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相楽園 船屋形の内部公開 on 2018-5-27

2018年05月31日 04時06分00秒 | 神戸情報
2018年5月27日、神戸市中央区の相楽園で船屋形の内部公開があり、参加
してきましたので写真紹介します。

このイベントには2008年11月2日(日)以来2回目の参加です。
この時のブログへリンクしておきます。
 相楽園 船屋形 on 2008-11-2

相楽園の船屋形は、江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた川御座船
(かわござふね)の屋形部分だけを陸上で保存したものです。

相楽園 船屋形の基本情報
保管先(相楽園)の住所:神戸市中央区中山手通5-3-1 TEL:078-351-5155
船屋形の構造・形式:木造1重2階、切妻造段違、檜皮葺 桁行五間、梁間一間
          1階 21.87㎡ 2階 21.87㎡ 合計 43.74㎡
築造年:天和2年(1682)から宝永元年(1704)と推定(本多候が姫路藩に入封の時期)
重要文化財:昭和28年(1953)8月29日 指定
旧重要美術品:昭和12年(1937)5月27日 認定


まず、船屋形の外観全体の写真を添付しておきます。(下の3枚の写真)







川御座船の説明(下の写真)


船屋形は2階建てで1階、2階とも3部屋に分かれた構造になっています。(下の写真)
出典:当日配布された資料


2階の前方にあるのは船の指揮を執る「床几(しょうぎ)の間」。中央の一段高くなっている
部屋は、藩主が座る「上段の間」。一番後ろは家臣らが控える「次の間」です。

現存する御座船は他に細川家波奈之丸舟屋形、西光寺船屋形茶室(香川県)
ありますがいずれも海上用で川御座船としては全国唯一のもので昭和28年(1953)
8月29日に国の重要文化財に指定されています。


上の写真は蜂須賀候参勤交代御船行列絵巻 御召御座


上の写真は上記御座船の説明文

相楽園の船屋形は昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
を受けて昭和55年(1980)3月31日 牛尾吉朗氏の舞子の自宅から相楽園へ
移築工事を実施完成しました。
さらに、平成13年(2001)神戸市が半解体修理工事を実施し現在に到っています。

牛尾吉朗氏の父親である牛尾健治氏は昭和14年(1939)兵庫県印南郡北浜村字北脇
の川本直助氏から船屋形を購入し所有者となりました。
(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内に移設)

牛尾健治氏は 昭和16年(1941)の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根
から桧皮葺に戻しました。

工事の指導は築地本願寺、東京都慰霊堂、大倉集古館、橿原神宮、平安神宮など
数多くの建築を手がけた工学博士 伊東忠太氏(1867-1954)が担当しました。
監督官庁は文部省宗教局保存課

一連の工事の詳細は牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3に掲載されて
います。

船屋形の歴史を時代順に整理しておきます。

1682~1704 姫路藩主本多忠国の在城時姫路藩公の御座舟として建造。
   現在復元された金色の飾金具に榊原氏の紋が刻まれているがその裏面に本多家の
   家紋が刻印されていることから上記の建造年代が推定されている。

明治初年(1868)までは飾磨港附近に係留されていました。
明治初年(1868) 高砂の川本氏の所有となる。
         陸揚げに伴い不要となった船体部分は解体。1階部分を茶室として
         利用するため高さを上げられた。次の間も解体された。





上の3枚の写真は川本氏所有時代の船屋形
 出典:牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3

 詳細は下記ブログで記載しています。
  相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

昭和12年(1937)5月27日 重要美術品に認定
昭和14年(1939)12月25日 所有者が牛尾氏となる。(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内)
         昭和16年の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根から桧皮葺に
         戻す。
昭和28年(1953)8月29日 重要文化財に指定
昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
昭和54年(1979)4月1日 相楽園内で復元工事開始
         
昭和55年(1980)3月31日 相楽園への移築工事が完成
平成13年(2001) 半解体修理工事実施


前置きが長くなりましたがいよいよ本論の内部公開の写真に移ります




上の2枚の写真は1階部


上の写真は2階の次の間と階段


上の写真は2階の次の間のおもかじ側内部壁面。


上の写真は2階の床几(しょうぎ)の間


上の写真は川御座船の模型


上の写真は2階上段の間の蟇股(かえるまた)
榊原家の「九本骨御所車紋」説明によると裏は「丸に本の字紋」本多家だそうです。

天井や壁面、柱材は木肌の見える「春慶塗」で、建具などは黒漆塗で仕上げられて
います。化粧天井では「次の間」の春慶塗が新しい為、「上段の間」のそれと比較して
淡い色で木の目地がハッキリと出ていました。


上の写真は上段の間。
当日、全体の写真を撮れなかったので牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3
よりもってきました。
図版16 上段の間(2階)の内部
江戸時代に川御座船として使用されていた状況に近い状態であったようです


上の写真は2階上段の間の内部、長押(なげし)の錺(かざり)金具




上の2枚の写真は猪目(いのめ)紋


上の写真は梁下の実肘木(さねひじき)
桁を直接支えている肘木です。




上の2枚の写真は補修した時の継ぎの跡 各所に見られた


上の写真は構成部材年代別図です。 当日配布の資料より

何故、船屋形が川御座船と判明したのか?

解体時に墨書があり「御召川」「御座」の文字があった。(上の写真)

最後に外部の見どころである 舞良戸(まいらと)について
横桟の間の金箔押しのことであるが剥げている部分もある。
メンテナンスが大変だなと感じました。

上の写真は外部の近景で舞良戸を示した

関連ブログ:相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

      相楽園 船屋形 on 2008-11-2

      相楽園 on 2008-4-29

      第60回神戸菊花展 in 相楽園 on 2010-10-26

      旧小寺厩舎と旧ハッサム邸
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