今日は長崎原爆の日。
午前11時02分原爆投下の時間、毎年黙祷を捧げます。
暑い夏になると、原爆がいかに恐ろしく、悲惨なことだったか
長崎の子どもは、繰り返し教えられます。
怖い怖い体験をして
それでも、生き残った時に
人は、罪悪感を持っていることが多いです。
生き残った人は、何も悪くないのに。
母は、暑い夏がくると、夜中にうなされていました。
焼け野原の悲惨な状況の悪夢を見ていたようです。
これをPTSDと言います。
これは、戦争体験に限らず、虐待などでも同じようなことがあります。
小さい私は、お母さんが苦しんでいるのを見て
私が生まれたから、お母さんが大変なんだと思い、
お母さんに負担をかけないようにおとなしくしよう、いい子にしようと思いました。
だから、わがままを言わず、私は強くなって無理をしようと。
母は城山小学校で姉を原爆で亡くしており、生き残った罪悪感や被爆した後に結婚できるかなどの不安を抱えていたようです。
私にも、罪悪感が連鎖してしまったんですね。
私は、大人になってカウンセリングの勉強して
私が生まれてきたことが、悪くないことを分かりました。
ようやく、罪悪感から解放されました。
お母さんも私も悪くない。
お母さんが苦しんでいたのは、戦争のせい、戦争が悪い。
暑い夏になると毎年、母とお参りしていた城山小学校と平和記念公園の灼熱の陽射し、キョウチクトウ、蟬しぐれと共に、母の祈りの姿を思い出します。
もう二度と戦争が起こって欲しくない、平和な世の中になってほしいという母の願いが、今の私の仕事につながっていると思います。
戦争のない世の中になって欲しい。
ナガサキの祈りは、私の願いとなって、子どもたちの笑顔を願う私の今の活動になっています。
その為に、人が、子どもが自分が悪いと思ってしまう罪悪感を減らしていく。
虐待された子どもも。
虐げられた奥さんも。
親が子どもを攻撃するのは、親の問題で、子どもは悪くない。
夫が妻を攻撃するのは、夫の問題。
妻が夫を攻撃するのは、妻の問題。
持たなくていいはずの罪悪感を無くしていきたい。
あなたは、悪くない。
午前11時02分原爆投下の時間、毎年黙祷を捧げます。
暑い夏になると、原爆がいかに恐ろしく、悲惨なことだったか
長崎の子どもは、繰り返し教えられます。
怖い怖い体験をして
それでも、生き残った時に
人は、罪悪感を持っていることが多いです。
生き残った人は、何も悪くないのに。
母は、暑い夏がくると、夜中にうなされていました。
焼け野原の悲惨な状況の悪夢を見ていたようです。
これをPTSDと言います。
これは、戦争体験に限らず、虐待などでも同じようなことがあります。
小さい私は、お母さんが苦しんでいるのを見て
私が生まれたから、お母さんが大変なんだと思い、
お母さんに負担をかけないようにおとなしくしよう、いい子にしようと思いました。
だから、わがままを言わず、私は強くなって無理をしようと。
母は城山小学校で姉を原爆で亡くしており、生き残った罪悪感や被爆した後に結婚できるかなどの不安を抱えていたようです。
私にも、罪悪感が連鎖してしまったんですね。
私は、大人になってカウンセリングの勉強して
私が生まれてきたことが、悪くないことを分かりました。
ようやく、罪悪感から解放されました。
お母さんも私も悪くない。
お母さんが苦しんでいたのは、戦争のせい、戦争が悪い。
暑い夏になると毎年、母とお参りしていた城山小学校と平和記念公園の灼熱の陽射し、キョウチクトウ、蟬しぐれと共に、母の祈りの姿を思い出します。
もう二度と戦争が起こって欲しくない、平和な世の中になってほしいという母の願いが、今の私の仕事につながっていると思います。
戦争のない世の中になって欲しい。
ナガサキの祈りは、私の願いとなって、子どもたちの笑顔を願う私の今の活動になっています。
その為に、人が、子どもが自分が悪いと思ってしまう罪悪感を減らしていく。
虐待された子どもも。
虐げられた奥さんも。
親が子どもを攻撃するのは、親の問題で、子どもは悪くない。
夫が妻を攻撃するのは、夫の問題。
妻が夫を攻撃するのは、妻の問題。
持たなくていいはずの罪悪感を無くしていきたい。
あなたは、悪くない。
私の勤める中学校でも平和集会が行われ、蒸し暑い体育館で、平和を願い黙祷を捧げました。
意味のない罪悪感を感じることがないように…。
とても共感します。
私も以前、カウンセリングを受けてから、感情を大きく揺さぶられる前に、目の前の事象と自分を切り離して考えられる瞬間が増えてきました。
冷静に、客観的に、でもいつも好奇心を持ち続けていたいものです。