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加古川飛行場跡 尾上公民館の展示(加古川飛行場資料館)より

2022年08月15日 04時24分31秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日(8月15日)は終戦から77年ということで戦争関連のテーマを選びました。

また、今年は沖縄の本土復帰(1972年5月15日)から50周年の節目の年でもあります。

今から約85年前の昭和12年(1937)加古川市尾上町に500m~1,700mの滑走路5本、

総面積150haの加古川飛行場が存在していました。当時の尾上村の総面積の約4分の1

を占める規模でした。

滑走路が三角に交わるため、三角飛行場、地元の名をとって尾上飛行場

呼ばれたりもしました。

本ブログでは昨年、尾上公民館に整備された加古川飛行場の常設展示の写真や資料を

利用して陸軍の重要な防空拠点であった加古川飛行場の歴史を綴っていきます

尾上公民館には加古川飛行場資料館の他に、デジタル資料館も有り公表されています。(下記サイト)

 デジタル資料館 加古川飛行場 (kakogawa-airfield.work)

尚、加古川飛行場資料館の資料の大半は「加古川飛行場を記録する会」代表の上谷昭夫氏

から提供されたものだそうです。

加古川飛行場の概要

当時の陸軍大臣の「関西の最重要地区に防空の飛行隊を設置する」との命により、

加古川の地が選ばれ、戦前の昭和12年(1937)1月に建設着手、12月に加古川河口

近くの旧尾上村に加古川飛行場が開設されました。

面積約150ヘクタールの土地に700m×110m級の舗装された滑走路3つと1,300m×300m級

の滑走路2つが備えられました。

飛行場を中心として航空分廠、航空通信学校、陸軍病院、高射砲隊、憲兵隊、

爆弾貯蔵施設などがあった。配備された戦闘機は当初、95式戦闘機(キ-10、川崎)

その後、97式(キ-27、中島飛行機)が主力であった。

ここで編成された飛行13戦隊、第246戦隊は関西地方の防空はもとより南方方面にも派遣された。

飛行機の整備や少年飛行兵の教育などの役割も担っていました。

戦争末期の1945年頃になると、関東・中部地方から知覧基地(鹿児島県)に向かう

特別攻撃隊の中継・出撃基地にも使われました。

 

上の写真は昭和35年(1960)に撮影された加古川飛行場跡

出典:尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25

昭和12年(1937)12月に完成した加古川飛行場は柏(千葉県)、菊池(熊本県)の

2飛行場と並んで、全国の三大防空拠点の位置づけで重要な役割を果たしていました。

兵庫県には陸軍の飛行場が4つ ありました。

・加古川飛行場

・伊丹飛行場

・三木飛行場

・由良飛行場(淡路島)

そして海軍の鶉野飛行場が1つ ありました。

上の写真は加古川飛行場の施設平面図

出典:尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25

上の写真は陸軍が記録した加古川飛行場の施設概要

出典:尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25

加古川飛行場跡を歩いて調査したサイトが参考となるのでリンクさせていただきます。

 【戦争遺跡】加古川飛行場と高射砲道路を歩く | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)

 

加古川飛行場の沿革

 昭和10年(1935)3月15日 林陸軍大臣の「関西防衛のため大阪から姫路に防空部隊を設置」発言

 昭和11年(1936)6月5日 姫路第10師団のもと加古川尻に飛行場建設決定

 昭和12年(1937)2月14日 軍、民間による地鎮祭が行われる

         12月   飛行第13連隊が大刀洗飛行場より配備につく

 昭和13年(1938)8月30日 飛行第13戦隊になり(神谷正男大佐)防空の任務に就く

 昭和15年(1940)9月   95式戦闘機より97式戦闘機が主力の体制となる

上の写真は95式戦闘機(左)と97式戦闘機(右)

出典:尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25

 昭和16年(1941)12月8日 真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まる

             第13戦隊は南方方面に進出。英国軍と戦う。

 昭和17年(1942)6月5日  ミッドウェー海戦で日本海軍が大敗

 昭和18年(1943)    第246戦隊が加古川で編成

 昭和19年(1944)10月25日 比島レイテ沖海戦で神風特攻隊が初めて編成

            関行男中佐が「敷島隊」を指揮し米海軍セント・ローを撃沈し戦死

 昭和20年(1945)4月6日 米軍、沖縄に上陸。本土の陸海軍より特攻隊が編成され初出撃

             (第76、213、214振武隊)。以降、特攻は6月22日まで続く

         8月14日 ポツダム宣言受諾

         8月15日 終戦 飛行場では残務整理 一部兵の帰郷

         8月24日 残存機による納めの飛行

出典:尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25

 昭和23年(1948)11月 飛行場が農地になり一般人が畑に使用

 昭和27年(1952)   民間飛行機による遊覧、宣伝飛行に使用される

 昭和29年(1954)   大学航空部の学生によるグライダー練習が行われる

 昭和30年(1955)   保安隊が自動車訓練に使用

            近江絹糸紡績を加古川市に誘致し工場建設が始まる

 平成15年(2003)   中村家旅館の特攻隊の碑、鶴林寺に移築建立

 平成20年(2008)   はじめて加古川飛行場展を松風ギャラリーで開催

 平成21年(2009)   尾上公民館建立にあわせ加古川飛行場展を行う

 平成27年(2015)   加古川東ライオンズクラブ開設40周年記念事業により

            「平和之祈念碑」が加古川飛行場跡(尾上公民館前)に建立 

上の4枚の写真は加古川飛行場跡の碑などの写真(撮影:2021-11-25)
 
尾上公民館の展示
 
ここからの写真はすべて尾上公民館の加古川飛行場資料館の展示 撮影:2021-11-25
上の写真は加古川飛行場を記録する会が作成した「展示にあたって」の文章
 
上の2枚の写真は展示遠景
 
上の写真は兵舎の前で撮られた加古川飛行場のパイロットたち
 
加古川飛行場は航空母艦の離発着訓練基地であった。
上の写真は陸軍初の空母「秋津丸」と甲板に停機している三式連絡機
 
独立飛行隊1中隊編成される(昭和19年(1944)6月)
上の写真は三式指揮連絡機
上の写真は昭和20年(1945)7月23日、24日、30日の加古川空襲の様子
上の4枚の写真は加古郡東二見に住む国民学校学校高等科の森本隆さんが書いた日誌
加古川空襲について詳しく書かれています。
上の写真は平成24年(2012)5月19日 産経新聞の記事「特攻の母 宮田たまさんを紹介」
 
上の3枚の写真は特攻関連の展示
 
加古川飛行場を紹介した新聞報道
 特攻の地「加古川飛行場」を語り継ぐ 跡地の公民館で常設展示 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
 
 旧陸軍加古川飛行場に配備「97式戦闘機」 模型自作の男性が加古川市に寄贈|東播|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
 
 加古川飛行場跡で特攻隊員たちの遺書展示 「白鷺隊」秘話紹介も - 加古川経済新聞 (keizai.biz)
 
 加古川飛行場の実像発信 戦争末期、特攻隊の中継基地に 加古川・尾上公民館|東播|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
 
 神戸新聞NEXT|連載・特集| 防空は担えず 陸軍加古川飛行場 |(1)特攻の中継地 訓練だけ、敵機に挑まず (kobe-np.co.jp)
 
 <私の戦争 戦後75年>薬も往診もなく衰弱していった|東播|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
 
 「ひろかずの日記」も、お暇なときにご覧ください - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)
 
 「ご飯食べてたら爆音」「商船学校の子だいぶん死んだ」 日記が語る13歳が見た戦時下の日常|総合|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
 
 太平洋戦争中の“わが家の新聞”~13歳が見た終戦の日 | NHK | WEB特集

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