早いもので ジャスパーが逝ってから、もう1年になります。
毎日毎日 ジャスパーが犬舎から出てくるのを待っていたピアも
今ではきっと忘れてしまったんだろうな。
いつの頃からか、もう犬舎を覗き込むこともなくなりました。
ジャスパーがよく拾って食べていた柿も 今年は一つも生りませんでした。
稲刈りをして広くなった遊び場で、ピアが一人ではしゃいでいます。
ジャスパーは空の上で、一人でフリスビーを追いかけているのかな。
ハウスがあるのに いつも私の寝室の窓の下で眠っていたジャスパー。
時々ウ~ンと伸びをしてみたり、セミを捕まえる気配がしていました。
急な雨が降ってきて 慌ててハウスへ走っていくタッタッタッという足音が
今でも聞こえるようです。
ジャスパー、どうしてる?
先日 当地で激しくカミナリが鳴った夜のこと。
「ジャスパーがいなくてよかった、いたらこわがってるね~」 と私。
「網戸を破って飛び込んできたこともあったな~」と亭主。
最初の頃はそうでもなかったのです。
ある夏、自治会の記念行事の花火大会があって、役員の私は出ていました。
ワンたちだけでお留守番。
どどーん、どどーんと景気よく花火をあげて、(会場は我が家の二軒隣)
「今年は盛大だったなあ」と機嫌よく帰ってきたら・・・
部屋に入って異変に気づきました。
網戸に大穴が・・・
いつもは外の犬舎にいるでっかいジャスパーが居間でしっぽフリフリ。(いや、しっぽはないからお尻をフリフリ)
部屋にいたはずのシェリは網戸の穴から遁走。
ジャスパーは私のベッドにもぐり込んでいたらしく、布団は泥だらけ。
それから友人たちも手伝ってくれて、暗闇の中 シェリの夜の大捜索になりました。
まっくら闇の中、見つかるはずもなく
明日の朝 警察と保健所に電話しよう・・・と身も心も疲れ果てて帰ってきたら 門のところにシェリはちょこんと座って番犬をしていました。
わんわん!
自分を探し回ってくれていた友人に吠えたそうです。ヨダレのシェリ。
それ以来 ジャスパーもシェリも大の花火嫌い、カミナリ嫌い。
花火大会の日は一家をあげて遠くの公園へ散歩に行くのが恒例行事となりました。
そういえば訓練競技会の日に 雷が鳴ったこともあったなあ。
・・・ジャスパーは挙動不審になり、あわれ不合格になりました。
今も、そこにジャスパーがいるようです。
でも もう、カミナリなんか怖くないよね、ジャスパー。
だってカミナリよりずっと上にいるんだから。

こんな記事を書くことになるとは、思いもしませんでした。
もうすぐ10歳のジャスパーは、わずか1週間前に腫瘍があるとわかりました。
ピアを東京へ送った9日の夜。
お昼までピアと走り回って遊んでいたのに、夜中に急に具合が悪くなって動けなくなったのです。
病院でエコーをかけたら、お腹に大きな腫瘍が見つかりました。
腫瘍の一部が破裂してお腹の中で出血し、どーんと血圧が下がってしまったようです。
手術をしてもがくんと体力が落ち、予後は良くないと言われ、ドイツの代替療法をすることにしました。
注射と薬で体力、免疫力を付け、できるだけ以前と同じ生活をさせてやろうと思ったのです。
それでも今度腫瘍の一部が破裂した時、大きな血管の近くだったら助からないだろうと言われました。
日曜日のショーで午後のピアも見たかったけれど、時限爆弾を抱えているようなジャスパーが気がかりで どうしてもその日のうちに帰りたかったのです。
JUNさんが川越の駅まで送ってくださったおかげで 最終の接続になる新幹線に乗ることが出来ました。夜遅く帰った私を、ジャスパーはいつものように飛び飛びしながら迎えてくれました。
そして先生が「すごいなあ」と感心するほど元気になって それから数日間 私の横について歩きまわり、日向ぼっこをし、畑で走り回って遊んでいたのです。
でも時限爆弾はやはり時限爆弾だったのです。
16日の朝起きたら ジャスパーは荒い息をして、もう動けなくなっていました。
痛み止めを口の中に入れてやったけれど、飲み込めなかったでしょう。
玄関の戸をあけてやるとよろよろと出て行き、椿の下に寝そべって、もうそれっきりでした。
「ジャスパー、ジャスパー!」と頭をなでてやると、ただ一度わずかに頭を動かしただけでした。
ジャスパーは韋駄天のように駆け抜けて逝ってしまいました。
ひとの何倍も走り、何倍も遊び、楽しませてくれた子でした。
ピアが帰ってきたら、大好きなジャスパーを探し回ることでしょう。
