ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

48時間以内に必ず助けに行くよ

2019年03月09日 | 虐待

連日の様に報道される虐待のニュース。

虐待されてる子どもたちが、

もし48時間以内に必ず助けてくれると分かっていれば

SOSを出しやすくなるんじゃないでしょうか。

 

埼玉の児童相談所では、48時間以内に助けに行くというのです。

 心理カウンセラーの先生が、越谷児童相談所副所長だった藤井さんという方の話を教えてくださいました。

 

2004年12月に、56歳で亡くなられるまで

子どもたちが発したSOSを受け止め

保護してきた大人の話です。

 

この48時間以内に保護すると言うのは今でも埼玉な児童相談所で続いているそうです。

 

藤井副所長が亡くなられたときの朝日新聞の記事を転記します。

 

48時間 必ず助けに行くよ(朝日新聞2004/12/12
「毎日のように聞こえていた泣き声が突然、聞こえなくなった」
すぐに駆けつけなければならないのか、児童福祉司は迷った。
すでに43件の虐待事案を抱えている。山積みの書類、保健所の担当者との打ち合わせ・・・。
それに、やけどの跡やあざがあるというわけでもない。
日が暮れてから、通報のあった家を訪ねた。玄関口で幼児が母親の足元にまとわりついている。
奥で遊んでいる女の子の姿も見えた。
部屋は散らかっていない。
虐待はない、と判断した。ところが、安心するのは早かった。
「働きづめの夫は、休みの日になると遊びに出てしまう。
上の子にくそババアなんて言われると、カーッとしちゃって」 専業主婦の母親の言葉に危うさを感じた。
1時間近く耳を傾けると、いくらか落ち着いてきた。
虐待の芽を摘み取れたのは、足を運んだからこそ、だった。
通報を受けて48時間以内に子どもを目で見て確認する。
全国で唯一、埼玉県だけがそう義務づけている。
「埼玉方式」が生まれたのは不名誉からだった。
(虐待死全国一 98年度4件)
埼玉新聞が1面で報じた。直後に、県内の児童相談所長6人が集まった。
口火を切ったのは、県中央児童相談所長の今井宏幸さん(62)だった。
「通報を受けたら、先延ばししない。時間を区切ろう。」
人手不足にあえぐ福祉司にさらなる負担を強いるのか、と反対の声があがった。
「じゃあ、このまま子どもたちを見殺しにするのか」 場が静まった。
何時間にするか、そう畳みかけた。
24時間では現場がもたない。
72時間では、金曜日に通報を受けても月曜日まで放っておけることになる。
結局48時間に決まった。
「時間を、と訴えたのは、ある部下の影響があったんですよ。」
一線を退いた今井さんは振り返る。通報を受けると必ず、「突撃だぁ」と飛び出していき、「時間を区切らなきゃダメだっ」と口癖のように繰り返していた。
「彼がいなかったら、思いつかなかったんじゃないかな」 その部下とは、越谷児童相談所の副所長だった藤井東治(とうじ)さんのことだ。
この夏、クモ膜下出血で亡くなった。56歳だった。
「入院から2日。意識は戻らなかったけど、十分にお礼を言う時間をくれた。」妻の和子さん(63)は言う。
職場の外でも動き回っていた。
NPO法人「埼玉子どもを虐待から守る会」の理事、「日本子どもの虐待防止研究会」運営委員、「いのちの電話」相談員の研修の講師も引き受けていた。
担当していた少女を自宅に引き取ったこともある。
母親が家を出て、薬物中毒の父親は傷害罪で逮捕された。少女が19歳になると写真を撮って、服役中の父親に渡した。
「やりたいことが山ほどあってとにかく欲張りな人。まるで、子どもみたいでね」(和子さん) たばことピースと酒を手放すことがなかった。
昨年暮れ、藤井さんは埼玉新聞記者の小宮純一さん(46)を居酒屋に誘った。
小宮さんが児童虐待の連載記事を書いて以来、5年余りのつき合いだ。
ふたりで1升をあけるころ、小宮さんが問いかけた。なぜ48時間なのか、と。
「それはね、約束なんだよ」 藤井さんがコップの酒をすすった。
曇りガラスの向こうで初雪が舞っていた。 「どんなに厳しい状況にあっても48時間は生き延びてくれ。
そしたら必ず行くからっていう、子どもとの約束なんだ」 埼玉では今年、虐待で命を落とした子どもはいない。
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