CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

JR高円寺駅南の寺社めぐり その2 高円寺氷川神社(気象神社) 

2014年03月26日 05時22分27秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第2回で高円寺 氷川神社(境内社の気象神社も含む)を写真紹介します。

高円寺 氷川神社の基本情報

住所:東京都杉並区高円寺南4-44-19
御祭神:素盞鳴命
公式HP:http://www.hikawajinjya.jp/detail.html

Google地図



上の写真は高円寺 氷川神社の遠景です。

鳥居の手前右手に杉並区教育委員会が作成された説明書きがありそのまま引用させていただきます。

高円寺 氷川神社

この神社は、旧高円寺村小名原の鎮守で、祭神は素盞嗚尊です。
創建については口碑によれば、天文年間(1532-1554)、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ
頃といわれます。また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に
命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の
氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。
しかし、詳細なことは詳かではありません。
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、
外に供免一段五畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社三尺四方南向、上屋二間に三間、
木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を
集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治七年、村社となりました。
境内には、三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社
(祭神八心思比顕命・やごころおもいかねのみこと)は、全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。
この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内にあったものですが、
戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。

例祭日は、八月二十八日です。

昭和59年3月
 杉並区教育委員会









上の3枚写真は高円寺 氷川神社の拝殿と本殿です。






上の2枚の写真は全国でも唯一の気象神社です。
Wikipediaより気象神社の解説を引用させていただきます。

気象神社
気象神社の祭神は八意思兼命。

元は、馬橋4丁目(現在の高円寺北4丁目)にあった大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に、
1944年(昭和19年)4月10日に造営されたものである。
この神社前で勤務前に気象観測員が気象予報の的中を祈願したという。
戦後の神道指令で撤去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存した。
そこで当局に申請して払い下げを受け、1948年(昭和23年)、当時は9月18日だった例大祭の
際に現在の氷川神社に遷座した。

現在の社殿は旧社殿が老朽化したために、2003年(平成15年)に建て替えたもの。
例大祭は6月1日の気象記念日に行われる。

一般の知名度はさほど高くないが、日本で唯一の気象(天気)の神様として気象予報士を目指す
受験生などに存在が知られ[2]、合格祈願や快晴祈願などで参拝されている[3]。


また気象神社の参道の脇に氷川神社氏子青年会一同掲示による高円寺氷川神社の由緒書きがあり
引用させていただきます。


氷川神社について
江戸名所図絵によれば、その昔、源頼朝奥州征伐の時武蔵国杉並の地に至り給わり際隨兵の中に
当高円寺村にとどまり、終に農民となる者ありと記されている。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田性は高円寺の旧家なり)その時武蔵野国
大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、
この高円寺村の位置高く採松杉稠茂し遠く水田をを望みて風致絶佳とされる当地に社殿を
建立したのが起源といわれている。
御祭神は素盞鳴命で国土開発、災難除けの信仰がある。氷川神社の御分社は約一千社あり関東地方が
大部分を占めている。
当社の創建時期は不明であるが口伝によれば曹洞宗高円寺と同時に剏祀されたと伝わる。
末社には気象神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。
昭和36年10月10日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手洗舎が新しく造営され今日に至る
例大祭は毎年8月27日、28日に行われる。






境内社の稲荷社及び御嶽神社、日枝神社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする