19年前の今日、日本を揺るがす大惨事が起った。
私は当時も大阪で母と住んでいた。
早朝の、地面を突き上げるような激しい揺れに
今まで感じたことのない恐怖に包まれた。
すぐに余震が来た。当時は余震と言う言葉さえ知らなかった。
これは電信柱が倒れただろうな・・・。と思った。
近所の家々でざわめきが聞こえてきたが
またすぐに静けさが戻った。
私も母と声をかけあったが、
家の中には被害がなく、
もともと不安定だった細長い花瓶が倒れていたくらいだった。
図太い私は二度寝した。
そしていつもの時間に起きてラジオをつけた。
どうやら高速道路が倒壊したらしい。
やっぱりね。
揺れがすごかったもんね。
あと、滋賀県でお年寄りが地震にびっくりして
ベッドに足をぶつけて骨折したそうだ。
何やそれ?
あんなにでっかい地震で、年寄り一人が骨折しただけ?
ふーーーん、たいしたことなかったんやわ、
と会社に向かった。
京阪電車は私がホームに着くとすぐに到着した。
ラッキー♪いつもより早く会社に着ける。
しかし、会社に着くとエレビーターが停止していた。
職場は35Fだ。
気が遠くなりそうだが、まだ時間に余裕がある。
ゆっくりしたペースで上ることにした。
途中、更衣室があるので助かった。
オフイスに到着すると2,3人の同僚が
困惑してドアの前でたたずんでいた。
どうやら誰もオフィスの鍵を持ってこなかったらしい。
いやーーー!!取りに行きたくないーーー!!
と、私は顔で講義した。
みんなも頷いていた。
そこへ、いつも一番に来るおじさんが登場。
ちゃんと鍵を持っている。
よかったようやくオフィスに入れる。
と、喜んだのもつかの間。
椅子やら何やらがしっちゃかめっちゃかだった。
まず、目に付いた物から片付けていく。
その間も電話があっちこっちでじゃんじゃん鳴る。
それも片っ端から取る。
取引先の会社やたどり着けない社員からだった。
京阪電車は稼働していたが、
ほかの路線は運転を見合わせていたようだ。
お昼間近になると、
次々と社員が出勤してきた。みんな徒歩で会社まで来たらしい。
電話も通じなかったと言う。
とりあえず無事を確認しあう。
社員食堂でお昼ごはんを食べているとき
テレビのニュースで死者がかなり出ていることを知った。
また神戸市などがかなりひどい状況だと言うことも
わかってきた。
ニュースを見るたびに状況がひどくなっている。
その日から当分、テレビでは企業CMと一般の番組が消えた。
毎晩、同じACのCMばかり見ていた。
悲しくて泣きたくなった。
それでも3日目から仕事は通常に戻った。
被災した社員は早めに帰ることが許された。
社員食堂からはおにぎりとパンがなくなった。
ボランティアに志願した人がいたが会社から止められた。
常に道路が大渋滞なので近寄ることもできないらしい。
物見遊山で行くことなんて絶対にタブーだった。
神戸に住む友達とは連絡が取れなかった。
しばらくしてから電話が留守電に変わっており
「私は無事です。今、実家に身をよせています」
と言うメッセージが入っていた。
この国もこんな悲惨なことが起るんだって初めて知った。
今でもあの朝の出来事は記憶に張り付いている。
もう二度と震災などの被害は起らないで欲しいと願う。