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第23代横綱 大木戸森右衛門生誕の地碑 on 2016-9-4

2016年09月05日 04時25分06秒 | 神戸情報
2016年9月4日、第23代横綱 大木戸森右衛門生誕の地碑の写真を
撮ってきましたので紹介します。兵庫県下で只一人の横綱だそうです。
全く知りませんでした。

所在地は魚崎八幡宮の隣地の五百地公園です。
住所地番は神戸市東灘区魚崎南町3丁目19です。


上の写真は「大木戸森右衛門生誕の地碑」がある五百地公園の周辺の遠景です


上の写真は大木戸森右衛門の顕彰碑と説明版の遠景


上の写真は「第二十三代横綱 大木戸森右衛門 生誕之地」と書かれた碑


上の写真は現地の説明板。東灘歴史掘り起こし隊、東灘区役所が兵庫県
神戸県民局の助成を受け整備されました。

ここで改めて大木戸森右衛門について調べてみました。

「大木戸森右衛門(本名 内田 光蔵)は明治9年(1876)5月13日
莵原郡魚崎村521番地(現 魚崎南町3丁目)生まれました。
酒樽をつくる職人であったが明治29年(1896)大阪相撲にに入り
明治38年(1905)1月大関に昇進、明治41年(1908)六月場所から
明治42年(1909)五月場所にかけて三場所連続全勝記録を含む10回の
優勝記録を持つ。
大坂相撲は、明治42年(1909)に吉田司家へ東京相撲の横綱免許の授与を
申請したがなかなか認められず大坂相撲は吉田司家を無視して住吉神社と
共謀し大正元年(1912)12月25日ついに第二十三代横綱を免許された。
横綱の免許を受ける過程についてWikipediaには次のように記述している
明治43年(1910)大阪相撲は大木戸に対する横綱免許を授与、大木戸は
奉納横綱土俵入りを行った。これを知った吉田司家は無断で授与した
大坂相撲に激怒して破門を宣告したほか、東京相撲も大坂相撲に対して
絶縁宣言を叩きつける大事件へ発展した。このままでは大木戸は非公認横綱
とされるままだったが、1912年に大坂相撲は東京相撲・吉田司家両者へ
正式に謝罪し、大木戸への横綱免許の授与を改めて申請した。
吉田司家は「大木戸の横綱撤回(ただし、大阪・熊本以外での地方巡業では
横綱を黙認)」「今後、大坂相撲が横綱免許を申請する際は、東京相撲の
横綱は加判を止めて口添えを行うこと」を条件とした。大坂相撲はこれを
承認したことで東京相撲も絶縁宣言を撤回、大木戸の横綱免許が改めて
申請され、既に36歳で全盛期を過ぎたとはいえ、これでようやく公認横綱と
なった。公認横綱として最初の本場所である大正2年(1913)では5勝3敗
2休と振るわずさらに巡業中に脳溢血で倒れ半身不随となりその後の場所も
全休と正式な横綱在位期間は僅か半年で終わった。
昭和5年(1930)11月7日54歳でこの世を去った。
死の直前には大阪医科大学附属医院に自身の解剖を申し出、遺骸は同院に
献体された。大木戸には最期まで身寄りが存在せず、墓の場所は現在でも
判明していない。」


上の写真はWikipediaに掲載の写真です。

3場所連続全勝優勝は東京相撲・大坂相撲を通して大木戸森右衛門が史上初で、
連続全勝優勝記録は現在でも大木戸のほか双葉山定次(5場所連続で最多記録)
と白鵬翔(4場所連続)しか記録していない。

五百地公園には下の写真の道標と出雲大社地鎮祭守護地の碑もありました。


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