CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

きょうは何の日 7月5日

2023年07月05日 08時12分59秒 | Weblog
NHKラジオ5時台の「きょうは何の日 7月5日」を聴取しましたので内容を紹介します。

・1947年(昭和22年)NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」放送開始
   古関祐而さんが作曲。「とんがり帽子の・・・・」のフレーズ
・ 1975年(昭和50年)沢松和子選手がウィンブルドン・女子ダブルスで優勝
   米国のアン清村とペアを組んでの優勝でした
・2008年(平成20年)東海北陸自動車道全線開通
・2015年(平成27年)明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録される

以上がラジオで紹介された内容ですが他に2件追加して紹介します。
(1)昭和13年(1938)阪神大水害
  昭和13年(1938)7月3日から5日にかけて降り続いた豪雨により神戸市を中心に
大きな被害が出ました。

阪神大水害は死者・行方不明者695名、被害家屋数は約12万件の被害がでており、
神戸市全域で六甲山からの土砂500万㎥の土砂崩れがおきています。 

上の2枚の写真は昭和13年の阪神大水害の状況。
出典: 神戸市広報紙 ひらこうKOBEの2018年6月号東灘区版の特集記事

(2)明治31年(1898)兵庫県令 神田孝平が没す
  本日(7月5日)の神戸新聞で紹介されていました。
 神田孝平(1830-1898)についてWikipediaより概略紹介します
  神田 孝平(かんだ たかひら、1830年10月31日(文政13年9月15日) - 1898年(明治31年)7月5日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての日本の洋学者、政治家。男爵。号は淡崖。元は諱を孟恪、通称を孝平(こうへい)と名乗っていた。
兵庫県令、文部少輔、元老院議官、貴族院議員を歴任した。
明治4年(1871年)11月20日に兵庫県令(現在の兵庫県知事)に就任し、明治9年(1876年)9月3日まで務める。

第2次兵庫県時代に就任した神田孝平は5年弱の兵庫県令任期中に現在に近い兵庫県に
拡張させる仕事(第3次兵庫県)を成し遂げた。

上の写真は第2次兵庫県時代(明治6年(1873))の県域を示したものです。
摂津西部5郡だけの狭い兵庫県でした。
第3次兵庫県(明治9年(1876)~明治22年((1889))
 ほぼ現在の兵庫県の県域となった。
 明治9年に明治政府は3府35県としました。
 この年の8月に兵庫県は播磨県及び但馬全域と丹波の氷上・多紀の2郡名東県の
 淡路を併合してほぼ現在の兵庫県に近い形となりました。
 人口は134万5千人となりました。当時は東京府、大阪府をしのいでいました。

 
上の写真は第3次兵庫県の説明パネル 兵庫県公館で展示
兵庫県の併合の過程で櫻井勉翁の米寿賀集の資料は貴重なものです。
 この中に豊岡県と鳥取県を兵庫県に併合する案もあったことが記載されています。

 
上の写真は明治6年(1873)頃の兵庫県庁


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