ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

睨む人が怖いのは「怒り」の抑圧

2016年02月25日 | こころの子育て

《睨む視線がこちらに向けられると、自分が悪いと思ってた》

カウンセリングのおかげで、睨む人が怖くなくなりました。

睨む人が悪いと思えず、睨まれる自分が悪いと思うようになった原因が、
カウンセリングを受けてわかりました。

私が2歳の頃、保育園の待機児で、6ヶ月くらいの間、朝8時から夕方5時までの9時間、近所のおばちゃんに預けられていました。

このおばちゃんは子どもが嫌いな人で、ちょっとでも動くと
「じっとしていなさい。」
と大きな声で脅し、睨んで私がいい子にするように操作していたのです。おばちゃんは、子どもに向けてはニコリとも笑わない人で、怒ったり、睨んだりして、眉間にシワが寄り、子どもを前にすると仁王立ちになっていました。

幸せを感じることの少ないような…不幸そうな人でした。

私はそのおばちゃんから睨まれるのが怖くて、いい子にしていてました。
おばちゃんは、かわいそうな人だから、迷惑かけないようにしないといけない、手を煩わせないように…私が我慢していれば、母が迎えにきてくれるまで。

私がじっとしていれば、ニコニコ笑っている優しいお母さんが来てくれる。

ある日おばちゃんは、私を待たせていたことを忘れてしまったことがあって、気がつけば、私は同じ場所でちょこんと3時間もじっと座っている子だったと、後日談で聞きました。

おばあちゃんが睨む、その視線が私に向けられているから
私が悪いんだと思っていました。

その場面に身を置くと、幼い私は感じないように、欲求を出さないようにしています。

そうしていると、世界が白く、気が遠くなりそうになります。

でも、嫌だと感じ、自由にはしゃぎたいと思うと、世界に色が付き、肩が痛く、胃が膨らみ、身体が温かくなって汗をうっすらかくほどです。

私の身体は、吐いたり、席したり、肩こりしたり、胃が膨らんだり…
色んな信号を私に送って怒りを教えてくれていたのです。

私の身体は賢かった!

「怒り」「いやっ」を感じて初めて思考も働き出すものですね。

今思えば、おばちゃんは子どもが嫌いで、私をじっとさせたかったから、大きな声で脅したり、睨んだりしていい子にさせようとしていたと、わかりました。

睨まれる私は、悪くない。

睨まれるのが、嫌で良い。

睨む人が、嫌いで良い。

そう再決断したら、ここ数日、睨む人が怖くなくなりました。

息を止める癖もこの辺りから来てたようです。

約一年前の11泊12日の瞑想所への出発の朝の息苦しさは、
きっと子どもの頃のおばちゃんの家に預けられる時の息苦しさ、閉塞感だったと思います。


また、瞑想に行ったら、閉鎖された空間でも、さらに心の自由を感じられるかもしれない。
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1 コメント

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昔話にひと花 (drop)
2016-02-25 23:37:29
ふむふむ、へぇ~なるほど。
…日ごろパタパタ仕事や家事などしつつ、何をどのように感じているのか、状況⇒思考⇒感情という具合に自分をみつめることから、何が好きで、苦手や嫌いなどが改めてわかる楽しさ。
人に心、自分に頭を。オモシロいな~。
幼いころの記憶は今はまだ、なかなか思い出せないから、家族や親戚やご近所さんから、昔の思い出話から、色んなことを聴いとこう。親もまだ、お陰で元気なうちに。
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