CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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別府鉄道

2020年12月21日 03時47分10秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日は昭和59年(1984)に廃線となった別府(べふ)鉄道について書いていきます。

本日(12月21日)は二十四節気の第22節気の冬至です。

冬至は1年で最も昼が一番短く、夜が長くなる日で柚子湯に入ったり小豆(赤い色で

邪気を祓う)を飾るなどの習慣があります。

NHKラジオの「きょうは何の日」では次の項目をピックアップされていました。

■1946年(昭和21年) 昭和南海地震
■1976年(昭和51年) ジャンボ宝くじ発売の混乱で松本と福岡で死者
■1991年(平成3年) ソビエト連邦の消滅が決まる
■2016年(平成28年) 高速増殖炉もんじゅの廃炉方針を正式決定(廃炉作業は30年間)

前置きが長くなりました早速本題にわだいを変えます。

別府(べふ)鉄道は日本の近代化に貢献した化学肥料の輸送に使用された鉄道です。

加古川市にある多木製肥所(現在の多木化学)は肥料王と呼ばれた多木久米次郎が

明治18年(1885)に作った会社で、骨紛などから人造肥料を製造販売していました。

山陽鉄道(現在のJR西日本、山陽本線)の開通に伴い鉄道で製品を配送する計画を立案し

大正4年(1915)7月5日、別府軽便鉄道を資本金14万円で設立。大正10年(1921)9月3日

野口線(3.6km)、大正12年(1923)土山線(4.0km)を開通させました。

その後、多木製肥所の構内に0.1km延長されました。

以下項目別に写真を交え紹介していきます。

沿線図

上の写真は別府鉄道沿線図 昭和21年(1946)頃

 

蒸気機関車

上の写真は2013-6-28 NHKニュース神戸発の18:25頃 播磨町を
紹介した映像から採ったもの。

別府鉄道では5両の蒸気機関車が在籍しており写真の蒸気機関車は5号機

大正14年日立製作所が製造し昭和2年(1927)4月~昭和42年(1967)5月に走っていた

ディーゼル機関車

上の写真も2013-6-28 NHKニュース神戸発の18:25頃 播磨町を
紹介した映像から採ったもの。

写真の機関車はDC1351号で昭和32年12月汽車製造大阪製作所で作られ昭和45年(1970)

2月から昭和59年(1979)1月まで運行されていました。

客車はキハ2、ハフ2・4の3両

上の写真は播磨町郷土資料館の屋外展示の機関車DC302号(昭和28年川崎車輛製)で

昭和41年(1966)9月から昭和59年1月まで運行

客車はハフ5 撮影:2020-12-19

上の2枚の写真は播磨町郷土資料館の屋外展示の説明板からのディーゼル機関車

 

客車

上の2枚の写真は播磨町郷土資料館に展示の客車ハフ5の外観と車内

上の写真は客車ハフ5の説明文(現地説明板より)

 

別府鉄道の機関車一覧

上の写真は別府鉄道を走ってきた機関車一覧表

出典:

 

沿革

Wikipediaより沿革の年譜を引用させていただきます。

1911年(明治44年)10月18日 - 軽便鉄道免許状下付(加古川-別府間)[6]。
1913年(大正2年)
8月22日 - 軽便鉄道免許失効(指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[7]。
11月21日 - 軽便鉄道免許状下付(加古郡野口村-同郡別府村間)[8]。
1915年(大正4年)7月5日 - 別府軽便鉄道株式会社として設立[9][10]。
1920年(大正9年)1月29日 - 鉄道免許状下付(加古郡別府村-同郡阿閇村間)[11]。
1921年(大正10年)9月3日 - 野口線 野口駅 - 別府港駅 - 港口駅間が開業[12]。
1923年(大正12年)3月18日 - 土山線 別府港駅 - 新土山駅(のちの土山駅)間が開業[13]。
1932年(昭和7年)4月8日 - 瓦斯倫動力併用認可[9]。
1946年(昭和21年)4月2日 - 別府鉄道株式会社に社名変更。
1961年(昭和36年) - タクシー部門を設立。

  今は歩道として整備されている別府鉄道野口線跡
1984年(昭和59年)2月1日 - 野口線・土山線廃止、鉄道事業から撤退。
2009年(平成21年)11月 - 木下運輸株式会社と多木化学株式会社の合資により「別府タクシー株式会社」設立。
2010年(平成22年)1月 - 別府鉄道のタクシー事業・派遣事業・運行管理事業を別府タクシーへ譲渡。不動産管理事業部門のみ存続。
2012年(平成24年)10月26日 - 取締役会において多木化学の完全子会社化を決議[1]。
2012年(平成24年)11月29日 - 多木化学の完全子会社化の中止[14]。

 

播磨町郷土資料館の屋外展示の説明板

 

廃線跡の整備

昭和59年(1984)1月31日に廃線となりその後であいの道として整備され

今日に到っています

であいの道の整備事業の概要
 着手:昭和60年=1985年
 完成:平成元年=1989年
 延長:1,300m
 事業費:4億2千万円

上の写真は「であいの道」周辺の案内看板


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