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灘区 西部地区の寺社と遺跡探訪(予習)

2015年11月03日 05時13分51秒 | 神戸情報
2015年10月5日(月)より月1回第1月曜日、須磨区民センターで近藤 譲先生が
講師の講座「知っているようで知らない 神戸の歴史」を受講しています。

昨日(2015-11-2)は灘区の西部地区の寺社と遺跡探訪(予習)がありました。
来月12月7日に現地訪問する場所の事前紹介解説でした。

自分自身の予習を兼ねて探訪コースの簡単な予習をしていきます。
今までに行ったことが無い場所が多いため写真は灘区役所発行の「灘百選」から
抜粋引用させていただきました。
現地訪問後、写真を追加していこうと思っています。


上の写真は12月7日に探訪予定の10か所の地図です。

河内国魂神社(五毛天神)→海蔵寺→空観堂→平五郎稲荷神社→鬼塚→素佐男神社
→猿田彦神社→西求女塚古墳→龍泉寺→敏馬神社

順番に概要を記していきます。

(1)河内国魂神社(五毛天神)
    住所:神戸市灘区国玉通3丁目6−5 TEL: 078-861-0587
    御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
        少彦名命(すぐなひこのみこと)
        菅原道真公 

    
  「河内国魂神社の創祀は伊勢神宮開社の頃(約2,000年前の皇紀657年、BC3年)
   であると伝えられていますが正確な年号は不詳。
  旧摂津国菟原郡にあっては、西宮神社(大国主西神社の誤記か)・保久良神社と
   河内国魂神社の三社が、生田神社・長田神社等と同様、927年(延長5年)完成
   延喜式神祇部(神名帳)に載っている式内社。1,100年近い歴史がある名社。」


   享保18年(1733)、日本輿地通志畿内篇(五畿内志)にて並河五一郎(誠所)
   が五毛天神を凡河内(おおしこうち)氏の奉祀する河内国魂神社に比定し、
   もとの社号「河内国魂神社」の標石を建てたと言われる。
   境内・手水舎の右手には並河誠所の同志・菅広房が立てたという
  「河内国魂社」と書かれた社号石が残っているようです。

   但し、現在凡河内氏の祖神である天津彦根命や、児とされる天御影命は
   祀られていない。


上の写真は河内国魂神社の拝殿。
延喜元年(901)、菅原道真が筑紫の太宰府へ謫遷の途次、御影の浜に船を留め、
密かに別れを惜しんでこの地まで見送りに来た叔父の法性坊尊意(ほうせいぼうそんい)
僧正(延暦寺13代法王)と、当社頭に於いて餞別せられた時の応対が極めて慇懃丁寧で、
その様子を垣間見た村人たちは、その徳を慕って菅公の没後(903以降)、その霊を
勧請合祀して、爾後、俗に五毛天神と称し現在に至っているそうです。

所在地名の五毛は古名を「胡麻生(ごまふ)」と云う。
元は摩耶山天上寺領で燈明用の油を採るため胡麻を栽培していたと考えられます。

境内摂社
 本殿左側に、厳島神社・箕岡神社合祀殿が、右側に荒川稲荷神社がある。
 厳島神社(市杵島姫命)-旧上野字絵馬堂より
  箕岡神社(伊耶那岐尊)-北方の六甲山麓より


(2)海蔵寺
   住所:神戸市灘区国玉通3丁目6−3  TEL:078-861-3727
   山号:旭耀山  御本尊:地蔵菩薩 宗派:曹洞宗通幻派
   開基:延喜元年(901)法性坊尊意 


   河内国魂神社の神宮寺 幕末には警護の長州藩の陣屋の1つとして使用


上の写真は海蔵寺の本堂

(3)空観堂

  上述の灘百選よりそのまま引用させていただきます。
  「名前の由来となった空観上人は傑僧とも怪僧とも言われ、寛永12年(1635)
   畑原の安田家に生まれました。12才にして摩耶山で出家、15才で高野山に
   登り修学。その後、修業を積んで理観阿闍梨と呼ばれるに至り、別名増栄、
   理智門または空観と称されるようになりました。空観は、一時摩耶山天上寺
   の弟子となり、布引山滝勝寺に身をおいたことも。祈祷によって病気の人々を
   救い、死後も一般の信仰が厚く、この堂を立てて祀られたとのことです。」



上の写真は民衆に人気のあった空観を祀る空観堂。
空観上人の先祖である安田七左衛門の屋敷地(五反二畝六歩)が明治12年に
処分されその対価が堂の維持費に充てられたそうです。

空観上人(1635-)は生きながら地下に入る入定という厳しい修業の末、
理観阿闍梨と呼ばれるようになり祈祷により病気から多くの人を救い信者も
多かったがいろいろと不思議な行いがありキリシタン信者の疑いをかけられ
召し捕られ獄中で死去した。

(4)平五郎稲荷神社



上述の灘百選よりそのまま引用させていただきます。
「畑原通1丁目の閑静な住宅地に、L字型の参道に赤い鳥居が67基ほど並ぶ
平五郎稲荷大明神があります。この鳥居は信者が奉納したもので、奉納者の
名前が記されています。30メートルほど進むと百度石があり、さらに進んだ
ところに信者が祀ったと思われるお稲荷さんが多数置かれています。
昔、杣谷の字一かんや長峰の墓地に、平五郎という狐が住んでおり、お
墓参りの時などに塚穴を覗くと狐が見えたそうです。こうしたことから狐を
祀った稲荷祠もあります。」


(5)鬼塚(照光寺内)

 住所:神戸市灘区篠原南町6丁目1-4 TEL:078-861-0538
 宗派:浄土真宗  
 公式HP:http://tera-map.com/list/faction-56.html




上の2枚の写真は2015年6月3日撮影の照光寺及び鬼塚

 奥行3m 幅2mの玄室を有する横穴式石室で出土した人骨、須恵器、鉄器など
 から古墳時代後期(6世紀)の円墳の一部と同定されています。


 詳しくは小生のブログ記事
   鬼塚古墳 (照光寺境内)on 2015-6-3

(6)素佐男神社


 平野の祇園神社に対して東の祇園さんと呼ばれている素佐男神社

上述の灘百選よりそのまま引用させていただきます。
「古くから、この地方は天城郷都賀荘鍛冶屋村と称されていました。この地域は
 水害も多く、また、鍛冶屋町であったので守り神として祀られていました。
 天照皇大神の和魂に対し、素佐男命は荒魂の神であり、荒々しく勇壮なこの神は
 邪悪を祓い除く大きな力を持つ神様といわれています。
 素佐男大神を祀る神社は多く、全国で約二千社程あります。その中心的な神社が
 京都の八坂神社で神戸では兵庫区・平野の祇園さんに対して、当神社は東の祇園
 さんとして親しまれています。」


(7)猿田彦神社
 
  上の写真は道案内の神様「猿田彦」を祀る猿田彦神社

上述の灘百選よりそのまま引用させていただきます。
「この地は、宝亀元年(770年)から津守の氏族が長く住みつき、海上交通を
 司どったことから、「津守郷」と称されました。その関わりから、元禄年間
(1688年~)に、村人達が交通の守護神として猿田彦を祀ったといわれています。
 境内には稲荷社と地蔵堂が祀られています。阪神・淡路大震災の被害も
 鳥居を残してほぼ修復し、境内参集所は、地域住民の憩いの場となっています」


(8)西求女塚古墳
  
 所在地住所:神戸市灘区都通3丁目1
 墳丘の形式:前方後方墳  大きさ:全長約95m
 建設された時期:3世紀後半 
 主な出土品: 三角縁神獣鏡 7面 、画文帯神獣鏡 2面 、神人龍虎画像鏡 1面
        半肉彫獣帯鏡 2面 、鉄製品 230点、碧玉紡錘車形石製品 1点
        土師器 14点 、織物残欠 2点 、土師器残欠 179点
        石室石材 54点


 詳しくは小生の下記ブログ
  西求女塚古墳(求女塚西公園)訪問記 on 2011-4-30

(9)竜泉寺
  
 
 上の写真は竜泉寺。

上述の灘百選よりそのまま引用させていただきます。
「もともとは敏馬神社の神宮寺で、境内にありました。山号は敏馬山(みぬめざん)
 といい、永源寺末の臨済宗です。本尊は薬師如来。聖徳太子が開基したと
 いわれています。明治元年の神仏分離令により寺は独立しましたが、当時は、
 ひどく寺勢が衰えていました。そこで、明治3年、永源寺派の管長万松関老大師が
 見まわりに来て、弟子の雄峰が復興しました。境内には数多くの石仏が祀られています。

(10)敏馬神社

  住所:神戸市灘区岩屋中町4-1-8 TEL:078-861-2091
    大石、味泥、岩屋、HAT神戸の産土神
  御祭神:
    素戔嗚尊(すさのうのみこと)
    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
    熊野座大神(くまぬにますおおかみ)





上の2枚の写真は2015年7月3日撮影の敏馬神社の拝殿及び遠景です。

  詳細は小生の下記ブログへ
   敏馬神社 in 神戸市灘区 on 2010-12-17
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