昨夜の雨』など3点を出品し、銅賞碑
を受賞。この2度にわたる渡米により、画風の基礎が出来上がり、かつ豊かになった。
その後、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCなどで展覧会を開催し、
欧州諸国、及びモロッコ、エジプトを巡歴して、
1906年(明治39年)帰国。

1907年、東京勧業博覧会で『紐育ブルックリンの夕景』が2等賞を受賞。第1回文部省
    美術展覧会(文展)で、『ピラミッドの月夜』、『新月』などを出品、
    後者が3等賞を受賞し、文部省買い上げとなる。
1908年(明治41年)、第2回文展で『雨後の夕』が2等賞(最高賞)を受賞。
1909年(明治42年)、第3回文展で『千古の雪』が2等賞(最高賞)を連続受賞。
1910年には、第4回文展の審査員に任命され、1913年まで務めている。その後は、

無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)として毎年文展に出品し、1919年の帝国美術院創立後も
その展覧会である帝国美術院展覧会(帝展)に作品を発表し続けており、1924年以降、
数回にわたり帝展の委員や審査員を務めている。早くから風景画を題材とし、特に山岳
と建物を好んでモチーフに選んだ。夜の光のもつ情趣を扱った作品も多い。

1920年(大正9年)新版画の版元の渡辺庄三郎と出会い渡辺版画店から木版画の出版開始
1921年(大正10年)、『牧場の午後』及び『帆船』のシリーズを出版。
1923年(大正12年)、関東大震災により木版画と版木を全て焼失し、三度目の渡米。
   この時、渡辺木版画舗により制作した木版画7種を持参していくと好評を得た。
   また、海外では粗悪な浮世絵版画が高額で取引されているのを知り、日本人と
  して恥ずかしく思ったという。こうした経験から、これ以降、温和な画風の木版画の
   作品が多くなっていった。特大判のもので、数十度摺りとなったものもあった。
   数多くの富士山を描いた作品を見ると、葛飾北斎から刺激を受けていたと考え
   られる。ボストンを拠点に、フィラデルフィア、デトロイトなどで展覧会を開催。

1925年、欧州歴訪の後に帰国し、新宿区下落合に吉田版画スタジオを創設、木版画
   『アメリカ・シリーズ』、『ヨーロッパ・シリーズ』を自ら版元となり出版を開始。
1927年(昭和2年)、日本およびハンガリー現代版画展に40点を出品。
1936年(昭和11年)、日本山岳画協会を結成。

1937年(昭和12年)、第1回文部省美術展覧会(新文展)に『利尻姫沼』を出品し、
        李王家買上げとなる。戦時中は従軍画家として中国へ赴いている。

戦後は、欧米での知名度が高かったせいか、吉田のアトリエは進駐軍の芸術サロンの
ようになった。敗戦直後の1945年(昭和20年)の秋には、いち早くダグラス・
マッカーサー夫人も、下落合のアトリエを訪問している。米軍のバンカースクラブ
(将校クラブ)での版画講習会や、参加者をつのってアトリエ見学会が毎月開かれるなど
吉田作品の人気はきわめて高かった。
1947年、太平洋画会会長に就任し、第3回日本美術展覧会(日展)の審査員をつとめ、
     『初秋』を出品。

1950年(昭和25年)4月5日、新宿区の自宅で老衰のため死去。享年74歳。
         墓所は文京区白山の龍雲院。法名は大機院俊峰徹心居士。

 

上の写真は同時期に兵庫県立美術館で開催の皆川明「つづく」の看板

こちらの展示は人が多く観覧していました。機会があれば記事にしたいと思います。

 

上の写真は吉田博の展示会と同時開催の視覚遊戯の看板

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姫路市見野古墳群出土の土器に猫の足跡

2021年05月07日 03時55分59秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年5月4日の午後10時よりNHK総合テレビ「ミステリアス古墳 スペシャル」で

標題の「姫路市見野古墳群出土の土器(須恵器)に猫の足跡」の情報を初めて

知りました。見野古墳群には2013年9月28日に訪問していますのでその時の状況と

2007年に見つかった猫の足跡がついた土器について書いていきます。

 

上の写真は見野古墳群(姫路市)から出土した土器(2007年に出土)。

土器の左側に猫の足跡がついています。

上の写真は番組で解説をされた国立歴史民俗博物館教授の松木武彦さんと出演者・司会者。

猫が日本に伝わった経路は、古代メソポタミアから→エジプト→ヨーロッパ→中国と

言われています。日本にはこれまで奈良・平安期にやってきたので定説でした。

しかしこの発見から古墳時代後期にたくさんの猫がいたことを意味しています。

現在のところ、見野古墳群で発見された須恵器に残るものが、日本で確認された、

最も古い猫の足跡と推定されています。

2020年9月には福井県美浜町の国史跡・興道寺廃寺跡周辺の古墳周溝から見つかった

古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)の須恵器片に、ネコとみられる小動物の足跡が

ついていたことが分かったと発表されています。(下記報道)

 美浜の土器にニャンとネコの足跡が……:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

関連サイト:ネコの足跡付き、古墳時代の土器片 美浜町歴史文化館で企画展 | FUKUI若狭ONEweb 福井「若狭路」の観光サイト (wakasabay.jp)

上の写真は見野古墳群の周辺の地図を示したものです。

出典:姫路市埋蔵文化財センター 「古代美濃里を訪ねて」リーフレット

見野古墳群の基本情報
所在地:姫路市四郷町見野964-5(見野の郷交流館)付近
問い合わせ先:見野の郷交流館TEL 079-252-6659
見野古墳群保存会ホームページ
現在のところ20号墳まで20基の古墳が確認されています。
築造年代:古墳時代後期(5世紀末~6世紀末)から終末期(7世紀)
かって見野廃寺があった場所の周辺の群集墳である。

 

猫の足跡が見つかった見野古墳群の6号墳についてもう少し詳しく見てみます。

上の写真は見野古墳群6号墳「夫婦塚」の現地説明板です。

説明板には猫の足跡について次のように解説されています。

6号墳の東石室から出土した蓋付きの小皿の杯身(つきみ)から、イタチなどのものと

みられる長さ3cm前後の足跡が見つかりました。焼く前に屋外で乾燥させていたところ

踏まれて付いたとみられ、非常に珍しいことです。

また説明版の写真(拡大版)も添付しておきます。

 

最後に2013年9月28日に訪問した見野古墳群について書いたブログにリンクして

筆を置きます。

 JR御着駅周辺散策記 その13 見野古墳群 on 2013-9-28 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

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