CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

宇部72カントリークラブ江畑池コース

2005年12月10日 06時14分37秒 | ゴルフ
11月5日に宇部72カントリークラブ江畑池コースで
プレーをした。
家を6:40頃出て約1.5時間でコースについた。
スコアは48、52の100であった。
池が多く難しいコースであった。
写真はスタート前に渡り鳥の大群(100羽以上)が
空を移動していたので撮ったがクラブハウスしか
写っていません。
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「月と」での昼食

2005年12月09日 06時17分35秒 | Weblog
月とはカンパーニュグループが経営する店で
夜が主の店だが昼の定食もなかなかユニークである。
写真は1050円の定食です。(2005-11-27撮影)
魚または肉から選択できます。
写真は魚をチョイス。
尚、カンパーニュCampagneはフランス語で田舎の意
「月と」の連絡先は0827-21-8721
昼定食のさらに詳細と店の紹介はこちら
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伊藤正一像---岩国の偉人

2005年12月08日 06時15分02秒 | 岩国情報
伊藤正一氏は大正9年(1920)ハワイホノルル生まれで
昭和20年(1945)上海東亜同文書院大学商学部を卒業
昭和22年(1947)岩国市市会議員昭和25年(1950)
岩国市役所に入り昭和42年助役に就任された。
平成元年(1989)の死去まで岩国文化協会会長、
宇野千代後援会会長、「文芸山口」の同人。
岩国市誌の編纂、岩国玖珂歴史物語、錦帯橋物語等の
著作など岩国の文化を高め啓蒙する活動をされて
きました。
現在錦川河畔に写真のモニュメントがあります。
2005-10-30撮影
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吉香茶室への門

2005年12月07日 06時01分02秒 | 岩国情報
吉川家の茶室に錦川の側よりの入り口に
写真の門がある。
由縁などは調査していないので判らないが
趣のあるものなので写真を撮り紹介します。
2005-10-30撮影
茶室の周辺は緑も多く、且つ掃除がよく
行き届いていて気持ちが良い。
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松巌(しょうがん)院の庭園

2005年12月06日 05時47分02秒 | 岩国情報
海岸線から続く細い山道を車で上っていく。田畑を横目に参道の階段
を上り山門をくぐる。そこに松巌(しょうがん)院がある。
瀬戸内海を望む高台にひっそりとたたずむ岩国市藤生町の臨済宗
「松巌(しょうがん)院」。本堂前にスギゴケでうまった庭園がある。
1995年に県の名勝に指定された松巌院庭園の一角。
訪れる人の中には「苔にけ)寺」と呼ぶ人もいるという。
昔は子供たちが鍬で草を削リコケは育たなかった。草刈をやめ4、5年も
すると、一気に自然繁殖したという。
院の名前に冠する山号は、山海風光の秀れた美しさを鍾(あつ)めた
という意味を持つ鍾秀(しょうしゅう)山である。
写真は2004-12-4撮影
2003年6月の訪問記
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お茶の通円

2005年12月05日 06時16分48秒 | 宇治情報
宇治川の東詰宇治橋の袂に通円があります。
(京阪宇治駅を降りると正面)
お茶屋として非常に長い歴史を誇る。
玉露は勿論のことここのかりがねが美味しく
現在も郵送してもらっている。

宇治神社の近所に通円茶屋も経営している。
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薫君---源氏物語

2005年12月04日 17時14分16秒 | 宇治情報
写真は源氏物語ミュージアムで薫君が馬上に
乗っている姿です。
2人の姫君のところに通う姿もいいが、
この姿も中々のものである。
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塔の島十三重の塔

2005年12月03日 06時56分21秒 | 宇治情報
宇治川の中に塔の島という浮島が平等院のほぼ前にあります。
そこに十三重の塔があります。
「十三重の塔」は高さ15.2mあり、わが国最大の古石塔です。
弘安9年(1286)奈良西大寺の僧叡尊が宇治橋の架け替えに伴い、
宇治橋供養のために建立しました。
その後天災で破損再建が繰り返された。現在のもには
明治41年(1908年)に再興された。
再興前の約150年は洪水により宇治川の中にあった。
国の重要文化財に指定されています。
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宇治神社と宮詣で

2005年12月02日 06時06分39秒 | 宇治情報
2004年2月29日に宇治訪問寺時宇治神社に寄った。
子供の宮詣でをしていた家族があり記念撮影されていた。
この家族のバックが宇治神社本殿の写真である。
(国の重要文化財)
場所は平等院から塔の島を経由し朝霧橋を渡ると正面に
宇治神社の鳥居があります。宇治神社と宇治上神社が
ある場所の周辺は応神天皇の皇子で宇治十帖の八宮の
モデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」
の邸宅跡と考えられている。
「離宮社」や「離宮八幡」などと呼ばれることもある。
毎年6月8日に離宮祭が行われ、また田楽も復興したそうです。
莵道はうじという呼び方の他に「とどう」とも読む私が
通っていた小学校の名前が莵道(とどう)小学校である。
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源氏物語45帖橋姫

2005年12月01日 06時07分06秒 | 宇治情報
光源氏の息子である薫が下記の歌を八条の宮に贈った。
「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹の雫に袖ぞ濡れぬる」
これが橋姫の巻名の由来である。
薫が慕う父光源氏の異母弟八の宮の2人の娘大君と
中の宮特に大君に対し薫は恋心をおぼえた。
八の宮の宇治の屋敷を舞台とした物語である。
写真は琴を奏でる大君。
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