CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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NHK 時論公論 エネルギー基本計画「エネルギーの将来像 国民の選択は」を視聴して

2012年07月02日 12時13分18秒 | Weblog
2012年6月29日(金) 23:50-0:00までNHKの番組NHK 時論公論 
エネルギー基本計画「エネルギーの将来像 国民の選択は」を視聴しました。

内容について概略紹介します。
データ源はすべて平成24年6月29日に開催されたエネルギー・環境会議が発表
したエネルギー・環境に関する選択肢によります。
政策戦略室のHPにPDF資料が公表されています。(アドレスは下記)
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120629/20120629_1.pdf

当日の解説はNHKの解説委員の嶋津八生氏(エネルギー担当)です。
提示されたパネルを基本に若干の注記を加えて紹介します。


上のパネルはエネルギー・環境会議が示した3つの選択肢です。
選択肢①は2030年に原子力ゼロシナリオです。②は原子力15シナリオ
③は原子力20~25シナリオです。

上のパネルは2030年時点の電源構成比を示したもので、2010年時点の電力消費量
1.1兆KWhを2030年には省エネ、人口減などで1.0兆KWhにするものです。
現行のエネルギー基本計画では1.2兆KWh

上のパネルは再生可能エネルギーで最もポピュラーな太陽光発電と風力発電
の2030年までの導入量を示したもので2030年の太陽光発電で、ゼロシナリオでは
720億KWh(13.7兆円の投資) 15シナリオ&20~25シナリオでは670億KWh
(12兆円の投資)。2010年の現状は38億KWh。
風力発電では現状(2010)43億KWhを2030年にゼロシナリオで900億KWh
(13.4兆円+5.2兆円)15シナリオ&20~25シナリオでは660億KWh(13.4兆円)
900億KWhとするためには最大規模のウィンドファームを610箇所に設置する必要
があり東京都の面積の2.2倍が必要。

上のパネルは風力発電の適地は北海道と東北地方の北西部の1部でさらに
送電網の建設に1.2兆円必要との試算が示されています。

上の表は2030年における各選択肢の電力コスト増の割合を示したもので。
ゼロシナリオが選択された場合、2倍近くの電力料金となる試算が示されています。

2020年の温室効果ガスの削減率は 選択肢①で0~-7% 選択肢②で-9%
選択肢③で-10~-11%で政府は掲げている目標-25%の達成への道のりは
厳しい。

ゼロシナリオ    脱原発
15%シナリオ   40年経過の老朽化原発の廃炉
20-25%シナリオ 新たな原発の建設も必要

8月末までに新エネルギー政策が世論調査、パブリックコメントを経て決定される
予定である。
個人的な意見としては選択肢②の15%シナリオが妥当と考えます。

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橋本関雪先生の顕彰碑 in 神戸大倉山公園 on 2012-6-27

2012年07月02日 05時30分26秒 | Weblog
2012年6月27日(水)神戸文化ホールに隣接する神戸大倉山公園にある
日本画の巨匠、橋本関雪先生の顕彰碑の写真を撮りましたので紹介します。

橋本関雪先生の解説 By Wikipedia

橋本 関雪(はしもと かんせつ、明治16年(1883)11月10日 -昭和20年(1945)2月26日)
は日本画家である。
橋本海関・フジ夫妻の子として神戸市に生まれた。父・海関は橋本文水(播磨明石藩儒)
・マサ夫妻の子で学問所詰儒者を務めていた。
本名は貫一。関雪というのは画号であり藤原兼家が雪降る逢坂の関を越える夢を見、
その話を聞いた大江匡衡は「関は関白の関の字、雪は白の字。
必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをしたという。
果たして翌年、兼家は関白の宣旨を蒙ったという故事より父である海関が名付けたもの。

父から漢学を学び1903年、竹内栖鳳の竹杖会(ちくじょうかい)に入り1913年、
文展で二等賞、翌年も同じ。1916年と翌年、特選を受賞。帝展審査員を務め1934年、
帝室技芸員、1935年、帝国美術院会員、1937年、帝国芸術院会員、
1940年、建仁寺襖絵を製作。

中国古典に精通したことでも知られ、たびたび中国へ渡った。京都銀閣寺畔の白沙村荘
に住み、白沙村人と別号した。白沙村荘の庭園は現在一般公開されている。
庭を営むことが多く大津に走井居、明石に蟹紅鱸白荘、宝塚に冬花庵という別邸を
造営した。また、古今東西の古美術の蒐集においてもよく知られる。

1945年に62歳で没し画号の由来となった逢坂の関にある、別邸走井居(月心寺)の墓地に眠る。



上の写真は橋本関雪先生の顕彰碑の全体の写真 in 神戸大倉山公園。
今は想像もつかないが明治時代中期に橋本関雪先生の生家があった場所に碑が
建っていると考えてよい。


上の写真橋本関雪先生の顕彰碑のアップ。

石碑は昭和52年(1977)橋本関雪先生の33回忌のメモリーとして建立されました。
橋本関雪先生は神戸の坂本村の出身で小学校は神戸市湊川尋常高等小学校に
通学しています。
石碑には概略以下の内容が記載されています。
明治明治16年(1883)11月10日矢田部郡坂本村(今の神戸市生田区楠町)
京都四条派の竹内栖鳳に明治36年(1903)師事。
文部省美術展覧会(文展)に25歳の時(明治41年)に初入選。
文展には11回連続入選。二等賞3回、特選3回
大正の初期(大正2年(1913))京都に移住。
昭和20年(1945)2月26日62歳の病寂された。
大津の月心寺に墓がある。戒名:月心院空厳関雪居士
訪欧により画風に広がり。白沙村荘に関すること。疎水に桜を植樹。

芸に遊ぶという文も印象に残る。

たびたび中国を訪れ、中国の古典文学や風物をテーマにした作品を発表。
四条派、大和絵、狩野派、南画などすべてを吸収した関雪独自の画境を築き上げ、
とくに晩年には動物画の名作を多く世に残している。


京都の銀閣寺の近くに橋本関雪記念館(白沙村荘 )があります。
こちらのHPに橋本関雪先生に関する資料が豊富に掲載されています。
橋本関雪の曾孫の橋本眞次氏が白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動
されています。
京都に行く時に是非上記の白沙村荘 橋本関雪記念館に寄りたいと思っています。

下記サイト(英文)には作品をはじめ簡略に橋本関雪先生のことを纏められています。
http://www.lingnanart.com/J-master/J-master-hashimoto-K.htm

京都建仁寺の襖絵「生々流転」、「松韻(寒山子)」「伯楽」「深秋」「蕭條」の60面は
昭和15年(1940)57歳のときの作品である。
建仁寺には風神雷神図・双龍図の作品もある。
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