大切な人を失った時、辛さからか
自分の人生と比べて
失った人の人生の方が価値があったのではないかと
つい、ネガティブに考えてしまいます。
そして、改めて、人生の意味について考えがちです。
ヨガや瞑想をしていると、少し落ち着きます。
音楽を聴き、涙を流すと、少し気持ちが癒されます。
そんな中
樹木希林さんの遺作となった映画「日日是好日」を観ました。
「日日是好日」は、禅語だそうです。
日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むそうですが、
日常的には「ひびこれこうじつ 」とも読み、映画のタイトルも、そう読むようです。
以下、Wikipediaより
「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、
さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり
常に今この時が大切なのだ、
あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、
と述べているなどとする解釈がなされている。
***
数年前(このBlogを調べれば分かるのですが…)に、
京都の丹波という所にヴィパッサナー瞑想という瞑想所に行ったことがあります。
丸10日間、スマホもお財布も預けて瞑想所に篭ります。
9日間は誰とも会話せず、
目も合わせないようにして、ただただ、瞑想をするのです。
今、流行りの心理療法「マインドフルネス」を始めた医師カバット・ジンも
このヴィパッサナー瞑想を体験しました。
カバット・ジンは、この時、瞑想した人々の痛みが、消えるのを目の当たりにして、
マインドフルネスを作ったそうです。
確かに、私も肩こりが消えてしまいました。
視力や聴力や味の感覚がとても敏感になりました。
視力や聴力や味の感覚がとても敏感になりました。
不思議なことに、その瞑想中には
何も頑張っていないし
人の期待にも答えてないし
全く何も所有していない状態で
とても安全で、安心を感じられるのです。
こうして、生きていれば、辛いことはあるけれど
改めて…
1日1日、暮らせていること。
変わらず仕事ができていること。
普段、当たり前過ぎて、意識もしないこと、
そんなことが、とても有難いのだと思います。
そして、今、この時を大切に生きて
大切な人の意志を引き継ぎ
私の人生も意味のあるものにしたいと思います。