CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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NHK朝ドラ「ブギウギ」第11週「ワテより十も下や」(51) on  2023-12-11

2023年12月13日 04時42分08秒 | Weblog
2023年12月11日、表題のブギウギの番組を観覧しました。
番組は昭和18年(1943)6月5日、山本五十六海軍元帥の国葬の場面から始まります。
昭和18年、アメリカとの戦争に終わりが見えない中、「福来スズ子とその楽団」は地方巡業を
重ねていた。スズ子(趣里)は、羽鳥善一(草彅剛)から作曲してもらった「アイレ可愛や」を
歌い、相変わらず人気を博していた。そんなある日、愛知への巡業で歌い終わったスズ子たちの
楽屋にスズ子の大ファンだという一人の学生・愛助(水上恒司)が興行主に連れられてやってくる。
さらに、楽団の宿舎(旅館)に愛助(水上恒司)が訪問したところ付き人の小林小夜(富田望生) 
から財布の中のお金を盗んだとの容疑をかけられたがスズ子がかばいそのお詫びとして
楽団員たちとの会食に招待されています。
上の写真は愛知での公演の場面

上の写真は旅館の玄関で財布を掏ったとの容疑をかけられた学生服の愛助他


上の2枚の写真は旅館での会食でのスズ子と愛助。二人の運命的な出会いとなりました。
昨日(12月12日)の放送(52話)では神戸に移動する「福来スズ子とその楽団」と
愛助が再開し、東京の学生さんが村山興行の御曹司の村山愛助 であると判明。

ここからは実話の話です。笠置シヅ子(1914~1985)さんの本名は亀井静子です。
亀井静子がその生涯で愛した男性はただ一人、自分より9歳年下の吉本穎右(えいすけ)、
吉本興業の創業者である吉本せいの次男でした。
亀井静子と吉本穎右の出会いは昭和18年(1943)6月28日の名古屋公演。
当時、吉本穎右は早稲田大学の2年生でした。
その後の亀井静子と吉本穎右の関係は笠置シヅ子のWikipediaに詳細に記載されています。
吉本穎右の生年月日は大正12年(1923)10月26日、死没は昭和22年(1947)5月19日(24歳、肺結核)
吉本頴右の生涯についてYoutube動画がありましたのでGooで共有させていただきました。
【ブギウギ】村山愛助のモデル吉本頴右の生涯【水上恒司】【ネタバレ注意】【むらやま・あいのすけ】【笠置シヅ子の夫】
亀井静子は吉本穎右との間に子供ができた。その名前は亀井エイ子さんで1947年6月1日生まれです。
吉本穎右の死去で亀井静子はシングルマザーとして亀井エイ子さんを育てあげます。
亀井エイ子さん(76歳)は御存命ですが一般人であることから表には出ておられていません。
下記サイトに僅かではありますが亀井エイ子さんが紹介されています。

福来スズ子のモデル笠置シヅ子の生涯を紹介したYoutube動画に
Gooで共有させていただきました。
【ブギウギ】笠置シヅ子の生涯 戦後の日本を明るい音楽で元気づけた女王

ブギウギをテーマとしたMyブログ


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