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柳原えびす神社の石垣に刻まれた武井伊右衛門の名前 on 2017-2-25

2021年09月27日 16時50分08秒 | 神戸情報

昔に撮った写真を整理している時、2017年2月25日に訪問した柳原えびす神社の石垣の中に

中に学校法人武井育英会(昭和26年3月設立)を設立し育英高校の3代目校長であった

武井 尹人氏(父親は武井悌四郎)の祖父で武井百耕として知られる武井伊右衛門の名前が

あるのを確認しましたので写真紹介します。

 

上の写真が柳原えびす神社の石垣に刻まれた武井伊右衛門の名前です。撮影:2017-2-25

上の写真は柳原えびす神社の拝殿 撮影:2017-2-25

 

武井伊右衛門翁の簡単な紹介

上の2枚の写真は武井伊右衛門(百耕)(1845-1917)の銅像と銅像の説明書き

銅像は神戸市須磨区板宿町2丁目2-1 (育英幼稚園内)の百耕資料館にあります。

  撮影は2017年5月28日

説明書きに部分加筆して記述します。

武井伊右衛門は弘化2年(1845)2月14日に板宿村生まれ、幼名は久太郎明治に
なってから伊右衛門と名を改めました。さらに百耕と号す。日頃より書画を愛好し、
漢詩を嗜み多くの郷友諸士と交友を結ぶ。
明治5年(1872)兵庫県第三区長の父を補佐し 明治14年(1881)兵庫県の県会議員に当選。
明治16年(1883)公職を退いた後、邸地に秋錦園(菊園)、魁春園(梅園)の二園を開き一般に開放す。
八部郡郡長、同年有馬郡郡長となる。大正6年(1917)3月8日73歳で没。
墓は武井家歴代の墓とともに禅昌寺にあります。明治21年4月には有馬郡長を病気
のため辞任してからは漢学の素養から多くの詩を作り明治43年(1910)漢詩結社
隋鴎吟社の正社員となった。また、かって画を学んだ岡田広章からは画稿を譲り受けた。
特に円山、四条派の粉本に関しては2,000点の一大コレクションを誇っている。


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