2021年12月3日(金)、7時45分からBSプレミアムで放送の火野正平の「こころ旅」の
番組冒頭で天草コレジヨ跡が紹介されていました。
そこでバーチャル的に天草コレジヨ跡を訪問してみました。
上の4枚の写真は天草コレジヨ跡の火野正平さんと現地説明板
現地説明版の内容を転記しておきます。
遣欧少年使節
還察師のヴァリニヤーノ神父は、日本におけるキリスト教を盛んにする為、大友義鎮
(法号は大友宗麟)、有馬鎮貴(有馬晴信)、大村純忠等の親戚にあたる伊東マンショ、
千々石ミゲル、原マルティノ、中浦ジュリアンの四人を選びローマに派遣した。
彼らはメスキータ神父にともなわれ、1582年から8年かけてヨーロッパ各地を巡り、
殊にローマでは教皇グレゴリオ及びシクスト5世の戴冠式に招待される等盛大な歓迎を
受けた。この図は当時のドイツの新聞号外(京都大学附属図書館蔵)から取ったもので
上段中央はメスキータ神父である。彼らが帰朝後当時のコレジヨに学んだことは注目
すべきである。天草コレジヨ、天正少年使節にかかる史料は天草コレジヨ館に展示
されています。
遣欧少年使節に関してはWikipediaの解説が詳しい。
また、私も下にリンクしたブログで纏めています。
天正遣欧使節 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
千々石ミゲルの墓所の発掘調査の成果 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
天草コレジヨ(Collegio De Amacusa)
天草の灯と呼ばれたここ河内浦には、当時わが国唯一の宣教師養成のためのコレジヨ(大神学校)
が1591年から1597年までの7年間存在した。その教育は当時世界の名門校コインブラ大学の
ペトロ・ゴメス執筆の「天球論」が教材として使用されていることからもわかるとおり
相当程度の高いものであった。
またこのコレジヨには1591年7月25日、その前年に帰国して豊臣秀吉にも面接した遣欧使節の
4少年達が、コレジヨ創設者ヴァリニヤーノに伴なわれて入校している。
さらにこのコレジヨにはノビシアド(修練院)が併設されていて、そこでは遣欧使節等が
ヨーロッパから持参したグーテンベルグ式金属活字印刷機を使って、イソップ物語や
平家物語、ラボ日辞典等文化史上世界的注目される貴重本が多数印刷出版されている。
コレジヨに関連する言葉としてセミナリヨ(小神学校)があります。
セミナリヨは織田信長の庇護を受けた宣教師オルガンチノが安土に建てた、日本初の
カトリック小神学校です。1582年6月の本能寺の変後、安土城とともに焼失しました。
堆定地が公園として整備されています。
存在時期:天正8年(1580)~天正10年(1582)6月廃墟になる
セミナリヨ自身は京都、高槻、大坂へ移転
天正15年(1587)には肥前国の有馬に合併
慶長19年(1614)に廃校
熊本県天草市はコレジヨ公園(天草市河浦町河浦525)として整備され下記サイトで
綺麗な写真とともに紹介されています。
コレジヨ公園 - 熊本県天草観光ガイド (t-island.jp)
関連施設としてグーテンブルグ印刷機と刷られた印刷物が展示されている天草市立
天草コレジヨ館があります。
天草市立天草コレジヨ館 | 「おらしょ-こころ旅」(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産) (oratio.jp)
さらにYoutube動画での案内もあります。
天草コレジヨ館. Amakusa Collegio Museum.
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