ピアの最後の一日を書き残しておきたいと思います。
自分のための覚え書きです、あとで非公開にするかも。
オシッコが出なくなって前夜に穿刺をして抜いてもらい、
その夜はぐったりしているので そのまま居間で寝させました。
いつもは私の布団の上で寝るのですが 歩けそうになかったからです。
座敷でウィンディと寝ていると 明け方5時ころ
ふらつき、千鳥足でやってきて 私の体にドスンと倒れこみ、そのまま動けなくなりました。
「ピア、来たの、
じゃあいっしょにねようか。」と ピアの重みを感じながらそのままの形で寝ていました。
なぜか入れ替わりに廊下に出て寝ていたウィンディが
珍しく「ウォ~~ンオォ~~~ン」と 長い間 裏声でないていました。
しばらくするとピアはえづきはじめ 茶色い液をいっぱい吐きました。
私のダウンの布団もぐしょぐしょ
諦めて起きることにして 朝から大洗濯です。
最近は怖いものなし、ダウンもドラム式の洗濯機にかけて乾燥させると ふわふわに戻ると発見。
(冬布団さえ おしめをとってしまって汚され、丸洗いして綺麗にした経験あり)
ピアはあまりひどい嘔吐はしたことがなかったのですが
一度、10日ほど前にひどくえづいた時
必死で私の膝に這い上がってきました。
「母さん、助けて」 と言いたかったのでしょう。
この夜も、気持ちが悪くて私のところへ這うようにしてやってきたのかもしれません。
朝9時にまた病院へ行ってオシッコを抜いてもらい、点滴を200ccだけ、(いつもは400)
それと制吐剤と、オシッコが濁っているというので抗生剤も注射してもらいました。
帰って居間で寝させていると落ち着いて気分よさそうにしているので kencherryさんのメロンをジュースにしてシリンジで飲ませました。
お水は嫌がったのに、メロンは美味しいのか上手に飲んだので お代わりをしてまたシリンジで飲ませました。
思えばこれが ピアがこの世で最後に口にした食べものでした。
ピアがいつも寝ているので 片づけるに片づけられないこたつ布団。
午後からはもう顔を上げることもなく 眼だけで私の動きを追っていました。
私も時々寝転がってピアと話をします。
「ピア、今度はね、ウィンディのおなかに入ってくるんだよ。
今はピアがお母さんだけど 次はウィンディの子供になって生まれてくるのよ。」などと。
もうあまり下腹は張っていなかったのですが 念のため夜7時半にオシッコを抜いてもらいに行きました。
先生は「ピアちゃん ピアちゃん」と言いながら頭をなで、抱っこして車まで運んでくれました。
前夜あまり寝ていなかったので 12時前に寝ようとしたのですが寝られなくて
やっぱりピアを連れて来て一緒に寝させてやろうと ピアのところへ行きました。
ピアは眼だけを開けて私を見ました。
制吐剤のせいで吐きはしないものの 胃液と胆汁がたまっているのでしょう
口のはたからじわじわと茶色い液が滲み出ています。
体位を変えてやると 吸水シートを敷いていたのに 下側の白いカラーは茶色くなっていました。
それをふき取ってやっていると なんだか息が荒い、
「ピア、しんどい? ピーア、ぴあぴあ」と いつものふざけた時の呼び方をしていると
不意に大きく口をあけ そのまま息が止まってしまいました。
あっ、と信じられない思いで 「ピアピア、ピアピア、」と呼ぶと 青い眼だけが少し動きました。
それが最後でした。
ウィンディは傍らで、ずっと座ってその様子を見ていました。
汚れたカラーを綺麗にしてやろうと水やセルフリンスで拭いてやっている間も、じっと見ていました。
時間がたってピアの体がだんだん冷えてきます。
でも、ふと胸のあたり、前足の間に手を入れると、とても暖かいのです。
まるでピアがまだそこにいるようで そのぬくもりから手が離せませんでいた。
あまり苦しまなかったせいか、穏やかな寝顔です。
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本当によかった。
朝方も自分で歩いてそばまで来るなんて、cheri_blueさんのことを
頼りにして甘えて大好きだったことがよくわかります。
私もピアちゃんがいないなんて、ぜんぜん実感がわきません。
5月はりきの誕生月でもあるけれど、大切な家族、友人、ワンちゃんたちが逝ってしまった月でもあり、
悲しい季節となってしまいそうです。
でもピアちゃんは今ごろ、ミキちゃん、リオちゃん、サム君たちに迎えられて、
楽しく走っていると思います!
お花に囲まれて横たわってるピアは、
じっと見てると、息してるみたく、
お腹が動いてるんじゃないかと
思うぐらいでした。
お母さんと二人で、
たくさんがんばったね、ピア!!
いっぱいいっぱい愛されて今頃虹の橋でみんなと思い出話してるかな♪
穏やかに旅立てることができてよかったです
ミキさんから始まって、たくさんのお別れがありました。
どうしてみんなこの美しい青葉のころに、逝ってしまうのでしょうね。
ピアが逝ってしまって
なんだか気が抜けてしまったというか
何をする気にもなれなくて ぼんやり過ごしています。
家にいるとピアばかり思ってしまうから
外に出て行かなくてはいけません。
いつも美少女ピアちゃんと言ってくれていたミキさん、ピアはミキさんに会えたかなあ。
あのちらっと動いた眼は、
「母さん さよなら」と言っていたのかも。
とても綺麗だったので、見てやってほしかったのです。
二人で泣いたり笑ったりしながら
ピアのことを話しましたね。
私には何よりの慰めでした。
どうぞ穏やかに逝ってほしいと願っていたので
ピアは最後の親孝行をしていってくれました。
ピアを思い出すとき、それがどんなに救いになることか。
ずっとピアの心配をしてくださって ありがとうございました。
またデュークたちと遊んでやってくださいね。
と思っていたので、ブログを覗かせていただくのも怠っていました~ リオちゃんのときのように まだまだ生きていてくれるとのんきにかまえていました。一週間ほど前に知って、しばらく落ち込んでいましたが、今朝は、リオちゃんとピアちゃんと 玄関の前でお行儀よく座っている写真を見つけて、元気がでました。ピアちゃんは麗夫人そのもの、とてもエレガントに座ってらっしゃいます。
cheri_blueさんの哀しみは とてもとてもそんなに早く消えるものではないでしょう~ ご自分をいたわりつつ、少しずつ 哀しみから回復していかれますように~
出来る限りのことはしたし ピアも頑張ってくれたのですが
これが精一杯でした。
でもずっと普通に生活してくれていて ほんとに悪くなったのは1週間くらいだったと思います。
だからいまだにピアが死んでいなくなってしまったというのが嘘のようです。
こちらに来るたびにピアやみんなに会ってくれましたね。
写真も残してくださっていてうれしいです。
ピアのこと、覚えていてやってくださいね。