CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

2018年11月11日 04時06分32秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第14回 奥藤酒造と郷土資料館を紹介します。

奥藤(おくとう)家は慶長6年(1601)に酒造業を始め、その後金融業、廻船業へと
事業を拡大していった大庄屋で、船手庄屋も務めていました。
現在の当主は奥藤利文氏。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺


第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社


第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚



第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋


第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社


第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂


第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり


第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺


奥藤酒造






坂越港へ続く坂越のメインストリート大道の中でも江戸時代の風情を感じる一番のスポットが
奥藤酒造の蔵や事務所、販売所、自宅などが大道の右手に見えています。(上の2枚の写真)
慶長6年(1601)に酒造業をスタートさせ現在まで面々と歴史を刻み続けられています。
現在の銘柄は「忠臣蔵」と「乙女」



上の写真はショーウィンドーに置かれていた大神(おおみわ)神社の守護札
酒造業であるのでお酒の神様である大神神社への参拝がやはり有難みのある事なのかな


おかん食堂

上の写真は奥藤酒造の建物の左手に掲げられたおかん食堂のメニューなどが書かれた看板





上の写真はおかん食堂の入口






上の3枚の写真はおかん食堂の中の様子です


上の写真は当日注文したものです。
これらに加えてコンビニで購入したおむすびを頂きました。

おかん食堂はおくとう市のイベントの中で開催されています。
2018年11月は2018年11月25日(日)10:00~16:00に開催されます。
酒蔵の中庭に、楽しいお店がたくさん集まります!オカン食堂の他には利き酒・呑み比べ、
お花屋さん、ハンドメイドSHOP、ご当地グルメ&スイーツなど盛りだくさんです。


奥藤家の墓所

上の写真は奥藤家の墓所の遠景です。
神式の墓です。

奥藤酒造博物館
 展示の遠景
 

 

 

奥藤酒造郷土館は昭和61年(1986)11月に開館したようです。

生業の酒造に関する展示は勿論のこと、貴重な過去の写真も見ものです。

 酒造業に関する展示
  

 

 廻船業に関する展示
 廻船業に関する絵や模型さらに塩廻船で使用された道具などが多く展示されています。

塩廻船に関しては過去に記事を書いていますのでリンクしておきます。
 北前船の寄港地 赤穂市坂越の塩廻船


 徳利のコレクション
 

 

 

 

 


 高川定十郎に関する展示


上の写真は高川定十郎に関する展示です。

高川定十郎に関してネットで調べてもまったくヒットせず不明なことが多い。こちらの
展示の説明書きによれば赤穂藩主として備中西江原藩から2万石で移封された森長直
(1672-1722)と共に宝永3年(1706年)1月28日前後に赤穂にやってきた豪商
(森家の御用商人)で、坂越では赤穂実業銀行、坂越銀行などを興し活躍した。
明治期の銅版画に描かれているようにその繁栄ぶりが伺える。

森家についてWikipediaの記事にリンク

 森氏 - Wikipedia

高川定十郎の息子さんの高川定次郎さんについてはWikipediaの情報がありますので

リンクしておきます。(2022年8月25日に追記)

 高川定次郎 - Wikipedia

赤穂藩の森家の始祖である森和泉守長直についてWikipediaの解説を添付。
森 長直(もり ながなお)は、備中西江原藩の第2代藩主、後に播磨赤穂藩の
初代藩主となる。 寛文12年(1672年)11月22日、美作津山藩第2代藩主
(後に西江原藩初代藩主)森長継の八男として生まれる。
父は延宝2年(1674年)に隠居し、兄の長武が跡を継いだ。
長武も貞享3年(1686年)に隠居し、長武と長直の甥である長成が跡を継いだ。
長直は元禄7年(1694年)に長成から1500俵を分与されている。
長成は生来虚弱であったが、中野村(現東京都中野区)の犬屋敷お手伝い普請に伴う、
多大な借財が原因の藩内の混乱に心労を深め元禄10年(1697年)に死去した。
しかし、嗣子がなかった。
隠居の長継は長直の弟である関衆利(森衆利)を長成の継嗣として認めてもらうよう
幕府に訴え、幕府もこれを承諾した。しかし、衆利が継承挨拶のため江戸に出府途中、
伊勢で乱心したため、幕府は家督相続承認を取り消し、元禄10年(1697年)8月2日に
領地を召し上げ、津山藩森家は改易された。
ただし、幕府は長継に与えていた隠居料である美作国内の2万石を改めて安堵することで、
森家の存続を許した。こうして長継は新たに西江原藩を立藩し、長直は8月26日に
世子として指名された。そして元禄11年(1698年)に父が死去すると、家督を継いで
西江原藩主となった。西江原では新田開発を積極的に行った。
宝永3年(1706年)1月28日、播磨赤穂藩に同じく2万石で移封される。
藩財政が早くから悪化したため、長直は今度は塩田開発に積極的に取り組んだ。
享保7年(1722年)8月24日に死去した。享年51。跡を婿養子の長孝が継いだ。


森家は赤穂藩主として明治の廃藩置県まで存続しています。




上の2枚の写真は高川家の墓所で高川定十郎の墓碑も確認できました。
墓所は妙道寺の裏手の山麓にあります。現在は荒廃した状態です。

コメント (8)
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