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バウムクーヘンを広めたカール・ユーハイム

2024年08月01日 05時17分15秒 | 神戸情報
2024年7月24日(水)、NHKEテレ歴史総合「第1次世界大戦と戦後の世界」で
日本にバウムクーヘンを広めた立役者カール・ユーハイムの紹介があった。
この番組で使用された写真を利用して現在も神戸で営業されているユーハイムの
歴史を辿ってみたいと思います。
上の写真は菓子職人 カール・ユーハイム

日本で初めてバウムクーヘンが焼かれる背景には、第一次世界大戦がありました。
カール・ユーハイム( Karl Juchheim、1886年12月25日 - 1945年8月14日)の生涯を
年譜形式で記載していきます。
1886年12月25日 ドイツ中部ライン川沿いの町で、ビール職人の家に生まれる
(父フランツと母エマの10番目の男子)
国民学校卒業後にシュトラールズントの菓子店で修行をしつつ、夜間職業学校に通う。
1908年22歳、菓子職人として一旗揚げようと、ドイツの租借地だった中国・青島へと旅立ちます。
シータス・プランベルクが経営する喫茶店に就職
1909年23歳、自ら喫茶店「ユーハイム」を営業するようになった。
プランベックの許可を得て独立したとも、プランベックから店を譲り受けたともいわれる
1914年28歳、春、エリーゼ・アーレンドルフと婚約。第一次大戦勃発。

7月28日に青島市で挙式。
青島を日本軍が占領(11月7日)し、カールは、妻とそのお腹にいる子供を残し、
捕虜として大阪俘虜収容所へ移送された。その後、広島へ移送。

1915年11月4日、エリーゼは長男カールフランツを出産

1918年11月11日、第1次世界大戦の終戦で日本にいたドイツ人捕虜が解放
 カール・ユーハイムは当初、青島に帰るつもりだったが現地がコレラ流行で日本に残留を決断

1919年3月4日、広島県が似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の展示即売会を開催
仲間に促されたユーハイムはバウムクーヘンなどの菓子を作ることになった
非常に好評で飛ぶように売れた


明治屋の社長磯野長蔵が銀座に開店した喫茶店「カフェー・ユーロップ」に採用され、
製菓部主任の肩書が与えられた。

ユーハイムは妻と息子を青島市から日本に呼び寄せ、一家は「カフェー・ユーロップ」の3階で暮らすことになった

1922年、横浜で日本における1号店「E・ユーハイム」を開店

1923年9月1日、関東大震災で「E・ユーハイム」、「カフェー・ユーロップ」が壊滅
  神戸に引っ越し、「ユーハイム」神戸1号店をオープン

1945年8月14日 カール・ユーハイム逝去

ユーハイムの死後
以下の文章はWikipediaより引用
ユーハイムの死後、その親族(エリーゼおよびカールフランツの妻子)は
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によってドイツに強制送還された。
第二次世界大戦中にエリーゼがドイツ婦人会の副会長を務め、かつドイツへ帰国した
経験があること、カールフランツがドイツ軍に在籍したことが問題視されたためである。
1948年10月、かつて「JUCHHEIM'S」に勤務していた山口政栄・川村勇ら3人が同店の復興を
目指して任意組合ユーハイム商店(1950年1月、株式会社に改組。)
(1963年からは株式会社ユーハイムに商号を変更)を設立。
1953年3月にはエリーゼ・ユーハイムがドイツから戻り、帰国直後から会長に、
1961年10月からは社長に就任した。
エリーゼは「死ぬまで日本にいる」と宣言し、1971年5月2日に兵庫県神戸市で息を引き取った。
ユーハイム夫妻の墓は兵庫県芦屋市の芦屋市霊園にある。


株式会社ユーハイムの基本情報
住所:神戸市中央区港島中町7-7-4  TEL:078-302-1001 
創業:1909年

ユーハイムのバウムクーヘンは兵庫県のお土産ベスト10に選ばれています。
詳細は下記ブログで書いています。
 


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