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姫路市 増井山随願寺 on 2018-2-11 その2(完) 境内及び参道

2018年02月14日 17時55分28秒 | 神戸市以外の兵庫県
増井山随願寺の修正会追儺会を中心として前回は記事を書きました。(下のリンク)

姫路市 増井山随願寺 on 2018-2-11 その1 鬼追い追儺式を中心として

今回は増井山随願寺の境内及び参道について記載していきます。
隋願寺への訪問は2014年7月13日に続き今回で2回目です。
前回(2014-7-13)の写真も利用して記事を書きます2014-7-13と明記していない
ものはすべて今回(2018-2-11)の写真です。

増井山 随願寺の基本情報

住所:姫路市白国5 TEL:079-223-7187 山号:増井山
宗派:当初は法相宗、承和元年(834)より天台宗  御本尊:薬師如来
観音霊場:播磨西国三十三箇所第4番
創建:聖徳太子の命で高麗の僧 慧便(恵便)が開創
中興:天平7年(735)行基


Goo地図を添付しておきます。


まず境内全体を把握するために境内図(播磨名所巡覧図絵 文化1年(1804))と
増位中学校区夢プラン実行委員会が作成した増位山随願寺の境内図を添付しておきます。
(下の2枚の写真)






上の写真は随願寺の境内主要部の配置図です。

また参道を含めた増井山の広域地図も添付しておきます。

上の写真は駐車場の近くの地図


上の写真は姫路市教育委員会が昭和56年3月31日に発行の「文化財見学シリーズ7」より

本堂

上の写真は2014-7-13に撮影の随願寺本堂(国指定文化財)

随願寺は播磨六山(円教寺、随願寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺)の1つで
姫路市内で最古の寺として知られています。
比叡山の法勢法師が仁明天皇の勅命を受け承和元年(834)法相宗から天台宗に改宗。。
この時に増井山随願寺医王院の勅号を賜っています。平安時代は寺領、衆徒も多く、
多数の坊舎が立ち並ぶ大寺院であったが、天正元年(1573)に三木の別所長治に攻められ
全山焼失。寺僧は諸仏像を持って嵐山(今の城西岩端)あるいは印南郡佐土村(今の別府町佐土)
に避難していたが、天正13年(1585年)旧地に再興された。今の本堂は、寛文8年(1668)
姫路藩主榊原忠次によって再建されたもので、江戸時代には30坊を数えるに至ったが
明治時代、神仏分離令で廃仏毀釈が起こり寺勢も衰退していった。
堂内には狩野探幽作の天井画が残っている。
現在の本堂は元禄5年(1692)に建てられた。
慶安2年(1649)頃に姫路藩主榊原家の菩提寺となった。



上の写真は現地説明版。
創建当時及び行基菩薩による中興さらに古くから残る仏舎利飛来の伝承も
記載されています。


上の写真は御本尊の薬師如来坐像


うえの写真は須弥壇。 中尊の薬師如来、左脇侍に千手観音菩薩立像、右脇侍に
聖観音立像の薬師三尊形式である。須弥壇の外側には日光・月光菩薩と十二神将


上の写真は狩野探幽作の天井画

経堂



上の2枚の写真(撮影:2014-7-13)は経堂(国指定文化財)と現地説明版
宝暦13年(1763)8月の石碑も国の重要文化財となっています。


上の写真は当日の経堂(県指定文化財)隣で抽選会場が設置されていました

開山堂



上の2枚の写真は開山堂(国指定重要文化財)と現地説明板。


上の写真は山王社

榊原忠次の墓

上の写真は榊原忠次の墓の全景 唐門は国の重要文化財に指定
唐門は享保16年(1731)の建立。
五輪塔、燈籠、墓碑、墓標の全部を備えた立派な墓所である。
当日は門が開けられ中まで見ることが出来た。


上の写真は現地説明板


上の写真は五輪塔


上の写真は墓誌 墓誌には榊原家の系譜をたどり忠次(1605-1665)の生い立ちから
館林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て慶安2年(1649)姫路城主になるまでの
経緯、存命中の業績などの一代記が約3,000字刻まれている。
この碑文を一字も間違いなく読むと碑石の「亀=亀趺(きふ)」が動くという
伝説が生まれた。

鐘楼




上の写真は鐘楼(国指定重要文化財)と現地説明板

毘沙門天像
2月11日には毘沙門天立像の特別拝観があり実物を拝観できました。
ただ、撮影禁止であったので、小生の蔵書「重要文化財 4 彫刻Ⅳ(毎日新聞)」
のコピーを下に添付しました



上の写真は毘沙門天立像が保管されている収蔵庫


上の写真は増井校区、増井小学校創立30周年記念誌の「毘沙門天立像」の説明文

文殊堂

上の写真は文殊堂

観音堂

上の写真は観音堂

随願寺会館、庫裡

上の写真は随願寺会館、庫裡
 奥の方に見えるのが護摩堂か?

弁天堂


上の写真は弁天堂

虚無僧碑





上の3枚の写真は虚無僧碑の近景、遠景及び現地説明板

俳句碑

上の写真は俳句碑
小学生の作品が3点あります。


実相院の墓





上の3枚の写真は実相院の墓と現地説明板

現地説明板が読み難いので記載しておきます。
「実相院は、三十三代姫路城主・榊原政邦の側室で、世子・政祐(三十四代姫路城主)の
生母。婦人病になやんだことから、死後は同病に苦しむ人を救いたいと遺言をした。
このことから「しも」の病に霊験あらたかとして詣る人が多い。地元ではこの墓を
「お姫さまの墓」とも呼んでいる。」


榊原政邦夫妻の墓


上の写真は榊原政邦夫妻の墓
途中まで行ったが引き返した為写真を撮れず案内板の写真と説明書きです。


参道の丁石



上の2枚の写真は八丁と一丁の丁石

念仏堂





上の3枚の写真は念仏堂と現地説明板


増位地蔵



上の写真は増井地蔵

参道については見どころをかなり見逃しており写真がありません。
ほとんどを網羅されて紹介されているサイトにリンクさせていただきます。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-600903.html

最後に随願寺の檀家の中心である白国について簡単に紹介しておきます。
白国は増井山、広峰山の南麓にあり古くから文化が開けた。
「白国」しらぎのくに 新羅神社があり、新羅の渡来人が住んでいたことでも
よく知られています。
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